2012年1月30日 (月)

夫婦漫才

他人同士が夫婦になって50年以上も一緒に暮らしていると
呼吸を合わせるように共に行動するようになる。
「そんなことはない」と否定されそうだが
身近な私が見ると
父と母の両者は、あうんの呼吸が合っている。
特に会話では
二人の間に絶妙なやりとりが日夜繰り広げられている。

テレビに映ったきれいな花嫁さんを見ながら
母が父に言った。
「おとうさんも、きれいな奥さんがよかったでしょう」
「いいかどうか、結婚してみなきゃわからん」
「でもさ、きれいな奥さんだと張合いが出るんじゃない」
「張合いが出るかどうか、知らん」
「そうじゃなくて、素直にきれいな奥さんだとうれしいでしょ」
「俺はきれいな奥さんと結婚したことないから、わからねえ」
そりゃ、そうである。

(*また適切な会話とはいえませんが、以下、老人二人のジョークだと暖かい目でみてください)
隣国の最高責任者が亡くなったニュースを見た母が
帰ってきた父に真剣に言った。
「おとうさん、大変大変。またお葬式ができちゃった」
「そうか、どなたが亡くなったんだ」
「○○総書記」
「そうか。葬儀は何時だ」
「いつだろう。確かめなきゃね」
「それはそうと、すぐに行かなきゃならんのか」
「うん。でも、パスポートないよ」
「大丈夫だ。チャーター機を用意してもらう」
「そうだね。香典はいくら用意すればいい?」
「う~ん。どうしたもんかなぁ」
父と母は、その国とは全くの無関係である。
にもかかわらず、その後も話し合いは重ねられた。

父はまじめな人だ。
実直で曲がったことがきらいな、頑固な性格だ。
黒と言ったら黒と言い張る、少々融通のきかないところもある。
母は明るい人だ。
少し抜けたところがある、子供っぽい性格だ。
周りにいる家族は、母の言動に振り回されている。
この二人が50年以上一緒に暮らすうちに
お互いに感化し、徐々に変わってきたのだろう。
若い頃には想像もできなかった会話が、今は成り立っている。

母のぼけに父が突っ込んだり
母のぼけに父が乗ったり
自宅で夫婦漫才を繰り返している。

「ねえ、おとうさん。この頃、まるくなったよね」
「何が、丸くなったんだ」
「だから、おとうさんが丸くなったって」
「俺は丸くない。背中も丸まっていないし、太ってもない」
「そうじゃなくて、まるくなったって性格のこと」
「お前の話は、唐突でわからない。順序立てて言え」
「はいはい。ごめんなさい。
 だって、私が何かしてもあまり怒らないじゃない。
 だから、おとうさんも優しくなったなぁ、まるくなったなぁって思ったのよ」
「まるくなったんじゃなくて、言っても無駄だから諦めたんだ」
「あら、そうなの。あはは」

今日も漫才は続く。


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2012年1月23日 (月)

ロッテンマイヤーさん

子ども心に
宮崎監督の『アルプスの少女ハイジ』に出てくるロッテンマイヤーさん
どうしても好きになれなかった。
最近、再放送を観て再確認した。
私は、ロッテンマイヤーさんが嫌いだ。

ロッテンマイヤーさんは
フランクフルトのクララの屋敷を
仕事で家にほとんどいないクララの父親に代わって仕切り
クララの教育も任されている。
杓子定規で物事を考え、きちんとしすぎている性格が災いし
他の使用人からも、少々疎まれている。
職務に対しまじめなのは分かるが
人に対しての言動、特にハイジに対しての接し方に問題がある。

訳もなく、厳しい。
本編では5~7歳くらいと思われるハイジに、特に厳しく接している。
もちろん、自由奔放なハイジが
机の上に乗ったり、皿を叩いたりするのは注意が必要ではあるが
その言い方がまずい。
頭ごなしに喚き散らし、すぐにキーキー怒鳴りつける。
自分の言葉で叱るのではなく
「わたくしが、旦那様にしかられます」と人のせいにする。
ハイジがアルプスが恋しくてホームシックにかかったときも
「山のことは二度と考えるな、言うな」と強く命じるなど
他人に対する思いやりや愛情が感じられない。
やることなすこと、笑顔一切なしに「いけません」と禁止令を出す。
アルムの山でお世話になる際、おじいさんにあいさつもなし。
それどころか
「こんなところは人の住むところではありません」と堂々と言ってのける。
ヨーゼフやヤギ、馬を「けだもの」と呼び
挙句の果てに「使用人はいないか、お金はある」と言い放った。
優しいペーターをこき使い、口を開けば文句ばかり。
さすがにおじいさんが
「自分のことは自分でやれ」と厳しく言ったとき
胸がすっとした。

「人にお世話になるときは『よろしくお願いします』だろう。
あいさつもできないのに、人のことをとやかく言うな。
あなたの言動は独りよがりのわがまま。どうして気がつかないかなぁ」
大人げなく、突っ込みながら観た。

しかし、
クララを心配のあまりズボンをはいて山を登ったり
常に「お嬢様が心配で」とクララのためを思っての言葉から
彼女の言動はクララが中心になされていることがわかる。
あれもこれも、全てクララのためなのだ。
その後、なるべくよいところを探してみた。
すると『彼女は愛情表現が下手・苦手なだけなんだ』
ロッテンマイヤーさんの印象が
少し変わった。

でも、ごめんなさい。
やっぱり好きにはなれません。





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2012年1月16日 (月)

場の空気が読めない

Aさんは、30代後半の男性だ。
数多くのセミナーに参加している。
また自宅でも、いわゆる「HOW TO」本やDVDを
くまなく目を通していると話していた。
現在、営業職に就いている。
仕事や家庭での人間関係構築に自分なりの考えがあるようだ。

Aさんとセミナーでお会いするのは2回目だった。
受付で私の目の前にカバンを置いた。
「お名前よろしいでしょうか」
「○○」名字だけ言った。
「受講者証はお持ちですか」
受講者証に受講証明のための判を押さなくてはならない。
Aさんは何も言わずに片手で投げた。
「お好きな席にお座りください」
判を押した受講証明書とテキストを両手で渡しながら言った。
Aさんは何も言わずに受け取り
一番後ろの席に座った。

他の受講者の受付をしているとき
「先生、今日、何やる?」
Aさんが聞いてきた。
受付対応しながら、できるだけAさんの話にも応えようと努力した。
「最初の自己紹介って緊張するんだよね。それもやるの?」
「今日の受講者は何人?」
「この前出席した講座だけど、つまらなかった」
「最近見た○○先生のDVDでわからないことがあるんだけど」
矢継ぎ早にしゃべりかけてくる。
まだ来ていない受講者も多いので
受付の状況、少し待ってほしい旨を話したところ
Aさんも、納得したようだった。

手持無沙汰のAさんは
部屋の隅で体操を始めた。
バレエのレッスンのように壁に手を当て
体を前や横に傾け、屈伸運動も取り入れていた。
後から来た受講者は、不思議そうに眺めていた。

受講者が揃い、簡単なお願と連絡事項
開始までの時間はゆっくりしてほしい
今のうちにお手洗いに行くなど、準備してほしい
受講中に飲み物は自由
携帯電話はマナーモードか電源をオフ  etc
確認しながら伝えた。
するとAさんが
「飴やガムは食べてもいいですか?」
質問内容に戸惑いながら
「食べ物はご遠慮願いますか。ただし、のど飴は時と場合によって結構ですよ」
「この前の○○先生は、いいって言いました」
情けない気持ちを抑えながら
「申し訳ございませんが、今回はご遠慮いただけますか。ご理解をお願いします」
丁寧に言った。
他の受講生は大きく頷いていたが
Aさんは怪訝そうな顔をしていた。

セミナーが始まった。
ひとりずつ簡単な自己紹介をしてもらった。
Aさんの番だ。
「Aと申します。この講座は何度か参加しています。
他にも本やDVDで日々勉強を怠らず、自分を高める努力をしています。
同僚、上司、友人から『場の空気が読めない』と言われました。
また、人間関係をつくるのも苦手と指摘されましたが
私にはさっぱり理由がわかりません。
人から言われたことに流されず、これからも自分の信念を貫きたいと考えています」

Aさんへの拍手が、小さかったのは間違いない。
「場の空気が読めない」そのものだった。

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2012年1月 9日 (月)

『西の魔女が死んだ』

正月の深夜、テレビ編成の隙間に
日ごろ放送されない映画が入ってくる。
テレビ欄をくまなくチェックすると観そびれた映画のタイトルが見つかる。
今年も見つけた。
『西の魔女が死んだ』
私の住んでいる街では全ての作品を観ることができないため
観たくても観られなかった映画だ。

『西の魔女が死んだ』は
梨木香歩さん著の有名な児童文学だ。
中学生「まい」と母方のイギリス人のおばあちゃんとの交流を描いている。

おばあちゃんが危篤、との知らせを受け
まいが、おばあちゃんと過ごした2年前を回想する。
その頃のまいは、不登校だった。
おかあさんは、まいをおばあちゃんのもとに預けることにする。
イギリス人のおばあちゃんは自分を魔女と名乗り
まいも魔女修行をすることになる。
まいはおばあちゃんが大好きだった。
「おばあちゃん大好き」すると決まって「I know」と応えてくれる。
おばあちゃんが課した修業は
「規則正しい生活をする」「なんでも自分で決める」
あたりまえのことをあたりまえに生活するうち
徐々にたくましく、楽しくなるなる、まい。
しかし、ひとつだけ嫌なものがあった。
隣に住むゲンジという男性の存在だ。
いやらしい雑誌を読み、人の気持ちを逆なでするような言動と行動が許せない。
そして事件が起こる。
庭の鶏小屋が荒らされ鶏が殺された。
まいは鶏の死にはゲンジの飼っている犬が関わっていると意固地になる。
彼に対する嫌悪と憎悪が爆発し思いをぶつけるが
おばあちゃんは取り合わないどころかゲンジに対して寛容だ。
ゲンジに対する気持ちが、二人の間に確執を生む。
事件後、まいは転校するためにおばあちゃんのもとを去ることになる。
今までとは違った感情の隙間をそのままに
おばあちゃんと別れた。
それから2年、おばあちゃんには会っていない。
まいは不安な気持ちと後悔を抱えながら車の助手席に座っている。
おばあちゃんの家に着いたとき
西の魔女(おばあちゃん)は還らぬ人だった。
呆然とする、まい。
窓ガラスにあるメッセージを見つける。
それは2年前の事件の際「死」について向きあったとき
おばあちゃんとした約束の答えだった。
「約束、忘れていなかったんだ」
微笑みながら「おばあちゃん大好き」
「I know」の声が聞こえてきた。

原作のままに、映画も素敵でした。
時に繊細で、時に残酷な思春期の女の子の気持ちがあふれていた。
自分の中学生のころを思い出した。

おばあちゃんの生活には、憧れる。
スローライフそのまま。
演じたサチ・パーカーさんがかわいらしい。

中でも秀逸だったのは
中学生の女の子だったら誰もが嫌悪感を抱くだろう存在のゲンジを演じた
木村祐一(キム兄)さんだ。
映画のゲンジは本当に嫌だった。

最後のメッセージは何だったの?
質問に答えるのはナンセンスだ。
答えないほうが意地悪ですって?
そうです。
私は意地悪です。
ぜひ、自分の目で確かめてください。

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2012年1月 3日 (火)

今年の抱負

本年も新しいスタートを切った。

子どもの頃、暮れの思い出は
父と一緒に「お飾り」を買いに出かけたこと。
母が「おせち料理」を仕込む姿だ。
私の幼少のころは、
少なくとも三が日は商店が一斉に休みだったので
正月分の食料を確保する意味もあったのだろう。
しかし最近は
元日からスーパーマーケットは開き
デパートもコンビニも休むことがない。
便利ではあるが
正月らしさは減ったように見える。

「なんか、正月が来たって気がしない」
ここ何年かの口癖ではあるが
そう言っている割には
どっぷりと寝正月を決め込んでいる
私である。

除夜の鐘も聞いた。
新年のあいさつもした。
様々なチャンネルにも登場する芸人さんの顔も、やや見あきてきた。
箱根駅伝も観た。
(毎年、筋書きのないドラマに感動)
昨年末に発売になった新作ゲーム(FF)もクリアしてしまった。

思えば、昨年末まで馬車馬のように走り続けてきたが
もうゆっくり休んだろう。
自分自身に言い聞かせる。
いや、まだまだゆっくりしていられる。できることなら、ずっとこのままいたい。
心に葛藤が生まれる。
そろそろ動き出さないと
数日間乗っていない体計の針の行方も気になる。
大きく伸びをした。
気持ちを切り替えて
今年の抱負
を発表しよう。

『まっすぐ』だ。

辞書には
 少しも曲がることのないこと
 寄り道などしないで、直接に目的に向かうこと
 かくしだてのないさま
 正直

とある。

シンプルだけれど
難しい、高い抱負を挙げてしまった。
今年は
弛んでいる自分にプレッシャーをかけてみたい。

何事にも「まっすぐ」に向き合います。

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2011年12月25日 (日)

年賀状の憂鬱

この時期、私は”年賀状の憂鬱”に陥る。

そもそも年賀状とは
新年に送られる葉書やカードの挨拶状のことだ。
お世話になった皆さんへ
旧年中の感謝と「これからもよろしくお願いいたします」という気持ちを込める。
最近はメールを利用する人も増えたが
どこか、そっけない。
年賀状の力は根強いものがある。

こういった風習は日本に限らず
近隣のアジアの国々では似たようなものがあるという。
これに対し欧米などでは「クリスマスカード」に新年の挨拶を含め送るので
年賀状の風習はないという。

もちろん、周りの方々への挨拶は必要だ。
感謝も伝えたい。
筆不精なわけでもない。
郵便局に恨みもない。
会社で出すものは納得している。
しかし、個人的な年賀状だけは書くのがとても億劫なのだ。

小さなころから毎年欠かさず書いてきた。
字を覚えたての小学生のころは
書くのが楽しみだった。
しかし、いつのころからだろう。
「書かなければならない」と義務感が勝った。
それから、嫌いになった。
毎年、書かなくていい理由を探しているが
見つからない。
そして、悪い言い方だが惰性で書き続けている。
「感謝の気持ちを込めるものなのに、これでいいのだろうか」
自問自答を繰り返す。
考えるたびに、憂鬱になる。
毎年のことだ。

歴史を調べてみると
1899年に郵便局で年賀郵便の取り扱いが始まった
とあった。
「110年前に取り扱いがされていなければ、今こんなに悩まなくていいのに」
言ってみても変わらない。

さてと。
愚痴も言ったので
そろそろ観念して、年賀状を書くとしよう。

これも毎年のことだ。

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2011年12月19日 (月)

『けいおん』

映画『けいおん』を観た。
アニメからファンだったので、公開を楽しみにしていた。
『けいおん』はもともと4コマ漫画がはじまりで
その後、アニメが作られ大ヒットした
とある女子高のけいおん部の5人を中心とした物語だ。

登場人物は、すべて”いい子”だ。
”いい子”といっても優等生という意味ではなく
全員が、相手のことを思いやることのできる友達思い
且つ、それぞれが異なる個性をもった
「魅力的な性格のいい子」たちばかりなのだ。
そのため”嫌な子”と思われる登場人物は
主要キャラクターはもちろん、他を見渡してもひとりもいない。

内容はと言えば、たわいもない日常生活が描かれている。
タイトルから見れば、けいおん部の活動が中心かと思われるが
部室で「お茶」を飲んでいるシーンが一番多い。
練習している場面は、めったに見られない。

なぜ、このアニメがこんなにもヒットしたのだろうか。

まず、主要キャラクターがまったく違うキャラクターで
それぞれが、とても愛らしいことだ。
男性からすると
そのうち誰かが好きな女性のタイプなのかもしれない。
女性からすると
そのうち誰かに自分と同じ匂いを感じているのかもしれない。
また、私と同年代からすると
そのうち誰かが自分の娘だったらいいなぁと考えているのかもしれない。
各々が物語に共感して見ることができる。

次に、キャラクター設定の絶妙さが挙げられる。
完璧な人物はひとりもいない。(ファンの皆さんごめんなさい)
どこか少しずつ(多い子もいる)抜けている。
場面場面で、ぷっと吹いてしまうこともたびたびだ。
笑顔で見ることができる。

そして、不安要素のない内容につきる。
考えさせられる社会問題を取り入れた要素は一切ない。
ひところ流行った人間関係のドラマと正反対
絵にかいたようなハッピーエンドが決まっている。
安心して肩に力を抜いて見ることができる。

いけない、いけない。
つい、仕事の延長で分析してしまった。

生活するには、少し辛い環境だからこそ
『けいおん』のほっとする内容が
うけたのではないだろうか。

少なくとも私は、癒されている。

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2011年12月12日 (月)

密かな楽しみ

インターネットで無料オンラインゲームが楽しめる。
私は、時々パズルゲームと言われるジャンルのものを利用する。
何も考えずに没頭することで
個人的にはストレス発散になっている。

よく利用するゲームは
その時点の成績優秀者ベスト5が発表されている。
1位の人は100万点以上
5位の人でも50万点は下らない。
「一体、どうやったらこんな点数が取れるのか」
悪いときは1000点くらい
よい時でも数万点が限界の私にとっては
夢のような点数が並んでいる。
何度か挑戦したが
ランキングに名前をのる成績は取れるはずもなかった。

1か月ほど前、ゲームにログインした。
開始時はいつも通りだったが
途中から、なんだか調子がいい。
30分経っても終わらない
1時間経っても、まだまだ成績は伸びそうな雰囲気だ。
点数を確認すると、50万点まであとわずか。
「これは、ひょっとするとひょっとする」
わくわくしながら進める。
ここで、点数を気にしたのが悪かった。
点数を上げることに集中するあまり
一手一手が慎重になりすぎてしまった。
それまでの「流れ」が変わり
『GAME OVER』
非常な声で、ゲームは終了した。
点数は、57万点あまり。
それまでの最高得点をたたき出した。
「もしかして、TOP5に入ったりして」
ランキングを確認すると
残念ながら、5位の人が58万点台で
ほんの少しの差で、入ることができなかった。
休みだったので、もう一度挑戦することにした。
しかし、そうそうよいことが続くわけがない。
次は、1万点を少し超えたところで、ゲームオーバーだった。
「あ~あ、残念」
何気なくランキングを確認すると
先ほどなかった私のペンネームとアバターが
なんと4位の枠に収まっていた。
「どうして?」
ランキングは1週間で更新されるため
成績上位者の2つの記録が削除され
私の記録が、4位に入ったというわけだ。

あれから頻繁に、私はランキングに登場している。
これまでの最高は3位だ。
ペンネームなので、自分にしか分からないが
「全国3位」は結構うれしい。
さらに上位を目指しログインする日々。

トップ5に入ったペンネームを見ながら
「誰も知らないけれど、これ私」
ニヤッと笑いながら確認するのが
最近の私の”密かな楽しみ”だ。

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2011年12月 5日 (月)

誕生日

実は本日・12月5日は私の誕生日

「まだ、祝いたいの?」
ここ数年、息子から同じコメントが続いたが
今日は、何も言ってこない。
おそらく忘れているのだろう。
あ~あ
息子なんてこんなものだ。

てなわけで
誰も祝ってくれないので
せめて自分で祝ってみよう。

Happy Birthday to me

心の中で歌っていたら
妹からメールが来た。

Happy Birthday

その後に『健康第一』の言葉がついていた。

やはり、すっきりとしたお祝いではなくなった。

でも、
うれしかった。

ありがとう

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2011年12月 4日 (日)

事故を目撃

自転車と車の事故を目撃した。
どちらに非があったか定かではないが
道路わきに変形した自転車が横たわり
少し離れたところに軽自動車と、警察車両が見えた。
運転手二人が神妙な面持ちで現場検証に立ち会っていた。

横を通りながら
「気をつけなきゃ」と自分自身を戒めた。
そして
「お二人とも無事だった」と安堵した。
現場検証に立ち会えるということは
怪我がなかったことだもの。
本当に、よかった。

昨月から
『自転車は車両だから走行は自動車道』
うるさいくらいに報道されている。
現状は、未だ徹底されていないが
「違法行為」が定められ、罰金等の罰則が設けられると
歩道を走る自転車は、大幅に減少するだろう。

正直、これってどうなんだろうか。

私は、車の運転をほぼ毎日している。
運転していると
車の横を通り過ぎるミニバイク+スクーターが怖くて仕方ない。
中型・大型バイクの運転手は、
時間をかけて免許を習得し「車両」という意識も強いからだろうか
きちんとしたマナーで乗っている方が多い。
それに比べ50cc以下のバイクの場合
免許取得は1日(数時間?)
バイクを扱う手軽さが相まって
本当に交通ルールを把握しているのだろうかと、不安な運転手も多い。
信号待ちで停まっている横を無理やり通り抜ける
車と車の間を横切る
ハイヒールとスカートで乗車
買い物袋を足元に置いている等
考えられない行動が目立つ。
こういった危うい運転で転びでもしたら
大事故に繋がるだろう。
ミニバイクやスクーターだけでも「危険」と感じているのに
さらに自転車が加わったらと想像すると
恐ろしい。

今回の事故は
幸い、お二人は怪我がなく済んだ。
しかし、これは不幸中の幸いだ。
一歩間違えば、命に関わる。
紙一重だろう。
これからは
車同士がやっとすれ違うことができる道を
双方向から、車、バイク、自転車が行き来する。
私たちは、注意をしすぎるくらいの注意をしなければならない。

その日の講義は、事故の目撃談から入った。
受講者の皆さんに交通安全に対する自分の思いを伝えた。
加えて
「これが本当の事故紹介(自己紹介)…」
少し、うけた。

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