2009年4月 6日 (月)

エッセイ投稿

某有名企業主催のエッセイ応募企画に投稿した。
毎年「送ってみよう」とは思ってはいたが、なかなか実行に移すことができずにいた。

実は同じ系列会社のエッセイ募集に、今からちょうど10年前に投稿したことがある。
日常で経験したことをつらつらと書いた原稿を送ったところ
なんと佳作に入賞、盾と賞状、そして賞金5万円をいただいた。
名古屋での表彰式、その後の立食パーティーと、とても貴重な経験をした。

昨年末にエッセイ募集のCMをたまたま見かけた。
「今年も募集しているんだ。もう、6回目かぁ」
人には『考えているだけでなく実行に移そう』なんて偉そうに言っているのに
自分はどうだろう。
「今年は絶対に送る」と心に決めた。
さっそく募集要項を調べたところ、現在は手書き原稿は受け付けておらず
インターネットからのみの受付と記されていた。
それに締め切りまで、あとわずか。
これはまずい。それでも決めたことはやり遂げなければ。
そしてなんとか、原稿締め切りぎりぎりに投稿することができた。
1歩前進できてうれしかった。

そして3月中旬、母から仕事中に連絡が入った。
仕事中に連絡をしてくるなんて、緊急のことだろう。
「なにかあったの?」
「あんた、どこかに原稿を出さなかった?」
原稿?数か月経っていたので、投稿したことをすっかり忘れていた。
「何、わからない」
「○○の事務局の方から連絡があって、あんたの原稿が最終選考に残っているって。
もし賞に確定したらインターネットにも載せるので、承諾書をほしいんだって。
書類を送ったから、返送してほしいという内容だったんだけど」
あ~、思い出した。あれ、あれか。えっ、最終選考。やった!
まだ賞にも確定していないのに、夢は更に広がる。

グランプリをとってしまったらどうしよう。(まだ、決まっていないってば)
賞金は50万円だし、何に使おう。(だから、考えるのは早いって)
それにしても、いや~困っちゃったな。(何も困っていないくせに)
考えながら、思わずニンマリ。顔がにやけてくるのを止めることができない。

そんな妄想が続いて約2週間後、いよいよ発表の日がやってきた。
結果は、またまた『佳作』だった。
そして、賞状と商品券5万円分をいただいた。

十分名誉なことでうれしいことなのに、
心の中で「チッ」っと舌打ちをした罰あたりな私。
だって、
50万円もらったときの妄想が大きすぎたんだもの。
それから比べたら少なかったんだもの。
あれも買おうと思ったのに。
みんなを食事に招待しようとも考えていたんだから。
あ~あ、ふう。

勝手な言い訳はつきない。
ホントに罰あたりでごめんなさい。

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2009年3月28日 (土)

側溝に犬③

ホッとして改めて見てみると
動物保護センターの方が乗ってきた車はリアルなものだった。
丁度、宅配便の保冷車程の大きさと形で中は見えない。
後ろの観音開きのドアを開けると動物捕獲用の道具や、檻などが入っている。
「この檻に入れて搬送されていくんだ」
ぼんやり考えてはいたが、それではいったいどこへ行くのか?
浮かんだ考えを頭の中で具現化していったら、かなり不安になった。
『そうだ。どこへ保護されて、もし飼い主が見つからなかったらどうなるのか・・・』
ワンコはといえば、よほど心細かったのか
今は、しっぽを振るだけ振って私たちにすり寄ってくる。
どうしたものか。なんとかしなければ。

友人夫婦も同じ気持ちだったのだろう。
「もし飼い主が見つからなかったら、この犬の引き取り手はいるのかなぁ」
ご主人がぼそっと言った。
保護センターの女性がワンコを撫でながら
「近くに心当たりはありませんか。ここで見つかるとこんなにいいことはないのですが」
と言ったとき、私の友人が
「ねえ、この子『リョウ』に似ていない?」言われてみればそうだ。
そして私の心にはもう一匹のワンコが浮かんでいた。
「そうだね。それに『ロビン』にも似ていない?」
友人も大きく頷いた。

『ロビン』というのは、ここら界隈で有名な脱走犬だ。
家族にかわいがられているのにもかかわらず急に自由を求めて
自宅の塀を乗り越え、または穴を掘って、ありとあらゆる手をとって脱走を試みる。
そのたびごと、ご家族が捜索を繰り返し、さまざまな場所で保護され
結局迎えにきた家族にしっぽを振って喜んで、家へ帰っていくという犬だ。
「ロビンも10歳を超えてから、脱走も減ったと聞いていたんだけど。
それに、いつもピョンピョン逃げ回っているので、実際に近くで見たことないんだよね」
「そうそう私も。ここにいるワンコみたいに人懐っこいイメージじゃないんだよ。
でもそうかもしれないし、ねぇおまえはロビンなの?」
聞いてみたところで返事をするわけがない。
しかし、まずふたりのこの意見を確かめることにした。
友人がリョウの家へ、私は母に電話をかけてロビンの飼い主さんを確認することに。
そして母に連絡をすると、飼い主さんの家へ行ってくれるとのこと。
こうなったら、総動員であたるしかない。

15分くらいが経過しただろうか。
友人が「リョウも家族も留守中だった。散歩に行っているのかな」残念そうな顔だった。
するとかなり向こうまで見渡せる道の先を見ながら
「あれ、あそこに走ってくるのばあちゃんじゃない?」
私も目を凝らして遠方を見つめると、確かに母がこちらへ向かって走ってくる。
その先を見つめるワンコの様子が違う。明らかに興奮している。
その時、猛スピードの自転車に乗った女性が到着した。
「申し訳ありません。ロビンの飼い主です」
ということは、この子はロビン!
ロビンはというと、そりゃあもう大騒ぎ。飼い主さんに向ってジャンプしている。
そこにいた全員で「やった。よかった」と思わず手をとりあった。
そして息絶え絶えに走ってきた母も合流した。

その後、救出に関わってくださったみなさんに感謝し、それぞれを見送った。
特に友人夫婦にはまた借りができた。いつも私を助けてくれる。大感謝だ。
そして飼い主さんに連れられて帰るロビンを見つめ心から嬉しかった。
さてと、私も帰らなきゃ。
時計を確認すると、この場所に通りかかってから約3時間半が過ぎていた。
あちゃ~。また貴重な休日が終わってしまった。
でも、もし私が通りかからなかったら、そのまま見過ごしてしまったら、
ロビンはそのまま誰にも見つからずに死んでいたかもしれないのだ。
ロビンの命の重さを考えると、
『私のお節介もすてたもんじゃない』と、自分で自分をほめてやった。

しかし、
ロビンは側溝にどうやって入ったのか。
これは永遠の謎だ。

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2009年3月22日 (日)

側溝に犬②

ワンコが道路の下にいることは確認できたものの
いるであろう場所は側溝フタから数メートルの位置。
救助するためには、コンクリートの蓋をいくつもはずす必要性がある。
それに、もし本管部分へ入ってしまったらどうなるのだろうか。
あれやこれや考えていたが、このままでは埒が明かない。
いずれにしても、早く係りの人がきてくれることが望ましい状況には変わりはない。

それから1時間程の時間が過ぎた。
道で立っている私を、行き来する人が不思議そうな顔で見ているのがわかった。
そりゃそうだ。
何もない道に、買い物帰りの荷物を持ったまま、ぼーっと立っているのだから。
さらに近所ということもあり、必ず顔見知りの人がやってくることも避けられない。
話しかけられるたびにある程度のいきさつを話たり
逆に怪しまれない前に自分から話しかけたりしていた。
そうしたところ、仲の良い友人のご主人が偶然通りかかった。
「どうした?」心配そうな顔をして話しかけてきた。
友人の家とは家族ぐるみの付き合いをしているので
私はここぞとばかりに、それまでの状況を説明した。
ご主人は、ワンコのいるであろう場所へ移動し道路に這いつくばって
「ここからじゃあ、何も見えないな」と端の側溝フタをはずして中を覗き込む。
「そういえば、ここ数十分ワンコの声がしないんだよ」思わず不安を伝える。
「お~い、ワンちゃん。大丈夫か~」
道路に這いつくばって溝に頭を突っ込んで叫ぶ。
偶然通りかかった人から見たら、かなり稀有な光景だ。
「キュンキュン、クーン・・・・」
声に反応したワンコの甘える声が確かに聞こえた。
「おお、よかった。早くなんとかしてやりたいな。ちょっと待ってて
彼は私に背を向けて自宅方向へ走って行った。
「もうすぐ係りの人が来るから、大丈夫だから。気にしないで」
背中越しに叫んだが、きっと彼のことだから戻ってくるような気がしながら見送った。

またまた数十分が経過した。
この場所に通りかかかってから、かれこれ2時間30分が過ぎた。
そういえばスーパーから買ってきた食材も持ったままだった。
もうすぐ日が落ちる。
私はいったいここで何をしているのだろうか。
そんなとき、私の横に大きな車が停まり、中から3人が降りてきた。
待ってました。
やっと動物保護センターの人が登場だ。
堰を切ったように状況を説明し、ワンコがいるであろう場所を伝えた。
男性ふたりが車から道具を出し、コンクリートの蓋を開け始めた。
もうひとりの女性が車から、捕獲用の網と綱を用意している。
そのとき、もう一台の見慣れた車が横に停まった。
中から、やはり見慣れたふたりが降りてきた。
「だんなが帰ってきたと思ったら工具を探し出して、『とにかくお前も乗れ』って
言われたから『はい』って乗ってきたのよ。遅くなってごめん」
友人がご主人と一緒に駆けつけてくれたのだ。
彼女の手には、蓋を開けるための工具が握りしめられていた。
嬉しかった。
ひとりぼっちから急に5人の援軍を得て、がぜん元気になった。

蓋をひとつはずすがワンコの姿は見えない。
何をしているのだろうと、ギャラリーも増えてきた。
ふたつ、みっつ、そしてよっつ、ワンコの茶色の後ろ脚が見えた。
そしてもうひとつはずすと、狭い側溝の中に横たわっている姿がはっきりと確認できた。
女性スタッフが首に縄をつけ、引っ張り出す。
出た。ついに救出成功だ。
思わず、拍手と歓声があがった。
それにしても大きい。ゴールデンレトリバーより少し小ぶりくらいだろうか。
あまりの大きさに私以外の全員が驚いていた。
ワンコはというと、元気にしっぽをふっている。多少汚れてはいるが元気だ。
よかった。
しかし、よほど怖かったのかガタガタと震え、皆に甘えてすり寄っている。
それにしても、これほど大きなワンコがどこからどうして
こんな狭い側溝の中に入ってしまったのだろうか。

そして救出した喜びもつかの間、次の課題はこのワンコの行き先である。
これは問題だ。

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2009年3月17日 (火)

側溝に犬①

厄介事に巻き込まれる性質なのだろうか。
ブログネタには事欠かないほどの出来事に遭遇する。
ありがたいのか、そうでないのか。

日曜日、買い物に行った帰り道、いつもは通らない1本西側の道を歩いて帰ってきた。
家から数百メートルの場所に差し掛かったとき、側溝を覗いている女の子2人が
「中に犬がいる・・・」訴える目で話しかけてきた。
以前は”どぶ”だった場所をコンクリートで塞いである所々にある排水用の鉄フタ
(後に調べたら側溝フタ)の下に犬がいるというのか?
そんなはずはないだろうと思っても、聞いてしまった以上ほおっては置けない。
でももしかすると子犬が落ちてしまったのかもしれない等と考えながら
おそるおそる覗くと、どこからどうして入ってしまったのかと思うほど
顔の大きさからいったらゴールデンレトリバーくらいの
大きな犬が側溝にはまっていたのだ。
さあ、大変だ。
これは何とかしないと。

何処へ連絡したらいいのかもわからないので、近くの交番へ行くことにした。
女の子ふたりには、少し待っていてほしいとお願いしてダッシュで向かう。
交番へ着き、状況を説明したところ警邏中の警官が向かってくれるのこと。
それまでその場所にいる約束をして、またダッシュで戻る。
現場へ戻ると、女の子ふたりが側溝フタの上で飛び跳ねている。
嫌な予感がした。
彼女たちも悪気があったわけではないが、驚いた犬は更に進路を進め
すっかりコンクリートの下に入ってしまい、何処にいるのか確認できない。
ふたりには、あとは引き受ける旨とお礼を伝えると喜んで走って行ってしまった。
取り残された私ひとり。

20分くらい経ってから、現場前の家の人が受話器の子機を持って近寄ってきた。
「交番から電話ですが」不思議そうな顔をしながら、子機を渡された。
丁寧にお礼を言って電話に出ると、
「警察官が行けなくなった。動物保護センターの人が向かう」とのこと。
先ほどは聞かれなかった私の名前と携帯電話番号を伝える。
そしてこの場で待つことになった。
電話を持ってきてくれた年配の女性にも状況を説明する。
「困ったわね」と心配そうに聞いてくださり、親切にも一緒に待っていてくれた。
ふたりで推理をしながら、犬が行ったであろう進行方向へ歩く。
犬の大きさからいったらUターンはできそうもないので
大体このあたりにいるんじゃないかと予想し、側溝フタを覗くが、いない。
50メートルほど先に交差点があり、そこまで歩くと地下から水の流れる音がする。
ここで本管と繋がっているようだ。
もし本管へ入ってしまっていたら、どうなるのだろうか。
捜索は難しいどころか、命の保障もない。
ワンコ、無事でいて!
ただ祈るしかない。

必死で一生懸命ワンコを捜しながら、ふと我に返った。
一緒に探してくれている女性は、私のことをどう思っているのだろうか。
だって、こんな狭い側溝に大きな犬がいたといっても、信じられるものではない。
ワンコの姿は私ひとりしか見ていないし、声がするわけでもない。
姿形の確認ができていないものを追って、道路下を探し回っているだけなのだから。
もしかすると「この人、大丈夫なの」と思われているのかもしれない。
それに、動物愛護センターの人が来て側溝フタをあけて発見されなかったら
私って一体、どうなるの?
ワンコの無事を祈る気持ちとは別の不安も募ってきた。

そのとき、
「ワオーン、ク~ンク~ン」と微かにワンコの声がした。
「今、犬の声がしましたね」ふたりで声の方向へ走る。
すると、交差点の脇に沿って曲がったところの側溝フタから声が聞こえてくる。
その側溝フタを覗くと水が溜まっていて、直径20センチくらいの穴で繋がっている。
おそらく、行き止まりになってしまい身動きがとれなくなっているのだろう。
そこから「ワンちゃん、がんばって」と声をかけてみた。
すると「ク~ン、キュンキュン」と甘えたような声が聞こえた。
思わずふたりで顔を見合わせ「よかった生きている」と手を取り合った。
やった、生きている。本当によかった。
私は無事を喜ぶと同時に「いることが証明された」ことに、少しホッとした。

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2009年1月23日 (金)

フクちゃんのその後

数年ぶりに帰館したフクちゃんのその後だが
それまでの分を取り戻すかのように自宅に篭りきりだ。

昼間はじいちゃんの膝の上に乗り降りようとしない。
そのためじいちゃんは、トイレにいくとき以外はずっとフクを抱いた状態だ。
夕方からは居間のストーブ前か、ホットカーペットの上に寝そべる。
頭を撫でると、少しくすぐったいような表情で見上げる。
夜はばあちゃんの布団の中に潜り込む。
ばあちゃんの脇にへばりついて眠りに付く。

昼間はいない私たちと違い、1日中一緒にいるじいちゃんとばあちゃんは
「まったく大変だよ。赤ちゃんに戻ったみたいだね。何処へ行くにもついてくる。
それに全く外へ出ない。変われば変わるものだなぁ」
と言葉の内容とは逆に、嬉しそうに目を細めて話す。

帰館してからのフクは以前とは全く違う様子に変わった。

他の猫の反応も心配だった。
多くの猫は我が強い性格なので、
自分のテリトリーに誰かに入られることを嫌う傾向が強い。
それでも子猫のときは受け入れられやすいのだが、大人になると難しい。
今回のように、突然帰ってきたフクに対して
他の猫たちがどのような反応をとるのかは、全くわからなかった。
元々いる猫たちにもフクにも可愛そうな状況にはならないように祈っていた。
しかし、フタを開けてみると
チョビばあちゃんは、いつも通りのマイペースを貫き
小麦も始めは少しおっかなびっくりだったが、直ぐに慣れ
同じオス通しで喧嘩するんじゃないかと一番心配していた文太郎も横を素通り
家族の心配は一切無用で、ホッ胸を撫で下ろした。
「猫は4匹飼っています」と胸を張って言えるぞ。やった!
そう思った矢先、今朝方のことだった。

フクちゃんが死んだ。

ばあちゃんの布団の中で突然痙攣をはじめたフクの体
慌てて、じいちゃんを起こす
どうすることもできず、ただ見守るだけ
時間にすると数10分、あっという間の出来事

フクは大好きなじいちゃんとばあちゃんに抱かれて
息を引き取った。

今思えば、フクは自分の身に何かを感じていたのだろう。
だから帰って来た。そして家から一歩も出なかったのだ。
他の猫たちも、フクに対して何かを感じていたのだろう。
だから何も言わず見守っていたのだ。
実は私たちも、ここ数日のフクの様子から、良からぬことを考えていた。
ただ、認めたくなかった。

ほとんど苦しまずに逝ったフクの顔は穏やかだった。

最期が看取れてよかった。
どこかでひとりで死なせずにすんでよかった。
そしてよくぞ帰って来てくれた。
心から、そう思った。

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2009年1月19日 (月)

数年ぶりの帰館

現在うちには、犬1匹(魁丸)、猫3匹(チョビ、文太郎、小麦)がいる。
しかし「猫は3匹飼っている」と自信をもって言えない。
本当はもう1匹、福太郎・フクちゃんという猫がいるからだ。
フクちゃんは茶トラのオスで息子が小学生の頃、公園から拾ってきた猫だ。
体が大きくふてぶてしい顔をしているので強そうに見えるが
実は意気地なしで甘えん坊、とても優しい性格をしている。
ゴロゴロと喉を鳴らしながら擦り寄ってきて
無理やりに膝に乗ってくる強引なところもある。

今まで飼っていたオス猫の傾向を客観的に見ると、どうも放浪癖があるようだ。
メス猫は家にべったりといることが多く、外出しても直ぐに戻ってくるが
オス猫は2~3日家をあけることなどしょっちゅう。
始めの頃は心配で探し回っていたが、慣れというのは恐ろしいもので、
そのうち2~3日では心配しないようになった。
歴代では最高2週間程放浪して帰ってきた記録がある。
何処へ行くのやら、探知機をつけてみたいといつも思う。

文太郎にしても認知している別宅が3軒ほどあり、それらの家を渡り歩いている。
特にお気に入り宅の小学生のお嬢ちゃんから
「ブンちゃん、今うちで寝てるよ」と報告を受けることも度々だ。
始めのうちは「これだけ可愛がっているのにどうしてだろう」と不思議だったが
途中から習性だと気づくと「そんなもんだ」と諦めた。
結局夜は家に帰ってくるので、彼は我家と認めているのだと思うことにした。

しかしフクちゃんの場合は少し違う。
今から3年くらい前から、ぱったりと家に帰ってこなくなってしまったのだ。
いつも通り家族は接していたし、他の猫にいじめられた形跡もない。
突然のことで何が理由なのかは今もわからない。
今までも、残念ながら外で亡くなってしまった猫もいる。
(そういった場合も帰ってこれるよう、うちの猫は皆首輪に連絡先をつけてある)
亡くなってしまったのなら帰って来れないのも仕方ないが
フクちゃんは元気で生きているのだ。
そして、これ見よがしに家の前を素通りしてどこかへ行ってしまうのだ。

さて彼は何処へ行っているのか。
300メートルくらい離れたところに、猫好きのご夫妻が住んでいる。
どうもそこのお宅へ通い始めたのだということがわかった。
そちらのお宅でも、うちが飼い主だということは分かっている。
でも擦り寄っていけば可愛がってくれるのは当然のこと。
そのうち、歓迎され、餌をもらい、寝床を用意され、優しくされetc
フクちゃんとしたら、他の猫や犬のいるわさわさした家と
方や、自分だけを可愛がってくれる家のどちらがいいかといったら
そりゃあ私でも後者を選ぶだろう。
というわけで、別宅は本宅へと代わり、全く帰ってこなくなってしまったのだ。

うちとしても彼の意思を尊重したが、そちらのお宅に迷惑をかけるわけにもいかない。
婿に出したような、はたまた下宿させてもらっているようなつもりで
出来る限りキャットフードを届けたりして交流を図っている。
もちろん、フクちゃんの治療費や入院したときの費用は我家の負担。
言わば、我家に住んでいないが住民票だけはおいてある放蕩息子のようなものだ。

こういった生活が始まって早数年が経った先日、突然フクちゃんが帰ってきた。
この『数年ぶりの帰館』の理由も謎だ。
きっかけは彼が入院したことしか思い当たらない。
散々放浪の旅を続け、自分の気ままに過ごしてきた放蕩息子は
体調を崩し入院したときに、自分のこれからを考えて淋しくなったのだろうか。
病気自体は生き死にに関わるようなたいしたものではないのだが
生来の気弱な性格から、ふと家に戻りたくなったのかもしれない。
そして少し落ち着いてみようと、自分勝手に思ったのかもしれない。

それから彼は家の中に篭って出て行こうとしない。
彼のそぶりは、数年いなかったとは思えない馴れ馴れしい態度だ。
まったく、手のひら返してなんて奴だ。
いい迷惑なのは別宅の飼い主さんだ。本当に申し訳ない。

なんかフクちゃんて、テレビで描かれる山下清さんみたい。
ということは、彼の放浪の虫がいつ動き出すのかはわからないというわけで・・・
ご用心、ご用心。

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2008年9月 8日 (月)

猫のチョビ

手のひらに乗るほどの大きさの割には元気な声が印象的なメスの子猫だった。
発見されたのは小学校の校庭で、近所に住んでいる小学生が拾ってきたのだが、
家で飼うことが許されず、巡りめぐって我家に落ち着くこととなった。
これが、拾ってきた小学生が名付け親となった『チョビ』との出会いだ。

獣医さんへ連れて行ったところ生後2日~3日、数多くの子猫を育てているが
これほど生後間もない子猫を母猫がいない環境で飼うことは初めてだった。
当時は現在ほどペット関連商品が揃っていなかった為、哺乳瓶もままならない。
試行錯誤の末にスポイトを使ってミルクを飲ませた。
排便もお母さん猫がやるように、脱脂綿でお尻を刺激して促した。
 (後日談だが、片手でチョビの両脇を支え、もう片手で刺激を与えることにより
  数日後から人間のトイレで排便をさせていた。これが気に入ったチョビは、
  生後半年になっても家族の超過保護の下にトイレを済ませていたが、
  チョビの急激な体重の増加に伴い、この方法はやっと改善された。)

家ではこれまで、大抵複数の猫を一緒に飼っていたが、
それまで飼っていた猫が老衰で亡くなったことのショックと
新しい出会いがなかったことが重なり、珍しく家に1匹も猫がいない状態だった。
そのため家族全員の愛情が、チョビに集中することになった。
食卓へ身をのりだしても怒られるどころか、各自がおかずを分けてやる始末。
お菓子も大好きで、スナック菓子、特にポテトチップが大好物。
チョビのためにポテトチップを購入する者まで現れ、蝶よ花よと育てられた。
まさに獣医さんが唱える「一番ダメな飼い主と飼育方法」が実践されていた。
そんなこんなだから、彼女には自分でも猫という意識がなかったのだろう。
人に媚びない、気に入らないと爪を出して威嚇する・家族でも噛む、
他の猫と仲良くなれない(なりたくない)、自由気ままに過ごしたい・・。
白地に黒の斑模様、体のしなやかさと見た目の美しさも相まって
例えるなら『気高い我がままな深層の令嬢』のイメージで成長していった。

そのチョビも17歳。人間の年齢だと80歳をゆうに超えている。
近頃はめっきり性格もまるくなり、ゴロゴロとのどを鳴らして擦り寄ってくるなど
可愛らしいおばあちゃんに変わってきた。
変わってきたのと同時期に、体も衰え食事の量もめっぽう減った。
魚を煮たり、肉をゆでたりと、ありとあらゆることを試したが効果は少ない。
そうなると動物の衰えは早く、みるみると衰弱していくのが目についた。
このままではこの冬は越せそうもない。
東京にいる妹にも連絡し「チョビちゃんには今度来るときは会えないかもしれない」
と家族みんなで別れが近づいていることを覚悟した。
そしてチョビにとっての最善の方法を獣医さんに相談した。

診断の結果、原因は『歯』だった。残っている歯が原因で食事が食べられないのだ。
動物は歯が衰えると生きていけないことがよく分かった。
普通、チョビの年齢ならば内臓も悪くなり歯を治療するだけの体力がないというが
彼女の場合は大丈夫と太鼓判を押してもらったので、思いきって手術を選択した。
処置は全部の歯を抜くことだった。
驚いたことに歯が全部なくても食事の内容によっては問題ないらしい。
逆に今の痛い状態より、そのほうが楽だということだった。
そうと聞いたら『善は急げ』 次の日に手術は行われた。

本日で術後1週間が経った。
現在のチョビの様子はというと、食欲も出てきて目つきも変わってきた。
それと同時に、以前の気高い我がままな性格も戻りつつある。
昨日は傍を通っただけでひっかかれた。
痛いのだが、これも元気になった証拠だ。よかったよかった。
チョビ、この冬を越せそうもないなんて勝手に思って本当にゴメン。

「ばあちゃん、これこの前のチョビの治療費?」
置いてあった明細を見た息子が、目を丸くしてばあちゃんに訊いていた。
「俺が今までかかった病院の治療費合計より多いんじゃない」
はい、その通りです。
でも命が救われるなら、って思ってしまう。

というわけで、是非もとを取ってもらうためにも、チョビには長生きしてもらわないと。
まずは3年、『目指せ20才』が当面の目標だ。
そして次の目標は3年後にもう一度立てるとしよう。

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2008年4月 7日 (月)

にがうり茶とバジルパウダー

じいちゃんが家庭菜園で野菜を栽培しているので、
いつも美味しい野菜を食べることができて大変ありがたい。
本来、野菜は季節や天候に左右されて採れるものだから、
日によっては家で食べきれないほど収穫される。
そのため、じいちゃんの野菜は隣近所、少し離れた知人にまで行き渡る。
皆さん大変歓んでくれるので、じいちゃんの畑仕事も年々力が入ってきた。

しかしそこは素人、歓ばれる=たくさん栽培=採れすぎ』がもたらす悲劇もある。
昨年の夏は1日に「にがうり」が10~20本も採れ、それが1ヶ月以上続いた。
始めのうちは喜んでいた家族も「にがうり料理」が1週間も続くと、さすがに飽きてくる。
ご近所に知人に、遠くの親戚に送ったが、もらう側にも限度がある。
始めは勢いのあったおすそ分けも、
電話で「よかったら、にがうりもらってくれない?」と無理な営業へと変わり、
挙句の果てには、引き取り手を探す「お願い」にまで格下げされた。

しかし、食べ物は粗末にはできない。あの手この手で食べ方を考える。
チャンプル、おひたし、みそ焼き、サラダ、ステーキ、ジュースと、
ありとあらゆる料理法が試された。
どれも美味だが、他にもないだろうか。
このままでは夏中にがうり料理しか食べることができない!
切羽詰って気がついたのが、干す』ことだった。

にがうりを細かく切り天日で干す。
2~3日でからからになるので、それをもう一度電子レンジで乾燥させビンに詰める。
電子レンジにかけることで殺菌効果も加わるので一石二鳥だ。
乾燥させたものに熱湯を注ぐと、にがうり茶になる。
炒って少し塩を振るとスナック菓子のようになる。(ビールのつまみに合う)
水で戻して使うと、季節外れのゴーヤーチャンプルも味わえる。
これは自分で言うのもなんだが、素晴らしいアイディアだ。

こういった乾燥方法は他でも活用している。
じいちゃんにバジル栽培をリクエストし、それを上記と同じ方法で乾燥させ
乾燥したらビニール袋に入れ細かくパウダー状にしビンに保存する。
このバジルパウダーは肉料理、魚料理、パスタへと利用できる優れもの。
近所での愛用者も多く、なくなると空のビンが家に届くシステムだ。
他にも、しそパウダー、パセリパウダー等、応用も可能である。
休みの日はこんなことをして過ごすのが幸せだ。

先日、妹が携帯でとったワンショットを私に見せてくれた。
「ねえ、かわいいでしょ。」
見ると物干しに置いてある見慣れたコンテナの中で寝そべっている”こむぎ”。
無防備にお腹を出して上を向いて寝ている姿は、とても愛らしい。
かわいいねえと話をしながら、ふと気がついた。
このコンテナは、もしや・・・。
私が、にがうりを、バジルを、そしてしそを乾かしているコンテナじゃないかい。
おいおい、こむぎちゃん。
そろそろ春になり使おうと思って洗って乾かしておいたのに。
まさかこむぎのベットになっているとは。
妹が洗濯物を取り込むときに見つけたこむぎの姿を
たまたまカメラに収めていたから発覚したからいいようなもの、
知らずにいたら、そのまま使っていたかもしれない。(いいや、使っていた)
よかった。
ほっと胸を撫で下ろした私だった。

ちなみに、その後もこのコンテナはこむぎ+チョビがベットとして愛用のため
新しいコンテナを購入し、現在は安全な場所へ保管中であるので、あしからず。

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2008年1月 7日 (月)

犬の『しんべヱ』

以前、『しんべヱ(シンベエ)』という名前の犬を飼っていた。
うちは家族全員、無類の動物好きで、
私がもの心ついてから、家に犬と猫がいなかったことはなかったほどだ。
みんな可愛くて思い出深いが、その中でも特に忘れられないのが
犬の『しんべヱ』だ。

しんべヱとの出会いは、動物愛護センターでの里親探しだ。
(うちで飼う犬・猫は、野良か捨てられていたというのが定番である。)
尻尾を振って寄ってくるほかのワンコ達とは対照的に、
一匹だけ柱の横からオドオドとこちらをうかがっていたのが、しんべヱだった。
私たちは「この子を連れて帰らなきゃ」と直感し、しんべヱは家族の一員となった。

生後2ヶ月のしんべヱは、元気はいいのに何故か食べたものをすぐに吐いてしまう。
病院にいっても原因は分からず、体重も一向に増えない。
バリウムを飲ませレントゲンを撮って初めて、内臓奇形のワンコだと分かった。
 (この時、しんべヱはバリウムをおかわりしたという、
  飼い主には恥ずかしい、獣医さんはじまって以来の伝説をつくった。)
病名は『巨大食道症』初めて聞く病名だった。
それは、食道が伸びていて食べ物が胃に入っていかないという内臓の奇形で、
「もってあと3ヶ月です。それ以上生きている症例はありません。」と、
病名と共に死の宣告を獣医さんから受けることとなった。
しんべヱを抱きしめて、待合室で人目もはばからず、息子とワアワア泣いた。
その時私は「症例がないならつくってやる!」と強く思ったことを覚えている。

それから、家族総出で分担し、3時間おきの食事が始まった。
5粒ほどのドックフードをお湯でふやかし、食べさせると立て抱きをし、
背中をトントンと軽く叩く。(丁度、あかちゃんにゲップをさせるように)
そして徐々にドックフードの数を増やし、体重も少しずつ増え、
死の宣告の3ヶ月を過ぎたときには、みんなでカウントダウンして万歳をした。
「私たちの手で一日でも長生きさせるんだ。」と、
家族みんなで涙ながらに誓ったものだった。

そしてしんべヱは、それから10年も長生きすることができた。
奇形が治ったわけでも、よくなったわけでもないのに。
「生きていることが奇跡です。」と獣医さんにも褒めていただいた。
しかし、しんべヱが生きていることは奇跡ではなく、紛れもない現実だった。

しんべヱは周りの皆に愛されて、寿命を全うした。
やはり、時々「吐く」ことはなおらなかったし、辛かったと思うが、
きっと幸せだったと、私は信じている。

楽しいことが殆どだったが、実は少し辛いこともあった。
なんと、しんべヱの体重のマックスは18キロ。
小さな頃からの食事の後は抱っこが当たり前の条件反射になっているので、
食事が終わったと同時に、膝に飛び乗るしんべヱ。
18キロのワンコに思い切り飛びつかれ、持ち上げて、ぎっくり腰になった私。
重い、痛い!(ウッウッ)

しんべヱと過ごした日々は、今でも素敵な思い出だ。
しんべヱと出会えたことに、今も感謝している。

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