2009年10月 4日 (日)

便利になったもんだ

銀行窓口の営業時間は、大体が9:00~15:00である。
もろに仕事時間と重なる私にとっては、
手続き等で訪れるのは、かなり厳しい状況だ。

金銭の授受は、ATMという便利なものがあるので
手数料を払う気になれば、ほぼいつでも使えるようになった。
そして公共料金の支払い等は銀行引き落としにすればよいので
こちらも問題はない。

差し迫って一番困るのが、通帳がいっぱいになり新しい通帳に更新するときだ。
長い間記帳していなかった付けが回り、まとめてしたものなら
ジジジジジジーーーーーーーーーと
機械の記帳音が長く続く。
挙句の果て「通帳がいっぱいですので窓口まで」なんて、
機械のお姉さんに誘導されてしまう。
しかし、窓口業務は終了後。
結局そのまま。
終了した通帳を手に、時だけ過ぎていくのが常だ。

先日も、同じ状況だった。
通帳を確認したところ、あと2行しか残っていない。
「まずい」と思いつつ、通帳をATMに入れ
『いつ手続きに来れるだろうか』と予定を頭の中にめぐらせた。
すると、機械の音がいつもと違う。
ウィ~ンウィ~ン言っている。
故障だろうかと心配になったが、そうでもなさそうだ。
何やら考えているようにも思えなくもない。
『ぎりぎりの通帳なんか入れたから
どうしたらいいのか迷っちゃったのだろうか。ごめんね、ATMさん』
そんなことを考えながら待っていると
「更新の手続きをしておりますので、しばらくお待ちください」
機械のお姉さんが、お辞儀をしながら優しく言った。

え-----!
窓口に進まなくてもいいんだ。
ATMが新しい通帳を作ってくれるの?
終了後の通帳はどうなるの?
それより、いったい何が起こっているの?

ぐるぐるまわる疑問は、数分後に解消された。
更新された新しい通帳がATMから渡され
次に、終了の処理をされた古い通帳も手元に戻ってきた。

便利になったもんだ。
つくづく思った。

私たちを取り巻く、サービスの進歩は目覚ましい。
利用者がより使いやすいよう、日々変化している。
ATMに限らず、他のサービスしかりだ。

しかし、機械にめっぽう弱い私には、いまひとつピンとこない。
今回も
「ホントは、機械の裏におじさんがいたりして…」
こう思ったのは、私だけ?

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2009年9月26日 (土)

ドラクエ攻略にみる『自我状態』

私のゲーム好きは知人や学生の間では周知の事実だが
よそいきの講師の顔だけをご存じの方には、意外に思われることがある。
先日も、交流分析の師匠(?)から、
ドラクエのうんちくを傾けて語っていたところ怪訝な顔をされたので
ここはひとつ、ゲームと交流分析を絡めて書いてみることにした。

ドラゴンクエスト作戦コマンドの中に
主人公(自分)以外の操作を変えることができる機能がある。
主人公は自分自身なので、当然ゲームを進める本人が操作するわけだが
一緒に旅をする仲間をオート操作できるというものだ。
この機能を使うことで、面倒な操作を省き、時間の短縮につながることもある。
①ガンガンいこうぜ…現在できる最大攻撃を駆使し、できるかぎり早く敵を倒すよう戦う
②バッチリがんばれ…攻撃と回復の両方に気を配りバランスよく戦う
③いろいろやろうぜ…言葉とおりいろいろやり、何が出てくるかわからない戦い
④いのちだいじに…回復や防御に気を配り、とにかく味方が死なないように戦う
⑤MPつかうな…魔法等を使うと減るMPを温存し、道具や普通攻撃のみで戦う
⑥めいれいさせろ…主人公と同じように仲間もすべてプレーヤーの指示で戦う

そして、自我状態とは
CP…支配的な親(がんこなおとうさんのイメージ)
NP…養育的な親(面倒見の良いおかあさんのイメージ)
A…成人(冷静で理論的なおとなのイメージ)
FC…自由な子ども(元気でのびのびした子どものイメージ)
AC…順応した子ども(穏やかで遠慮がちな子どものイメージ)
以上5つに分けられる。
この自我状態を図にあらわしたものが「エゴグラム」
個々のキャラクターを目で見て理解する道具として使われている。

ゲームのコマンドと、自我状態に関連があるのかって?
コマンド設定にもプレーヤーの性格が如実に表れる、と思う。
以下、私個人の主観のもとに分析してみた。

①「敵をとにかく早く、ガンガンやっつけたい」CPが高い人が好みそうだ。

②「全体に気配りをし効率よくバランスよく進めたい」Aが高い人が好みそうだ。

③「何が出てくるかわからないところがおもしろいじゃん」FCが高い人が好みそうだ。

④「味方を死なせるものか、皆で仲良く行きたいわ」NPの高い人が好みそうだ。

⑤「何かあったら困るからMP温存しておかないと」ACが高い人が好みそうだ。

そして、「⑥めいれいさせろ」は
言葉の意味からすると、上からモノを言っているのでCPが高い人だと思われるが
『味方全部を操ることにより、一番効率的で無駄のない戦い方をしたい
機械に任せずに、自分で考えたデータをもとに進めたい』
という、最もAが高い人が好む方法だと、私は強く思う。

さて、私の好みのコマンドはというと
内緒にしたほうがよさそうだ。

今回は独断と偏見で、ドラクエ攻略にみる『自我状態』と題し
自分なりに分析してみた。
いや~、おもしろい。
ほんとは、もっともっと書きたくて長い論文にしたいくらいだが
著作権と皆さんの批評が気になるので、これぐらいにしておこう。

実はその他にも、
「ドラクエからみえる人生態度」
「ロールプレイイングと人生脚本」
「ゲーム主人公の人生脚本」
いろいろ書けそうなんですけど
これを本論文にしたら、間違いなく却下されるだろうなぁ。

師匠、いかがでしょうか?

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2009年9月12日 (土)

ペースが乱れる

セミナーの途中で入ってくる受講生
突然鳴り出す携帯電話の着信音
些細なことでも、話している最中の出来事は
ペースが乱れるものだ。

講義を始めたばかりの頃は、元のペースに戻すために少々時間がかかった。
そのたびに、思い出し、落ち込み、反省し、
「どうすればよかったのか」を繰り返し考えることで乗り越えてきたように思う。
人間というものは結構強いもので
一度遭遇したことは、以外に冷静に対処できるようになる。

そうやって数々のハプニングを経験することで講師としての実績を積み重ね、
臨機応変な対応ができるようになるのではないだろうか。

この頃は、めったなことでは驚かなくなった。
話の腰を折られて、何を話していたのかわからなくなっても
最初の頃の私は、ドギマギしながら、ただただ忘れてしまったことを謝っていたが
最近の私は
「どこまで話したか忘れちゃった。ごめん。○○さん、どこまでか覚えてる?
おお、その話ね。思い出した思い出した。ありがとう。あはは」
なんて、話を続けることができるようになった。または、
「もう、○○君が話の腰を折るから、どこまで話したか忘れちゃったじゃん」と
人のせいにまでする始末。
これじゃあ臨機応変ではなく横暴だとお叱りを受けそうだが
一応、言っても大丈夫だろう人を選択しているので、あしからず。

しかし、さらに予想もしなかったようなことに見舞われることがある。
先日の講義で受講生の中年男性がいきなり
「あんた、説明下手。私の知り合いは社長ばかりだから話がうまくて・・」と話し始めた。
下手と言われたものの、あまりいやな気持ちはしなかった。
「そうですか、わかり辛かったですか。ごめんなさい」と心から頭を下げた。
私のその反応に、その男性も、ほかの受講者も驚いたようだった。
そのとき私が一番にしなくてはならないのは、元の講義ペースに戻すことだった。
近くにいた女性が
「あんた、何言ってるの。わからないのはあんただけ。先生を困らせて楽しいの?
わからなかったら出て行けば」と強い口調で言った。
ほかの受講生も、うんうんとうなずいている。
本音ではうれしかったが、男性を見るとうなだれている。
実は講義の最初から、一風違う雰囲気を持った人なので注意はしていたのだった。
(最近、こういう雰囲気を持った人が多くなっているように思う)
もしかすると、この男性は発言することで、
みんなの注目を集めたかっただけなのかもしれない。
私の少し怒った様な反応を見たかっただけなのかもしれない。
うなだれていることから見ても、それほど大意なく言ったことだったのだろう。
それに、わざわざ講義に出てきてくれた受講生の皆さん全員に
少しでも「よかった」と思って帰ってもらいたい。
「みなさん、申し訳ありません。私の説明不足な講義で、ご迷惑をおかけしました。
これからの話は、皆さんにご理解いただけるように進めることを努力します。
もし、わかり辛ったら、遠慮なく声をかけてくださいね」
特に最後の部分は、下手といった男性に向かって
眼差しで『この後の講義の参加を、どうしますか?』という意味を込めて言った。
男性は怪訝そうな顔をしながらも、軽く頷いてくれた。

その後、講義は無事終了、その日のアンケートでは
私の対応に好意的な意見が多くて安心した。
そして、当事者の男性は「自分は嘘はつけない人間なので・・」
と延々と言い訳を始めた。
男性は、きっと誰かと会話がしたかったのだ。

しかし、話が長い。う~ん、このままだと、まだまだ帰れない。それも困る。
「ご忠告をありがとうございました。私も自分の話し方を反省するきっかけになりました。
○○さんは、ずいぶんとご経験があるようですね。
次の講義は私の変わりにやっていただけませんか?」
ちょっと意地悪なことを言ってしまった。
「いえ、遠慮します」
と言いながら、男性は小走りで去っていった。

さて、どのような対応が最善だったのか。
今も答えはわからない。

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2009年6月 6日 (土)

卵を割ったことがない女子高生

以前、面談した30代女性の話だ。
「私、高校の調理実習の時、生卵をどうやって割るのかわからなかったんですよ」
フフフと笑いながら言った彼女の言葉の意味が、始めはよく理解できなかった私。
どのようにリアクションしたらよいのか戸惑い「そうだったの」としか言えなかった。
「そうなんです。おかしいでしょ。だから、私は娘には同じ思いをさせたくないんです」
今や一児の母となった彼女が、キッとした眼をして力強く答えた。

彼女は裕福な家庭に生まれ、小さな頃から何不自由なく育ってきた。
ご両親の可愛がりようといったら、目に入れても痛くないほどで
他と比べようのなかった彼女にとっては、それは当り前のことだった。
特におかあさんの接し方は、過保護「超」がつくほどで
何から何まですべて先回りして整えてくれたそうだ。例えば、

『学校を卒業するまで、自分で明日の持ち物を揃えたことがない』
つまり、明日の予定をお母さんがチェックして
次の日の教科書・ノート、給食袋、体操着といった持ち物
はたまた鉛筆削りから、足りないものの補充までしてくれていたので
帰ってくると鞄をおいて、次の日はそのまま持って行けばよかったそうだ。
ということは逆もあり、汚れたものは自分で出さなくても
知らない間に新しいものに変わっていたという。

『学校の提出物もほとんど自分でやったことがない』
明日、家庭科の提出物があるとすると
お母さんが以前から用意して作ったものを提出していたそうだ。
そのため彼女は成績がとても良く、きっちりした生徒という評価を受けていたという。

卵を割ったことがない女子高生だった』
生卵を食べるときは、お母さんが卵を割って、カラザをとり、醤油を入れて混ぜ
ご飯の真ん中をへこませて、卵を流しいれた状態で食卓に出してくれたという。

以下、比較として我が家の状況を列記してみよう。

『学校を卒業するまで、息子の鞄を開けたことがない』
つまり、計画帳をしっかり書いてこない息子は何を持っていけばいいのかわからず
毎日、同じクラスの幼馴染に電話をして持ち物を聞く。
そのうち慣れっこになって「聞かなくてもいいや」と電話もせず、忘れ物が始まり
状況はエスカレートし忘れ物チャンピオンに輝く。
「忘れてもなんとかなるさ」と、とんでもない根性だけが養われ
規則を守れない、いい加減なだらしのない生徒という評価がつけられる。

『学校の提出物があることなど全く知らない』
提出物どころか、学校からのプリントさえ持ってこない状況のため
息子の様子がさっぱりわからない母親。
見るに見かねた友人が、「来週の○曜日に参観会だよ」というように
これからの予定を逐一連絡してくれる。
特に家庭科等の提出物については息子から
「手伝ってほしい」ようなことを言われたことが一度、うっすらと記憶にあるが
「私の提出物ではない」と拒否したため、二度と頼まれることはなかった。

『生卵を食べたい人は自分で用意』
生卵?冷蔵庫に入っているよ。醤油?同じく冷蔵庫にあるでしょ。
入れ物?どういったものが使いやすいか自分で考えて用意しなさい。
カラザがとれない?それも栄養なんだから、そのまま食べちゃえばいいの。
そうそう、ぐるぐるってかき回せばわからないから。

調理実習で卵が割れなかった彼女に友人が大爆笑しながら
「全く、お嬢さんだから仕方ないなあ。さあ、やってみようか」
と、卵の割り方を教えてくれたそうだ。
彼女がしみじみ言った。
「ものすごく情けなかった。そして友人に感謝しました。
もしあのとき友人が大爆笑してくれなかったら・・・どうなっていたのかなぁ」

その後彼女は「このままではいけない。自分が変わらなくては」と心から思ったそうだ。
就職してからも一般常識がわからず、とても苦労したと話しを続けた。

「でも、その時、気がついてよかったね。
それに、素晴らしい友だちがいてよかったね」

「はい」とニッコリと笑った彼女の笑顔がまぶしかった。

相手のために良かれと思ってやったことが
度を過ぎてしまうと逆に相手のためにならないこともある。
しかし、あまりにもやらなさすぎることも、よくはない。

話を聴きながら、自分のことを振り返って反省した一日だった。

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2009年5月11日 (月)

上司からもらった大切な言葉

私にも仕事を始めたばかりの『新人』の頃があった。
それから幾つもの、幾つか忘れてしまうほどの季節が通り過ぎ
「えっ、先生にも新人時代なんてあったの」
と目をまん丸にして真っ直ぐに言った学生の一言が胸に突き刺さる今日この頃。
ふう、そんなに年をとってしまったのかしら。

なぜかしら小さな頃からひねた子だった。
中学まではそれほどでもなく、まだいたいけだったと思うが
高校時代に今の私の性格がほぼ出来あがったといえる。
女子高だったことも幸い(災い?)し、リーダーを任されることが多く
身長も高かったので、クラスでは共学での男子のような役割を担っていた。
いつも誰かに頼られていたように思う。
また、一般的な群れる女子高生の行動
何処へ行くのも一緒、トイレまで一緒に行くなんて私には理解不可能だった。

就職してからもこのスタンスは変わらず、同年代の女子とはあまり群れず
(注:仲が悪かった、協調性がなかったわけではないのであしからず)
ひとりで行動・食事することも全く苦にならなかった。
そのため同じ年代の女子社員の中では稀有で男子社員に近かったかもしれない。

直属の上司は厳しいが、仕事に対して信頼のおける人だった。
気配りのできる方だったので、きっと気がついたことはたくさんあったと思うが
嫌味を言うわけでもなく、寡黙に私たちを見守ってくれていた。

となりの部署に同じ年代の女子社員がいた。
彼女は見るからに女の子、フリフリのワンピースがよく似合う可愛らしい女性だった。
わからないことがあっても
「えっ、うっそ~。わたし生まれてなかったからわっかんな~い」
とニッコリ言えば許されてしまう。
かわいさに若さがプラスされれば、そう、怖いものなどない。
私は彼女をいつもはために見ながら
自分には決してもちえない彼女の魅力に軽く羨ましい気持ちと
そして、彼女が嫌いなわけではないのだが、少し疎ましい気持ちが混在していた。

あるとき、部署の人たちで雑談をしていたときのことだ。
私が生まれる以前の有名な事件についての話になった。
「そういえばこの事件のとき、まだ○○は生まれていなかったんだよな。
うわ~、年代の違いを感じるな、俺なんて記憶があるからな」
私の年齢を引き合いに出して、先輩社員が言った。
『そうなんだ。ひねているとはいえ、私も若いんだ』
改めて若さを強調されて嬉しくなった私は、
「そうなんですよ。この事件は私の生まれる前のことなので、わかりません」
と隣の部署の子のようにはいかないが、精一杯ニッコリ笑って言った。(と思う)

それからかなり時間が経った。
私は自分が言ったことなどすっかり忘れていた。
たまたま部署に上司とふたりきりになった。優しい眼差しで上司が言った。

「わからないこと、知らないことがあることは恥ずかしいことではない。
しかし、威張って言えることではないんだ。
わからないと堂々ということは恥ずかしいことだと、君には思ってほしい」

私はこの言葉を聞いたとき、頭から雷が落ちたような衝撃を受けた。
あのときの私の言動の中に「若いんだから仕方ないでしょ」
という気持ちがあったことを見透かされていたショックと
自分の未熟さに対する恥ずかしさと情けなさでいっぱいだった。

今でも頻繁に思い出す。
新人時代に上司からもらったとても大切な言葉だ。
この言葉は私が初心を忘れない原動力だ。
そしてこの言葉を言ってくれた上司に、今も深く感謝している。


今年の新人研修でも、真剣に取り組む若々しい皆さんとの出会いがたくさんあった。
彼らにとって一番大切な時間を共有できた感謝の気持ちと
ほんのすこしでも彼らの中に何かを残すことができていたら・・・
こんなに嬉しいことはないのだが。

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2009年4月28日 (火)

新幹線14号車

4月に入ってから、何回新幹線を利用しただろうか。
通勤までとはいかないが、月の半分以上は乗った計算だ。
近年『禁煙車両』も増え、乗り心地もすこぶる良い。

私はたいがい行くときに往復切符を買ってしまい
帰りは余裕をもって乗車できるように心がけている。
また、新幹線で座れないのはとても辛いので
帰りは、東京発を1本遅らせてゆったり座って帰ることも多い。
30分くらい到着は遅れるが、本を読んだり、仕事をしたりと
わざと遅れて時間を利用している感もある。

しかし、たまに品川から乗車するとそうはいかない。
特に『ひかり』は自由席が1号車から5号車までしかないので
自由席に座れることは、あまりない。
そういったときには窓口であらかじめ指定席分を購入し乗車する。
贅沢なのかもしれないが、年齢を考えるとそうも言っていられないのだ。

先日も品川駅から乗車することになった。
山手線との乗り換えにつながる改札は、
丁度、東海道新幹線の先端部分に近い場所に位置する。
手前に窓口があるので購入した切符を出した。

「申しわけありません。今から一番早く乗れる新幹線の指定席をお願いします」
すると、窓口のお兄さんがにこやかな笑顔で対応してくれた。
機械を操作して座席を調べている。
「追加の料金は500円です」
『500円余分にかかるが、ゆったり座れると思ったらいいよな』
などど思いながら、1000円札を渡す。
新しい座席の記入された切符が渡された。
「はい、こちらです。座席は14号車の12番Aです。
発車は今から3分ありませんのでお急ぎください」

『3分ない、間に合うのか』
一瞬思ったが、躊躇している暇はない。

それからお釣りの500円をお兄さんから奪い取るように受けとり、
慌てて改札を通る。
走りながら財布を鞄にしまい、パンプスで通路を走る。
利用したことがある人はよくご存じだと思うが
品川駅の改札からホームへ降りるエレベーターまでも結構な距離がある。
すでに1分は経ってしまった。
やっとエレベーターに乗り、余裕がないので歩いて降りる。
このエレベーターも結構な長さがある。
さらに急なので、こけそうでこわい。

やっとホームへ着いたらアナウンスが。
「新幹線ひかり号、間もなく出発です」
ベルが鳴る。
やばい!これはここから乗るしかない。
私はとにかく指定席を購入した新幹線に飛び乗った。

乗った途端にドアが閉まる。
3分どころか、2分もなかったんじゃないのか。
でも無事に乗ることができてよかった。
とはいっても、ここは何号車、えっ、2号車?

それから私は、指定の14号車まで延々と歩いた。
新幹線は15車両なので、ほぼ端から端まで歩いたことになる。
3号車の喫煙席を通り、混雑している自由席を抜け
グリーン車をびくびくしながらとおり抜け、途中で車内販売のお姉さんとすれ違い
そして指定席の喫煙車もとおり、やっと私の指定座席にたどり着いた。

ふう。やれやれ。
いくら一番早く乗れるといっても、年齢も考えてほしかったなぁ。
そっとぼやきながら腰をおろした。

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2009年4月12日 (日)

早朝の新幹線内『大いびき』

東京での研修のため、早朝の新幹線に乗ることが増えた。
研修の開始時間が、だいたい9時前後のため
逆算すると6時台出発に乗らなくてはならない。
その場合には5時前には起床するのだが、
私は、ホテルに宿泊するよりも朝早く起きるほうが苦にはならない。
洗濯と片づけをし自宅を6時に出発、新幹線に飛び乗り、
そして寝る。(熟睡する。いいや、爆睡か)

6時台の新幹線とはいっても、乗客の多いこと。
今や、通勤でつかっている人も多いため、うなずける光景だ。
東京に近くなるほど人は増え、熱海に着く頃には席はほとんど空いていない。

先日も同じように新幹線に飛び乗った。
始めは景色を見ながら起きていようと思うのだが、
そのうち睡魔に襲われて、熟睡モードに入る。
周りの人も同じ状態なので、気にはならない。

何分くらい経ったときだろうか、騒音で目が覚めた。
グオ~ッ、ガ-----、ンゴゴゴゴ------
とてつもない大いびきがすぐそばから聞こえてくる。
後の席で寝ている男性だった。
いびきをかく人はけっこういるのだが、こんなに大きないびきは初めてだった。
運が悪い。しかし、席を替わるのもだるい。気を取り直して、眠ることにした。
そして、数分経ったとき、今度は何かがガラガラガラと、大きな音をたてて落ちた。
何だ?後を振り返ると、男性の荷物やら、飲み物やらがすべて落ちている。
かなり恰幅のよい男性(座席からはみ出るほど)は全く気がつかず眠っている。
私だけでなく車両に座っている人全員が、眉をひそめている。
男性は足を前に伸ばすだけ伸ばし、ふたつ分の座席を占領しているので
荷物を拾ってあげることもできない。
もちろん隣に座る人もいない。(座れる状態ではない)
その間も、時々息が止まりそうな大いびきは、止むことはない。
我慢我慢。
そしてまた、数分が経った。
いきなり、私の座席の下から、強烈なけりが入った。
ボン!
きゃ、なんだなんだ。
もちろん犯人は後ろの男性だ。
寝ているときに時々ピクッとなることはあるが、
男性は思い切りピクッとなったため、私の座席の下にある足をけりあげたのだ。
思わず寝ている男を睨みつけるように後を背もたれ越しに覗き込んだ。
そばの人が、私を気の毒そうに見つめている。
うんうん。周りの人はわかってくれているんだ。
見渡すと座席はいっぱいなのだが、その席だけは座れないので空いている。
まあ、座りたくもないが。

次の駅でたくさんの人が乗りこんだ。
「すみませんが」若い女性が男性に声をかけ、座った。
男子は一瞬起きて座りなおしたが、数分で元の体勢に戻り大いびきをかきはじめた。
そして、それだけでなくウ~ン、ムニャムニャ、プハーーーと大きな息を吐いた。
臭い!臭い臭い臭い、たまらない。
あたりにアルコールの匂いが充満した。
最悪だ。
いたたまれなくなった横の若い女性が、小走りで隣の車両へ走っていった。
周りの人がみんな振り返り、嫌な顔をして見ているが、男性は気づく気配もない。
なんて奴だ。

新幹線の中で眠るのも、お酒を飲むのも自由だ。
しかし、こいつ(ついに呼び名がここまで変化)の状況は
新幹線という公共の場においては、マナー違反極まりない。
また、おそらく東京で仕事のために新幹線を利用しているのだろうが、
このままの状態で仕事になるのだろうか・・・。
他人の私が知ったこっちゃないが。

ほとんど眠ることができないまま、目的の品川駅に着いた。
男性は同じままの状態で、両手を拡げて座席で爆睡している。
「東京駅が終点で残念。途中下車だったら乗り越してしまえばいいのに。
それが叶わないから、このまま車庫まで連れて行かれればいいのに」と、
眠りを邪魔された腹いせに心の中でひどい言葉を呟きながら、
新幹線を降りた。

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2009年3月12日 (木)

ここはどこ?

人と会うために、東京へ行ってきた。
普段は地方でどっぷりと暮らしている私にとって
都心の動きや流れは、何度行ってもテンポが合わない。
かといって、いかにも「地方から来ています」という動きは避けたいので
目的駅に着いたときなど、地図を広げてキョロキョロしたいのは山々だが
変なところに『ええ格好しい』のプライドが顔を出すことになる。
そうならないように事前にグーグル地図を徹底的に調べ
頭の中で思い出しながら歩くのが常だ。
意外に土地勘は悪いほうではないので、大概、目的地にたどり着く。
しかし、念のため必ず地図は持参してあるのでどうしても困った時にはこそっと見る。
まったくどこまでええ格好しいなのだろうか。

昨日の待ち合わせ場所は、以前も訪れたことがあるところだ。
「一度行ったことのある場所は大丈夫」
何が大丈夫なんだか、根拠のない自信を持っている私は、
今回は詳細地図を持たずに出かけるという無謀な行動にでた。
目的地は新宿と代々木の丁度真ん中くらいに位置している。
早めの新幹線に乗り、余裕を持って向かう。
「この分だと、約束時間より1時間くらい早く着くから
近くのコーヒー店で本でも読んでゆっくりしよう」と予定を立てる。
さらに、「この前は新宿から向かったけれど、今日は代々木から向かってみよう」
余裕の時間がたっぷりあることに気をよくした私は違うルートで歩いてみることにした。
この自分を過信した行動がその後とんでもないことになるともしらずに。

山の手線の代々木駅を降りる。待ち合わせ時間まで1時間以上あった。
「新宿から歩いて5分くらいだったから、代々木からも7~8分のはず。
ここから近いから、直ぐに見慣れた風景になるだろう。楽勝楽勝」
まず、逆方向の改札に出てしまったことが大きな間違いだった。
「大丈夫。線路に沿って歩いて先を左に曲がればいいんだから」
意気揚々と歩き出すが、曲がれる道はない。
線路に沿ってかなり歩いたところ、なんとそこには新宿駅が。
「あちゃ~、一駅歩いちゃったよ。まだ時間があるから戻ろう」
と、また違ったルートを通って戻ることにした。
どうせだったら代々木からの道も確認したかったからだ。
線路に沿って歩いていれば間違いないだろうと、ずんずん前に進む。
しかし何かが違う。さっきまで見えていたビルが逆側に見えるような気がする。
「気のせい気のせい、どこもこんな景色」かなり歩いたところで知らない町名に気づく。
「えっ、○○町。こんな町名が近くにあったんだ」どこまでも楽観的だ。
またまた、かなり歩いた。少々疲れた。あっ、JRの駅がある。
なんとそこに見えたのは新大久保駅
代々木に向かっていると信じて、逆方向へ歩いてしまったのだ。
さすがに歩いて戻りたくなかったので、もう一度山手線へ乗り代々木に向かう。
新宿で降りればいいのに、意地になっていたのだろう。
「大丈夫、まだ時間はある。あと30分もあるじゃないの」
コーヒーは飲めそうにないが、待ち合わせ場所に行くには充分な時間だ。
今度は逆改札へ出て、振り出しから始めればいい。

改札を出て新宿方向へ歩き出す。
見慣れない町並みが広がる。少し歩いて不安になる。
「さっき、この道通ったような気がする」
逆を歩いていたのでそんなはずはないのだが、益々不安が募る。
「それに、ここも、あそこも確かに歩いた」
頭の中にデジャブのように周辺の景色が映る。約束の時間が迫ってくる。
「もしかしたら、降車席自体を間違えているんじゃないのだろうか」
そう考えるとそうかもしれない、どうしよう、軽いめまいとパニックの私。
落ち着け落ち着け、とりあえず電話だ。
ここは恥ずかしいなんて言ってはいられない。相手の方に連絡して説明しなくちゃ。
電話をかける-----相手の方が出る。

「申し訳ありません。ここはどこでしょうか?私はどこにいるのでしょうか」

その後、的確な指示に従って、無事、時間通りに目的地に到着した。
後で冷静に考えてみたら、徒歩5分くらいの範囲をぐるぐる回っていただけだった。
すぐそばにいたのに、いつもとは逆からの風景でわからなくなってしまっていたのだ。
でもよかった。大人の迷子なんで洒落にもならない。
自分の浅はかさを思い知った良い経験だった。

くれぐれも自分の能力を過信しないようにしよう。
心に誓った。

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2009年3月 5日 (木)

確定申告

確定申告には無縁だと思っていたが行わなければならない状況になった。
もちろん会社では、しっかりと手続きしてもらっているが(ハナちゃん、いつもありがとう)
その他に『雑収入』なるものが、少しだけ発生したためだ。
そのままにしてしまっても、問題のない額ではある。
もし源泉分が戻ってきても1万円くらいなものだから想像がつくだろう。
実は手続きの面倒さを考えると、ほおっておこうと思っていた。
しかし知人の「1万円戻ってくるのは大きいよ」の一言で『そりゃそうだ』と我に返った。

1万円といったら、スーパーで何日分の食料に変わるのだろうか。
大好きな100円ショップで95個も商品が手に入る。
それに、さらに大好きな99円ショップでは96個の商品が買えるじゃないかい。
いけない、いけない、なんてことを、私としたことが。
”手続きが面倒”という思いに、1万円の価値を見失っているなんて。

確定申告はしようと決心したものの
さて、何をどうしたらいいのかさっぱりわからない。
そこで、詳しい知人に相談すると、インターネットでの書類作成を教えてもらった。
いやはや、便利になったものだ。
国税庁のホームページから『書類作成コーナー』へ入り自己の内容を入力するだけで
提出書類を作ることができるなんて。これなら私でもできそうだ。

それでも知人も心配だったのだろう。
必要書類をもってくれば、一緒に入力チェックをしてくれるとのことだった。
お言葉に甘えて、私は必要書類を揃え、知人に教えてもらいながら入力、
無事、提出書類を申告開始前に完璧に仕上げることができた。
そして、確定申告開始初日に意気揚々と税務署へ出かけた。

初日ということもあり、まだそれほど混雑はしていなかった。
受付けで尋ねると、奥のコーナーで書類をチェックしてもらうだけで済むとの返事。
「こんなにスムーズにできるんだ。確定申告って面倒じゃないし簡単じゃん」
そう思いながら、奥へ進み、同じようにチェックを受ける人の列に並んだ。
チェックしてくれる担当者は7~8人で、終わった順に待っている人が入るので
並んでいる人の数から考えるより、時間はかからない。
「次の方?」私の順番がきた。見ると、奥の部屋からでてきたばかりの若い男性だ。
と同時に、同じように奥から出てきたばかりの若い女性の担当者の呼ぶ声に
私の次に並んでいた中年男性が書類を持って進み出た。

インターネットで作成した書類一式を担当の男性に渡す。
すると「これは・・・」と言葉に詰まる。
『どこか違っていたのだろうか?』途端に不安になった。
「お待ちください」と言って、私の書類を持ってどこかへいってしまった。
しばらくして「お待たせしました。申し訳ありません。初めてみたものですから。
えっと、同じものが2枚ありますね。これとこれは、いらないんじゃないかな」
返された書類をみると、おかしなことにそれも提出書類に間違いはない。
それに初めてみたってどういうことだろう。
「あの、こちらですが、これも提出するものだと思いますよ。ここにも書いてあるように
控えは、こちらの2枚じゃないでしょうか」と手引きを見せながら説明した。
「ちょっと、待ってください」と言って困った顔をしながら、またどこかへ行ってしまう。
さすがに少しイライラしてきた。
そして、私の横でも同じ状況が繰り広げられていた。
「あんたね、これは提出書類だろ。控えはこっち。よく見ろよ。知らないのか?
きっちり書類を作ってきたっていうのに、どれだけ時間がかかるんだよ」
横の男性が、声を荒げて担当の女性に詰め寄っていた。
女性はかなり困惑した面持ちで「少しお待ちください」と言いながら、席をはずした。
取り残された私と横の男性は思わず顔を見合わせ、力なく笑った。
その後、別の担当者の対応でふたりとも無事書類は受理された。
特に横の男性の書類は、白黒でコピーしてきた私とは違いカラーコピーで作ってあり、
大変見やすい完璧なものだった。
怒るのも無理はなかったのかもしれない。

確定申告の時期は、他部署からも応援者が来て対応をすることもあるらしい。
インターネットでの書類作成は今年初めての試みかもしれない。
しかし、仮にも書類チェックの担当としてついているのだから
『初めてみた・知らない』では通らないんじゃないの。
それに、わけのわからない私なんかの方が知っているなんて
これはまずいでしょ。

先日、税務署から源泉分が戻ってくるというハガキが届いた。
なんと1万5000円も、だ。
いろいろあったが、めでたしめでたし。

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2009年2月16日 (月)

あまりにも定員オーバー

公共機関での講義は、はっきりした出席者人数がわからないことがある。
出席が任意で講義料が無料だということが大きく影響している。

私が受講側だったら、自腹をきって申し込んだものは多少無理をしても出席する。
お金を払った以上のものは吸収したいという、文字通りの『欲』があるからだ。
逆に無料だったら「まっ、行かなくてもいいかな」と思うこともあるし
それに出席を強制されているわけではなく任意であれば、尚のことの。
さらに、体調が悪い、急用ができた等
確定参加人数からも数人の誤差がでるのは仕方がない。
これらはすべて想定範囲内だ。

最近、どの講義も定員めいっぱいのことが多い。
積極的に参加してくれる人が増えたことは喜ばしいことだが
参加人数を制限しなくてはならないという問題も増えたという。
そういった場合には、全員が参加できるように各公共機関の担当者が配慮している。

私たち講師は、その場所へ行って講義をするのが役目であるので
どれくらいの受講生数になるのかは予測が付かない。
事前になってもはっきりしないのはしばしば、当日になってもわからないことさえある。
名簿を作成し事前に渡してくれる機関もあるが、そうでないところもあるなど
対応はまちまちだ。

同じように、各担当者の裁量によって講師への対応の仕方も全く違う。

先日、「事前連絡が全くない」機関での講義があった。
せめて参加人数だけは把握しておきたいので、講義前日には必ず連絡を入れる。
というのも、会場と人数を比較すると、ある程度の席次を決める必要性があり
例えば100人定員の部屋で50人の参加者だったら、
「どこでもいいから座って」とすると、前の数列が空いてしまうことが予想されるからだ。
(任意の場合、受講者は後ろから座る習性がある→このことは、また検証したい)

その日も、いつも通り担当者に連絡をした。そして参加希望者数を聞いて驚いた。
なんと、部屋の定員数より30名ほど多い希望者を募っていたのだ。
その会場は以前も対応に苦労した経験がある場所だった。
長机が3人用ではあるが、書くためには椅子は2脚がベストの状態なので
部屋には始めから60脚しかセットされていない。
新しくて設備も良いが、良いあまり融通が利かない造りになっている。
予備の椅子も後の倉庫にあるが、出すのも一苦労。
以前、遅れてきた受講者のために、汗まみれになって出した苦い経験がある。
定員80人ではあるが「60人が精一杯ですね」
と前回の反省点を踏まえて担当者に連絡をしておいたはずなのに。
こともあろうに、60+30=90人もの参加希望者を募っているなんて。
『60人どころか80人も優に超えてるじゃん。全員出席だったら座れないじゃん!』
怒りを抑えて冷静に以前のことをもう一度説明し
あまりにも定員オーバーじゃないでしょうか」と切り出した。
すると担当者が自信たっぷりに
「どうせ、全員は来ませんから。30人くらいは欠席じゃないですか」
この言葉を聞いて、思わずのけぞった。
『はぁ、あんた何バカなこと言ってるの。どうせって何?
特に今回は就職講座でしょ。現状を見なさいよ。受講を希望した皆さんは真剣に取り組んでいるんだよ。そんなにキャンセルするわけないじゃん。担当者のあんたがそういう考えじゃ、先が思いやられる。一生懸命な皆さんがホントにお気の毒。それに現場のこと何もわかっていないのに勝手に判断するんじゃないよ。一度来てみればわかるのに』
と言いたい気持ちを抑え(言っても無駄なので)電話をきった。

担当者が受けてしまった以上、やれるようにやるしかないのだ。

当日は、皆さんへのお詫びの言葉も考えながら早めに会場へ行って準備をした。
全ての席を3人掛けにするために椅子を出した。
もし80人を超えてしまったら机もないので自分で持ってる限りのボードを用意した。

結果は、出席80名。
せめて机についてもらえただけでも良しとしよう。
かなり書きづらかったと思う。アンケートのコメントには
「もう少し少人数で受けたかった」 「メモがとりづらかった」 「ぎゅうぎゅうで暑かった」
おっしゃる通り。

担当者は受講者の言葉を感じ取ってくれただろうか。

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2009年2月10日 (火)

メモをとる習慣

講義中にメモをとらない人が多い。
特に学生では顕著に見られる傾向だ。
なかには筆記用具すら持ってこない奴もいる。(これはメモをとるとらないではなく論外)
そういうときは「へぇ~、メモとらなくても覚えられるんだ。すごい!記憶力いいねぇ」
ニッコリ笑って皮肉たっぷりに言う私は、なんて嫌味な奴なのだろうか。

始めのうちは、授業の進め方に問題があるのかと思った。
もちろん、そういう緊張感をもって常に学生に向かわなくてはならないが
どうも、それだけが原因ではなさそうなのだ。
聞けば、どの授業でもそうらしい。
「だって先生、本やプリントに書いてあるからメモとることないじゃん」
ひとりの男子学生がメモをとらない理由を説明してくれた。

そもそも、どんなことをメモしているのだろうか。
私の場合を思い返してみると
約束の時間、場所、内容、数量、持ち物、準備するものetc.
仕事に関するメモは間違えのないようにきっちりと書くことを心がけている。
他にも、今後のスケジュールや連絡先といった事務的なこと
話を聴いていてポイントだと思ったこと、記憶しておきたいこと、気づいたこと
テレビを見たり本を読んだときに、これは使えそうだと思ったネタや話題
ふと心に浮かんだ言葉のフレーズや思い
昔のことを思い出したとき、その内容とそのときの気持ち
自分で勝手に作った妄想や物語、キャラクター
会った人のイメージから、行った店で食べたものや感想まで・・・
あらゆることを、字・絵・記号等を使ってメモしている。

そんなこんなを授業で話すと興味深く聴いてくれた。
そうなんだ。
彼らはメモをとりたくないのではなく、どうやってメモをとるかわからない
つまり『メモをとる習慣』がないのだ。

私のいけないところは、「当たり前」と思ってしまうことだ。
メモをとるのは当たり前と思っているので、今まで積極的に促してはいなかった。
授業で使うプリントも学生にとったら不親切なものであっただろう。
詳細までびっちりと書いてある教科書やプリントに比べ
なんとまあ、スカスカなこと。
しかし、このスタイルは変えるつもりはない。
親切丁寧な資料をつくる努力ではなく、
「メモをとる習慣を身につけさせる」努力をしようと思う。

かっこよく言ってはみたものの
「資料作るの面倒なんじゃないの」という声が聞こえてきそうだ。
『いいえ、ちがいます。あくまでも、学生の行動力と自律性を養うことが目的です』

メモでいっぱいの私の手帳を開く。
「う~ん『プーさん』かぁ。プーさんて誰?」
「えっ『ぬれぞうきん』をどうするんだったんだろう」
「この文字なんて書いてあるの。へろへろで読めない」
「なぜここに、わけのわからない記号をつけてあるのか?」

あとから見てわからないものをメモしても意味ないじゃん。

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2009年1月 5日 (月)

新年早々

2009年も明け、仕事始めの日がやってきた。
あっという間にお正月気分はどこへやら。
特に今回の年末年始は慌ただしく終わってしまったなぁ。

12月31日の夜だった。
喉を潤そうと自販機の前でポケットから財布を取り出したとき”はっ”とした。
二つ折りの財布の内ポケットに入れてあるはずのカード入れがないのだ。
私の財布は出し入れできるカード入れが付いていて
そこにスーパーやら会員証やら、様々なカードをごそっと入れてある。
「また、カバンの中に落としてしまったか」そう楽観的に思ったのもわけがある。
この財布を使い出してから10年以上の月日が経っているので
始めはキッチリ収まっていたカード入れがゆるくなり、
時々カバンの中に落ちていることがあったからだ。
カバンの中をまさぐってカード入れを捜すが、ない。
明るいところへ移動し、カバンの中をひっくり返して隅々まで見るがないものはない。
「あっ、車の中へ落としたんだ」
まだ楽観的な私は車へ戻ってあちらこちら捜すがやはりない。
『そんなはずはない』と自分を落ち着かせるものの、さすがに焦ってきた。
それまでの行動を冷静に思い返す。
『家にいるときは確かにあった。そしてスーパーでもカードを出したからあったはずだ。
次にコンビニでチョコレートを買った。それから財布は出していないと思う。
もう一度コンビニに戻ろうか、どうしようか。全く情けない』
いろんなことを思い巡らせていたら次の行動が浮かんできた。
『ちょっとまてよ、もう一度財布を出したところがあったような、そうだ!』
神社で参拝したときにお賽銭を出したことに気がついた。

その日は12月31日と1月1日にかけて神社の境内で仕事をすることになっていた。
(いったいどんな仕事なのか不思議でしょ)こんな機会は滅多にないので、
年の終わりと年の初めに参拝をしようと、以前から決めていたのだ。
1時間ほど前確かに財布を出したあの時だ、と確信した。
ということは悠長にしていられない。あと数時間で初詣客でごった返してしまう。
私は賽銭箱前までダッシュした。自分の通った道を確認しながら走る。
そして参拝のために立ち止まった場所を入念に調べるが、やはりなかった。
もう諦めるしかない。年も暮れの最後の最後になって、またしてもドジしてしまった。
カード入れが落ちやすくなっていたので幸いにもキャッシュカードは入れていなかった。
スーパーその他の会員証はもう一度作り直すしかない。自分が悪いんだ。
しかし困った。良く考えたら会社のセキュリティカードとガソリンカードが入っていた。
どうしよう。とんでもないことをしてしまった。
連絡が付き次第、即対処しなくては。本当に申し訳ない。
そんなことを考えながら、行きはダッシュした道を帰りはトボトボと歩いた。

年が明けて1月1日、同僚に昨日の出来事を話した。
参拝も済ませ、気持ちをすっきりさせ前向きに考えることにしようと
自分を無理やり納得させた。
徹夜明け頭がボーッとしながら仕事をしていたとき自宅から連絡が入った。
仕事中だと分かってかけてくるのは余程のことだ。
私は邪魔にならない場所で電話に出た。
母の慌てた声が聞こえる。「レンタルビデオ店から電話があってね」
へっ、レンタルビデオ店。なんのことやらわからないのでもう少し聞いてみた。
あんたカード落としたでしょう。その中にレンタルビデオ店のカードも入ってたでしょ。
その店へ○○神社から電話があったそうで、その店から家に電話があって・・・」
つまり、私のカード入れを拾った○○神社の神主さんが、
唯一裏に署名してあるレンタルビデオ店に電話をかけてくれて
その店の従業員の方が自宅へ連絡を入れてくれたという内容だった。
そしてカード入れは神社の受付けに預かってくださっているとのこと。
よかった。こんなことってあるんだ。捜し物は近くにあったんだ。
その後、無事カード入れは私の手元に戻ってきた。
神社の皆さんに感謝の気持ちを伝え、深くお詫びした。
仕事が終わってからレンタルビデオ店に寄り、お礼を述べた。
皆さんに福が来るように縁起のいい『饅頭』を差し入れした。
年末ギリギリでした失敗が新年早々解決し、逆に人の温かさを知る結果となった。

今年はなんかいい年になりそうな予感。
あと、財布も買い替えなくてはと切に感じた。

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2008年12月26日 (金)

今年の重大ニュース

今日は一応、会社での仕事納めだ
1年を振り返ってみると「あっ」と言う間だったなぁ。
私の今年の重大ニュース1位を挙げるとすると
『息子が社会人になったこと』に尽きる。
この変化は、私の生活リズムのすべてを激変させることになった。

まず朝起こして学校に送り出す生活から、そのままほっておいてもよくなったこと
特に高校の終盤は、出席することで卒業できるかできないかの瀬戸際だったため
過保護(?)とは思ったが、親の務めとして時間通りに家から追い出した。
今は寝坊しようが何しようが知らん顔を決め込んでいるのだが。
だって社会人なんだから遅刻すれば自分の責任。
「朝起きれない」なんて、親を頼っているようでは情けない。
時間厳守と体調管理は社会人としての基本。
こういった自己管理ができないようでは、仕事なんて務まるわけない。
(こんなときだけキャリアカウンセラーぶっている嫌味な私)
特に私だけが休みの日などは
「しめしめ、このまま遅刻したら面白いから起こさないでおこう」
と物音立てずに静かに様子をみる。ほんとに底意地が悪いと自分でも思う。
しかし作戦失敗。これが思惑とは外れ、彼は時間通りに起きてきてしまうのだ。
学生の時には起こしても起きなかったのに社会人になると心構えが変わるもだと
いたく感心した。

また弁当は作ることがなくなり、ついでに作っていた自分の弁当もなくなったこと
帰宅時間も違うので食事が出来るのは1週間に1回か2回。
私の夕食は20~21時くらい、息子は必ず24時をまわる。
手作りを心がけることと、毎日少しでも話をしようと思うので
自然と息子が帰ってくるまでは起きているようになった。
そのため睡眠時間は3~5時間、週末にかけて体がきつくなってくる毎日だ。
睡眠・休息という体のリズムを整えるのは来年からの課題だ。

心のリズムに良い変化をもたらしたこともある。
赤点・停学・生活態度についての先生からの教育的指導が理由で
学校からの呼び出しの負担や余分な心配から開放されたこと
これは大きい。
幼稚園前から始まって長年繰り返されてきたことがなくなって、ホッとしてる毎日だ。

しかし最大の変化は、学費を払う立場から生活費をもらう立場になったこと、だ。
今までは息子に対するお金は常に出て行くものだった。
それが眞逆になるということ、つまりプラスマイナスで倍違うことになる。
これはありがたい。
裕福になったわけではないが、気持ちが楽になった。
少なくとも彼に対しての親の責任をひとつ乗り越えたように思う。

こういった生活のリズムの変化は、私自身の仕事にも大きな影響があった。
時間の制約が更になくなったことで、仕事をする範囲が広がった。
朝早い時間から遅い時間まで、時には泊まりも気兼ねなく受けられる。
仕事というのは自分の希望はもちろん大切だが
いくらやりたい仕事でも家族や環境によってはできないこともある。
そしてそれは我慢しているのではなく、その時の自分の状況からしたら仕方ない。
私の場合も、10年前、5年前、そして昨年と
その時その時の状況を踏まえて自分ができることを見つけてきたつもりだ。
そして息子が社会人になった今年は、新たな挑戦ができた。

さて、今年も一応仕事納めと冒頭に書いたが
実は12月31日と1月1日に仕事が入っている。
今年のホントの仕事納めは12月31日
そして来年の仕事始めは1月1日
明日から、自宅の片づけと正月準備を猛スピードで行わなくっちゃ。
もしかするとこの忙しさは、これからの私を暗示しているのだろうか。

「縁起がよくなるのも悪くなるもの自分の気持ち次第」
これからも前向きな気持ちで進んで行こうと思う。

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2008年11月18日 (火)

思わず買ったデスクトップパソコン

自宅パソコンはノート型だが、文章を打ちたい私にとってはカーソルがどうも使いにくい。
なんせ学生の時に英文タイプから入った世代なもので
昔ながらの分厚くて”打っている”という手ごたえのあるカーソルが心地いい。
そのため、前々からほしかったデスクトップパソコン
この度(先だつものもないのに)思いきって購入したいなあと考えていた。
購入の条件は、デスクトップ、ワード・エクセル・パワーポイントが使用できること
分厚いカーソルと見やすい画面・・これもあまり大きすぎたりワイドは見辛い
何が内蔵されていて、何ギガだあ、という機能に関することは一切わからない。
要するに文章を打つことに特化したパソコンであればいのだ。

思い立ったら即行動あるのみ、さっそく某有名量販店へ下見に行ったが
何がいいやらわかるはずもなく動物園の熊のように右往左往しているだけ。
そんな客に対して、即声をかけてくるPCスーパーアドバイザーのお兄さん。
自分の考えている条件、機能にはからっきし弱いこと等を伝えたところ
想定予算より安いパソコンを提案してくれた。
予算以下ということが購入意欲を一気に奮い立たせ、下見のつもりが思わず購入
システム設定があるとのこと(よくわからない)で次の日にとりに行った。

自宅へ戻り、説明書を見ながら配線をし、なんとか電源が入った。
そして立ち上がった画面をみて驚いた。Windows Vista』だったからだ。
なぜ驚いたかって?何も変なところないじゃんと思うだろうが、
スーパーアドバイザーのお兄ちゃんの話で『Windows XP』を選択した経緯があったからだ。
私としたらどちらでもよかったのだが(というよりどちらも使いこなせないので一緒)
「会社でXPをお使いでしたら、そちらの方が使い慣れているかもしれませんね。
機能にはあまり違いはないので(おそらく私にとってはという意味だっただろう)
お客様の好きな方をお選びください。私は使い慣れている方がいいかと思いますが。
はい、ではXPということでよろしいですね」(私、言われるままにうなずく)
注文書を出してきて確認すると、確かにXPと書いてある。
次に私の頭に浮かんできたのが「きっと金額が違うぞ。申し訳ない」という思いと
「うわっ、もう一度配線するのめんどくさい」という思いだった。
『もし金額が同じくらいだったらこのままにしてもらおう。
それに、もし多少高くても向こうのミスだから”いい”にしてもらえたりして』
と勝手に自分の中で話の持っていき方をシミュレーションし、明日に備えた。

次の日、担当者と話をすることができた。
私はXPを注文したがVistaだったことを話し、次に対処方法をを訊こうと思っていた。
しかし私の思いとは違い、私がVistaだったと言うや否や彼が口を挟んできた。
「はい、最初からこの製品はVistaということでしたよね
『え~ちょっと待って、何言ってるのこの人。話が全然違う』と思いながら
「あの、XPということで購入したはずですが」
「いいえ、始めからVistaのはずでしたよね。機種がわかっていらっしゃらないのでは」
『何、この言い草は。私がPCに弱いからって』多少のひがみ根性を抑えながら
「今伝票を確認していますが、確かにXPと書いてありますが」と言うと、少し慌てながら
「えっそうですか、おかしいなぁ。ボクはVistaと説明したはずです」未だ認めない。
「説明したはずではなく、きちんと記入があるんですよ。
それに昨日の経緯を説明しましょうか。よろしいですか」
私は昨日の行動と話の流れを、彼に確認しながら順序だてて説明した。
そのうち、彼は自分の執った行動や話の内容を思い出したのだろう。
「ということですが、あなたがXPをすすめてくださったんですよね」と改めて言うと
「はい、その通りです。確かにボクがXPと言いました」と認めた。そこで私は、
あなたが途中で口を挟まなかったら金額を確認して、このままにしてもらうか
それとも、どうするのが一番お互いにベターかを提案するつもりだったことを話した。
本当に申し訳ありません」と初めて謝罪の言葉が彼の口から出た。
お節介ついでにもう一言訊いてみた。
「今回、あなたが一番初めに客に対してしなくてはならないことは何だと思いますか」
「・・・・・・・わからない。何でしょうか?」てらいもなく訊いてきた。
「私は、まずお客様に謝ことだと思いますが。そうは思いませんか」
「あっ、そうですね。謝ることだ」彼が妙に明るい声で言った。
結局、どちらのパソコンも金額が同じだったので、このままでいいとすることになった。
 *『だってめんどくさいじゃん』が私の本音、要するに使うことができればなんでもいいのだ。

人の話は口を挟まず最後まで聴くこと
まず何をしなければいけないのかの判断が肝心だということ
仕事以前の『人としての基本的マナー』ではないのか。

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2008年11月12日 (水)

『厳しい』と『恐い』

専門学校では10月が後期授業のスタートだ。
私も担当学部の2年生の授業が先日から始まった。

学部によって学生のカラーがはっきりと分かれる。
服装から態度まで、これでもかというほど違うのでとても興味深い。
これは学年によっても全く違うし、クラスによっても雰囲気が変わる。
今回スタートする学部は、前期は3年生を担当していたが、
ほとんどの学生が無遅刻無欠席、授業中もとても静かだった。
といえば授業態度がいいのかというとそうでもない。
悪く言えば反応が薄く、消極的なことが難点だった。
そんなおとなしい素直な生徒に向かって
「もっと熱くなろうよ。この授業では笑ったり、怒ったり、自由に反応していいよ」
というような内容を日々呼びかけていた。
生徒からしたら”うざい先生”と思われていただろうが、これが私のカラーだ。
さて、2年生はどうだろうか。とても楽しみだった。

初めての授業は、生徒も私もお互いに
『どんな奴だろう』と探り探りで始まる緊張感が漂っている。
今回のクラスは、静かで淡々とした雰囲気で授業が始まった。
公欠以外の生徒は全員、時間通りに席について静かに座っている。
これが他の学部ではそうはいかないが。(これがまた面白い)
私の自己紹介から、少し変わった生徒の自己紹介へと進み
つかみのギャグも混ぜながら、生徒の反応や表情をチェックする。
授業が進むに連れて、始めとは違う空気をヒシヒシと感じてきた。
『静かではあるが反応は悪くない。
生徒の表情も聴く態度も、静かな中に積極性も感じられる。
どちらかというと生徒が反応をわざと抑えているようにさえ見える。どうしてだろうか?』
疑問をもちながら授業を進める。
そして授業も終盤にかかって、第一印象の与える影響を話始めた時
「な~んだ。今度の先生は『ものすごく恐い』って聞いてたけど、恐くないじゃん」
と生徒の一人が私に向かって言った。
『えっなんですって、恐いって。まったく誰が言ったんだか』
「そうそう、俺もそう思ってた。だからさ、びびってたんだけど」
「私も。だから朝から緊張して座ってたんだよ。疲れちゃったよ」
次々に皆が口を開く。
『そうか”恐い”から様子を見ていたので静かだったんだ。仕方ない』と納得していたら
「○○先生、余計なことメールしてきたよね」
それまで笑いながら聞いていたが、とある先生の名前が出てきたことは聞き逃せない。
「ちょっとまって、○○先生ってどういうこと」
「それがね先生、昨日の夜11時頃だったかな。クラス全員に○○先生から
『明日からの就職指導の先生は大変厳しいので、くれぐれも時間に遅れないように』
っていうメールがきたんだよ。だから、皆でその後すごい勢いでメール交換してさ。
『明日からの先生、すっごく恐いらしいよ。超びびる』みたいな、あははは」

生徒たちの話を聞きながら、私は少しだけカチンときた。
もちろん時間を守ることは当然だし、緊張して背筋がピッとなるのは悪いことではない。
それにメールを流した先生も『厳しい』とは言っていたが『恐い』とは言っていないこと、
批判的な気持ちで生徒たちに忠告したわけではないことは理解できる。
しかし、だ。
わざわざ先入観を与えるようなメールを夜中に送ることはないんじゃないのかなぁ。
それに学生からすると『厳しい』=『恐い』と感じることも、どんなものだろうか。

「はいそれでは、皆さんのご期待に沿えるように厳しく進めますね。
今話した、第一印象の変化が実感できたでしょ。
始めは『何あの人、うさんくさい。あまり好きじゃない』と思っていても
話し始めたら『えっ、なんか違う。結構いい人かも』と印象が変わることがありませんか。
これを『言葉のクライマックス効果』と言い・・・」
一同納得、大きくうなずいてくれた。

その後、○○先生には本音を秘めながら、やんわりと話をした。
やはり黙っちゃいられません。はい。

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2008年11月 6日 (木)

カ行の彼女

面接に長年携わっていた知人から聞いたことだ。
たくさんの中でもやはり忘れられない面接があるという。
腹が立ったこと、悲しくなったこと、そして思わず笑ってしまったこと。
面接官とはいえ人間だから、いろんな感情が湧いてくる。
中でも思い出深い面接の話をしてくれた。
現在は守秘義務も厳しく、質問の内容にもかなり気を配ることが重要だが
今からかなり前の、まだあまり厳しくなかった頃の話である。

その当時、履歴書には保護者の職業を記入する欄もあったという。
そのため面接では、今では質問することはない保護者の職業も確認していたとか。
面接者は新卒の女性で、かなり緊張しているのが見てとれた。
履歴書を見ると、保護者職業の欄に『自営業』と書いある。
なので知人はカチカチになっている彼女に
「お宅の家業は」と尋ねた。
しかし緊張もピークに達していた彼女には質問が聞こえなかったようで
「申し訳ありません。もういちどお願い致します」
「はい、わかりました。そんなに緊張しなくていいですからね」
と彼女の緊張をほぐしつつ「おたくの家業は」ともう一度質問を繰り返す。
すると彼女は少し困ったような顔をしたが、すぐにハッとした表情に変わり
「はい。カキクケコです」とにっこりと元気良く答えた。
面接官たちも一瞬彼女が何を言っているのか理解ができなかったが
そのうちクスクスと笑い声に変わる。
彼女は自分がなぜ笑われているのか全く理解できていなかったようで
ポカンとした顔で固まっている。
「言い方が悪くて申し訳ありません。お父様の職業は」と知人が聞きなおし
しっかりとした返答が返ってきたという。

彼女を採用するかしないかは賛否両論があったらしい。
しかし、彼女の元気のよさは皆が認めるところで最後は知人の鶴の一声
「これだけカ行を元気良く言える度胸のいい子は滅多にいない」
に全員がうなずき、採用になったそうだ。

さて、それから月日は流れ、カ行の彼女の仕事振りもすこぶる評判がよく
誰からも好かれる明るく気さくな彼女を採用したことは間違いなかったと
知人も目を細めて見る日々が続いた。
そんなとき彼女が「あの、ずっと伺ってみたいことがあったのですが・・」
「なんだ、どうした」
「私が面接に受かった理由を教えていただけないでしょうか」
「なぜ?」
「私、後から考えたら面接でとんでもないこと言っていたんですよね。
それなのになぜ採用してもらえたのか、ずっと不思議だったんです」
「そうか、わかった。君を採用した理由は・・・」
「はい、理由は」
「カキクケコだ」
「えっ、カキクケコですか」
「そうだ。カキクケコだ」
「そうですか、わかりました。ありがとうございます」
にっこりと笑って彼女は頭を下げた。
納得したのかそうでなかったかはわからないが
彼女は、その後は一切この話題にふれることはなかった。

彼女はそれからも精力的に仕事をし、会社の中でも重要な役目を担っていった。
後日談だが、その会社で初めての女性管理職についたという。

面接で何が決め手になるかは、ホントにわからないものである。

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2008年11月 4日 (火)

クラウンがいきなり

私の住んでいる町ではこの季節になると大々的な『大道芸』のイベントが開催される。
当初は見ている人もまばらだったが
開催から十数年経った今では全国からの観光客も増えた。
参加者も世界各国から終結し、世界の大道芸が街のそこかしこで繰り広げられている。
このイベントの何がすごいかって、
素晴らしい芸が目の前、それも手の届く位置でリアルタイムに見られることだ。
そして、観客参加型も多いので見ている人もうかうかしていられない。
これについても当初は参加を拒んでいた人が多かったが、
今ではむしろ参加することを望んでいる人が増え、
参加者がのりのりでパフォーマンスを行うという楽しさも加わった。

イベント運営には市民ボランティアの活躍も欠かせない。
進行、司会、案内、審査員、救護といった部門はもちろんのこと
大道芸ならではのクラウンもボランティアの人たちが活躍している。
ちなみに、我町ではクラウン養成講座なるものも存在し、
ここで活躍するために日頃から準備をしている人も少なくない。

息子が小さい頃は欠かさず行っていたが、私はここ数年、大道芸を見に行っていない。
しかし今年は、妹たちが大道芸を見るために帰郷したので
姪っ子たちのお守りを兼ねて久しぶりに見に行くことにした。
姪っ子は前日も、じいちゃんとばあちゃんと行っているので楽しさは経験積みだ。
彼女の場合にはパフォーマンスを見ることよりも他の楽しみがある。
例えば、鼻に赤いボンボンをつけたり、アイスクリームを食べたり、
道を歩いているクラウンと戯れたり、キリン(?)に餌をやったりetc
歩いているだけで面白くて楽しいことが溢れているのだ。

この日の彼女の目的は顔にペイントをしてもらうことだった。
これは私も教えている専門学校生がボランティアで行っているもので毎年大人気。
ハートやイチゴといった可愛らしい絵を顔に描いて歩いている子どもの多いこと。
今年も行列だったが、少しくらい待つことなんて厭わない彼女は最後尾に並んだ。
並んでいる子どもたちはみんなウキウキした表情で自分の順番を待つ。
私たち付き添いも、行列が見渡せる場所で待っているが、
そのときも横をパフォーマンス集団が通ったり、クラウンがちょっかいを出してきたりと、
待つ時間も全く退屈ではない。

妹と話をしていた私の横にひとりのクラウン~少しふくよかな男性~がやってきた。
彼がまじまじと私の顔を覗き込んだ。
クラウンのこういう行為はよくあることで、そうやって見ている人たちを楽しませている。
私もいつものことだと、にっこり笑って彼の顔を覗き返した。
するとそのクラウンがいきなり「先生だ!」と私を指差しながら叫んだ。
『先生?』始めはピンとこなかったが、私のことに間違いはない。
「先生、わかりませんか?」
わからないかと聞かれても、顔にクラウンのメイクをしている彼の顔は
輪郭以外は普段の顔を連想させるものはないので、わかるわけがない。
「ごめん、わからない。ところでどんな講座だった」とざっくばらんに尋ねてみた。
すると彼は以前受けた講義のことを話し始めた。
話を聞いているうちにぼんやりと思い出してきた。
そういえば、クラウンをボランティアでやっていると言っていた男性がいたなぁ。
おお思い出した、あの時の彼か。
「思い出した。○○での就職講座を受けてくれた人だよね」
「そうです。先生、就職決まりました。
あの時先生から自分の資格と特技を活かして自己分析するように言われたので
いろいろ考えて、特定養護老人ホームでのヘルパーの仕事に決まりました」
「おめでとう。いや~よかった」
思わず手を取り合ってその場でピョンピョン飛び跳ねてしまった。
彼はおじいちゃんやおばあちゃんをクラウンの格好をして楽しませたいとも言っていた。
クラウンの立場を忘れて思わず話し込んでしまったのだが
キラキラ光る目で話をする彼を見ていたら、私の方が嬉しくなった。

彼がクラウンに戻って手を振りながら歩いていった。
少し離れたところから様子を見ていた母が
「あんた、クラウンの指導している人だと思われてるよ」
へっ、そうなの。まあ、周りからはそう見えただろうな。
でもいいや。クラウンの先生には間違いはない。
いきなりの嬉しい報告だったので全て良しだ。

しかし、彼の顔は未だに思い出せない私である。

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2008年10月29日 (水)

プロとしての自覚

店舗のオープニング準備に携わって数ヶ月。
その店舗も先週プレオープン、そして土曜日にグランドオープンを迎えた。
土・日はおかげさまで大盛況、スタッフの皆さんも一生懸命に動いてくれた。
たくさんのお客様にアピールしようと、全員が積極的に声を出していた。
教育に携わった私もフォローで参加していたので積極的に声を出した。
終了した時に少しだけ喉に違和感があった。
心に一抹の不安が過ぎった。
『翌日からも毎日予定が入っている。特に講義が多い。大丈夫だろうか
しかしそこは楽観的な私である。ビール片手に
「私は強いから平気。今日、ゆっくり睡眠をとれば大丈夫、大丈夫
今週は休みなしだけどがんばろう」と無理やり自分に言い聞かせ
食事が終わった途端、ホッした安堵感からだろうか”バタンキュー”と眠りについた。

次の朝、声が出ない。
今日は午後から公共機関で講義だ。
どうしよう。
額に汗が流れた。

うがいを何度もした。
行きがけのコンビニでのど飴を購入。
ハチミツレモンがいいらしいので、ドリンクも購入。
薬局で喉スプレーを購入して、思い切り喉の奥に吹きかける。
会社へ行って少し経てば様子もよくなるだろうなんて甘い考えでいたのだが
よくなるどころか、更に悪化。
もともとハスキーな声の私であるが、
現況は、ハスキーを通り越して嗄れてしまっている。
のど飴をこれでもかと口にほおりこむ。
どうしよう。
なるべく声を出さないように時間を過ごす。
無常にも午前中は刻々と過ぎていく。

タイムリミットだ。
会場に向かう時間がきた。
まず、受講生の皆さんに謝らなければ。

午後の講義では冒頭に皆さんに謝罪した。
本当に申し訳ないという気持ちを伝え
普段はもう少し美声であると、不謹慎にも冗談を加えながら。

講義がはじまってみると、
本調子ではないが皆さんに迷惑がかからない程度の声が出て安心した。
『よかった。やっと喉スプレーと飴の効果が出てきた』
受講生の皆さんの広い心に助けられ、なんとか講義が終了した。

今日のことは多いに反省しなければならない。
仮にも講義をして報酬を貰っているという『プロとしての自覚』に欠けていた。
自分で勝手に大丈夫と決めつけて、問題を軽視しすぎていた。
無理をしすぎると必ずどこかに歪がくるものだ。
若いときはそれが少ないが、年を重ねるごとに大きくなっている。
自分が思うほど自分の体は強くないし若くもない。
まず、それに気づいて認めなくては。

「もしかして、ビールを飲んだことが喉の悪影響に輪をかけたんじゃないの」
えっ、そうなの。じゃあ、ほとんど私の不注意じゃん。うわ~

本当に受講生の皆様、ごめんなさい。
こんな講師をお許しください。

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2008年9月12日 (金)

資格試験

8月末に資格取得試験があった。
仕事もたてこんでいたので、かなりきついスケジュールだったが、
それを言い訳にはしたくはない。
「時間は自分で作るもの」と戒めて取り組んだ。
『やるからには合格したいし、そしてある程度の結果がでなければ意味がない』
持ち前の負けず嫌いが心の中で湧き上がってきた。

内容のまとめは、夕食・片付けを終えた後の時間しか活用できない。
専用ノートにキーワードと意味を自分の言葉で書き出す。
そして昼間の移動中等の時間を利用し、頭の中で回答を暗唱する。
わからない時は直ぐにノートを確認。
特に車の中ではブツブツと答えを言いながら運転し信号待ちでノートを見る
これを繰り返していたので、傍からは変な人に見えていたかもしれない。
しかし年齢と共に衰えている記憶力を補う為には何度も反復するしかない。
また、その場限りの一夜漬けの暗記方法では忘れるのも早いもの。
ずっと覚えていたい内容だからこそ、繰り返し叩き込むしかないのだ。
試験までの数週間は、自分なりに努力をしたと自負している。

試験は論文まで入れて9項目(9枚の答案用紙)、時間は180分。
計算すると1枚に費やせる時間は約16分。また内容から推測すると、
「考える時間はない。理解していないと書ききれない」と覚悟をして臨んだ。

試験が始まって問題数の多さに愕然とした。書いても書いても用紙が埋まらない。
自分で言うのもなんだが、決して書くのが遅いほうではない。
それなのに・・。
途中であまりの心の余裕のなさに胸が苦しくなった。
残り60分で、まだ4枚が白紙の状態だったとき『これはまずい』と冷や汗が流れた。
もし1項目でも基準点に満たない場合は合格はできないからだ。
このままでは”答えはわかっているのに書ききれなくて不合格”になりかねない。
『このままではダメだ。このままでいいのか。がんばれ』
自分にエールを送った。

残り30分、まだ2枚の用紙が手付かずだった。
手が震えて思うように書けない自分が情けなかった。
わからないからではない、せっかく勉強したことが書ききれない悔しさが溢れた。
ふと『だめかもしれない』という気持ちが浮かんだが、
この試験を来年も受けることを考えると、それだけは嫌だ。
『じゃあ、時間の限りがんばってみるさ』と気持ちを切り替えた。

最後に残しておいた論文にとりかかったのは、なんと残り10分をきっていた。
何を書いているのか、もうわけがわからない。
やっとまとめ終わって文末に『。』をつけたとき、終了の合図が。
なんとまあ、劇的な幕切れだった。
その後の面接まではなんとか気持ちを持続させていたが、
全てが終わって会場を出たとき、安堵感と開放感が一気に押し寄せてきた。
その日は、家へ戻りビールを飲んで爆睡した。

さて結果だが、無事”合格”の通知が届いて一安心。
振り返ってみると、今まで受けてきた数ある試験の中で、最も余裕のない試験だった。
(後からわかったことだが、試験問題は今年大幅に改正されたという)
見直しなんてできる状態ではない。
これは私だけが思ったことではないはずだ。

「よろしかったら、インストラクター有資格者以上の先生方に、
この試験を実際に受けていただきたいと思います。
そしてもし先生方から『時間に余裕がない』という意見があがるようでしたら
試験内容の見直しを検討していただけないでしょうか。
先生方に余裕がないものは、資格のない受験者にはもっと余裕がありません。
心に余裕をもっていなければならない資格に対して矛盾を感じました」
こんな嫌味な内容を、当日の記名アンケートに書いて置いてきたことを
合格通知を受け取ったあとに思い出した。
よくもまあ、受かったものだ。

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2008年8月 1日 (金)

コンプレインとクレーム

皆さんは『クレーム』を言ったことがあるだろうか。
例えば、あるお店に行ったらスタッフの態度がよくない。
「感じ悪いなあ」と思っても、なかなか口には出さない(出せない)。
しかし嫌な気持ちは残っているので、結果その店に行きたいとは思わなくなり、
お店を避けるようなったり、人によっては二度と訪れることはない。

このように、直接口には出さない(出せない)が心の中に残る嫌な気持ち、
これが『コンプレイン』だ。

では、お客様の気持ちはどのように変化しているのだろうか。

①気にはとめていないがちょっとした対応等に何となく不満(潜在化したコンプレイン)
   ↓
②明らかに不満を意識しているが言う気にはならない(顕在化したコンプレイン)
   ↓
③不満がはっきりして機会があれば言ってやろうと思っている(潜在化したクレーム)
   ↓
④直接、商品やサービス提供者へ不満をぶつける(顕在化したクレーム)

直接のクレームは④であり、①~③は表面化されていない。
実際④のように不満を示してくれるお客様は全体の10%以下で
90%以上の人は不満があっても黙っている。
つまりクレームを言わずに黙って店を去り、同業他店へ移る人がほとんどなのだ。
クレームは言われる側は辛いものだ。
しかし、前記のことからも「言ってくれるだけありがたい」とも考えられる。

クレームがこじれる最大の原因は、お客様に対する敬意が欠けていることだ。
つまり、お客様の気持ちになった誠意ある対応が求められる。
次に、絶対に避けたい対応例をあげてみる。

責任転嫁 「私の担当ではないので」 「その時はいなかったのでわかりません」
反論・口ごたえ 「お言葉ですが」 「私だけの責任なんですか」
逆切れ 「じゃあ、どのようにしたら納得してくれるんですか」
開き直り 「謝ればいいんでしょ、謝れば」
感情的 「(涙ながらに)私がいったい何をしたっていうんですか」
話をさえぎる・かぶる 「(話の途中で)だ・か・ら~」
他にも、その場しのぎの嘘などは、もってのほか。
これらはすべて、私が実際に耳にしたことのある言葉である。
こういった対応は気持ちが治まるどころか、逆に『火に油』を注ぐことになりかねない。

クレーム対応のポイントは
①とにかく謝る・平謝り→気持ちを込めて丁寧に
②お客様の言い分をひたすら最後まで聴く→どこが不満でどう満たされなかったのか
③状況を確認し納得がいくように説明→お客様の望んでいることを見極める
④どのようにしたらよいか提案→お客様に決定を投げかける、委ねる
⑤注意していただいたことへの感謝→「ありがとうございます」の言葉
場合によっては、お客様の名前と連絡先を伺うこと、
最後に自分の名前を名乗るなど、その場にあった対応が求められる。

クレームを受けたその後、原因の究明と今後の予防策を考えることも重要だ。
内容によっては店の改善にもつながることも多いからだ。
調査では、クレームが適切に解決された場合、
お客様のリピーター率は80%を超えているという結果が示すように
”クレームを受ければ何かひとつ得るものがある”と考えてみてはどうだろうか。

さらに、クレームの中にチャンスが潜んでいる』と考えるのは前向きすぎるだろうか?

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2008年7月22日 (火)

どこでもいい。何でもいい。

就職に関するカウンセリング中によく耳にするのが
「どこでもいい」「何でもいい」という言葉だ。
特に学生の場合には、大変多い。
自分のやりたいことが漠然としていてわからないので仕方がないのかもしれないが
それでも「どこでも・なんでも」というのは解せない。

「ホントに、どこでもいいんだね。ホントだね」と念を押すと、
「はい、どこでもいいです」なんて強い口調で答えるので思わず
「じゃあ、北海道は?」と聞いてみる。
「北海道ですか。北海道はちょっと・・」
「じゃあ、九州は?」と続けると
「九州もちょっと。先生、真面目に考えてくれないんですか」と逆切れされることもある。
しかし私の本心からすると「どこでもいいって言ったじゃん」なのだ。

私の住んでいる地区は本州の真ん中あたりなので、
まず、一番遠い場所から聞いていく。
すると最終的には「できれば県内で探したいのですが」
「どこでもいいんじゃなくて、自分が勤めたい範囲があるんだよね」

「ホントに何でもいいんだね。ホントだね」
「はい、何でもいいです」
「じゃあ、看護士さんは?」
「先生、私資格持っていませんから」
「じゃあ、美容師さんは?」
「だから、資格もっていませんから。できないことばかり言わないで下さい」
「じゃあ、○○は?」
「先生、私女ですよ。その仕事は男性じゃないと無理なんじゃないですか」
『だって、何でもいいって言ったじゃん』

資格がなければできない仕事、
男女平等といわれてはいるが、やはり男女どちらかの適正に合っている仕事
自分には難しい仕事があるはずなのだ。
「だから、何でもいいんじゃなくて、できないこともあるんだよ」

「どんな仕事を望んでいるのですか。どんな仕事をしたいですか」
と質問すると、なかなか答えが出ずらいときにはまず、
「現在の自分には無理なこと、どうしてもやりたくないことは何?」
と聞くようにしている。
次に、何処から何処の範囲で仕事をしたいのか、
時間は、休日は、給料は、というように求める条件を幅を持たせて聞いていく。
すると、「どこでも・なんでも」という膨大な条件から
かなり厳選された条件が残る。

お笑い芸人で”理解できない女性の行動”をネタにしているコンビが
「何食べたい?」
「なんでもいい」
「じゃあ、イタリアンにしようか」
「えっ、私今日はイタリアンの気分じゃないから」
「じゃあ、中華にする?」
「え~、それもなんかやだ」
『それじゃあ、なんもでいいんじゃねえじゃん。ムカツク---』
こんなコントをしていた。
よく似ているなあ。

何かに迷った時に、
したくないこと、できないこと、これはいやだなと思うことを除いていくと
残った中から「これだ!」と思うことが見つかるかもしれない。
是非お試しあれ。

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2008年7月18日 (金)

久々に腹が立ったこと

ある場所で講義を行ったときのことだ。
13時から受付開始、13時30分から講義が始まる。
せっかちな私は、早めに(12時40分頃)会場へ入ってしまう。
するとまだ会議室では職員の方たちがお弁当を食べている。
せっかくの食事の時間をせかしているようで、そして気を使わせてしまい
大変申し訳ない気持ちだった。
そのため、その後は13時ぎりぎりに行くように心がけた。
早く着いても外で時間を潰して、13時5分前に会場へ入るように調整し、
職員の皆さんも早めに会議室を空けてくださるようになった。

机を整頓し準備をしていると、一つの机の上がビショビショなことに気がついた。
きっとお茶がこぼれてしまって、気が付かなかったのだろう。
会議室を出て「雑巾を貸していただけませんか」と20代女性職員に声をかけた。
すると彼女は「雑巾の場所がわかりません。ところでなぜ雑巾が必要なんですか?」
『えっ、彼女は雑巾を使わないんだ』と思いながら
「机の上にお茶がこぼれているので拭きたいのですが」と答える。
「お茶がこぼれていたことは部屋を使った人に言っておきます」とそっけなく言った。
『へっ、なんか違うんじゃないの』
彼女の言っていることが理解できなかった私は、
「申し訳ありませんが、雑巾を貸していただきたいのですが」ともう一度彼女に言った。
「だ・か・ら、わかりません」
「そうですか。わかりました」
そして私は、自分のタオルで机を拭いた。
机を拭きながら、沸々と怒が込み上げてきた。

机を拭き終わって彼女に、
「ごめんなさいね、お節介だとは充分わかっていますが、一言よろしいですか。
机が濡れていたら拭いて、これから講義を受ける方に対して準備をすること
これは当然のことではないでしょうか。お茶をこぼしたのが誰かは関係ないですよ。
気がついた人が片付けるのがマナーだと思いませんか?」
私の言っていることが全く理解できなかったのだろう、きょとんした顔の彼女は
だ・か・ら、私はその部屋でお弁当は食べませんし、汚してもいません。
それに机を拭くことは、私の役目
ではありませんからとはき捨てるように言った。
『だめだこりゃ』
余分なことを言うと自分が嫌な思いになるだろうと予測していたのに
わかならない人に言っても無駄だとわかっていたのに、
と自己嫌悪を抱きながらその場を離れた。

今考えても、私の言ったことは間違っているとは思わない。
久々に腹が立った
もし回りも立場も全く考えなかったら、思い切り何と言いたかったのだろうか。
(以下、不適切な表現も出てくるかと思いますがご勘弁を)

「あなたねえ、何考えているの。
自分が使っていないから、役目じゃないから・・・ですって、
それが会社で通用すると思ってるの?
バカいってんじゃないよ。
うちの会社の女の子たちなら、自分が汚した汚さないに関わらず
『申し訳ありません、すぐに片付けます』って言って、嫌な顔しないで行動するよ。
あなたに彼女たちの爪の垢を煎じて飲ませたいよ。
というか、雑巾の場所も知らないなんて常識がないのもほどがある。
それに職場の掃除もしないんだって正直驚いた。
そうか、掃除なんかやってられないんだ。仕事じゃないもんね。
とにかく、マナーも常識もないあなたに関わっている人たちがお気の毒。
自分のマナーと常識のなさに気がついてくれることを心から祈ります。」

あ~スッキリした。

実際は、こんなこと絶対に言えません。

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2008年7月11日 (金)

長所と短所は紙一重?

長所と短所は紙一重かもしれない。
自分では長所と思っていても、人からみたらそうでもないこと、
自分では短所と思っていても、人からみたらそうでもないことは、意外に多い。

例えば私だが、
自分では『人の面倒見がよく親切』と思っているが、
誰かさんに言わせると『お節介で押し付けがましい』とか。
そして自分では『ずぼらで大雑把』と思っているが、
誰かさんに言わせると『おおらか 細かいことにこだわらない こころが広い
な~んて、心地よい言葉に変わってくる。

そこはポジティブで楽観的な考えの私であるので、
自分が良いと思っていることはそのままに、
そして自分が直したいと思っているところは他の人の言いかえを
勝手に採用している。

がんこ --- 意志が固い     短気 --- 決断力が早い

優柔不断 -- 興味が多い・人に合わせられる     細かい --- 気がつく

神経質 --- 慎重(すぎる)     うるさい --- 明るすぎる・元気すぎる

特に最後の言い換えは何度も耳にした言葉だ。
息子の先生が「○○君は元気すぎるのよね」と、
やんわりと、『うるさい』を遠まわしに言ってくださったことが思い出される。

こういった言葉の言い換えについては
就職の応募書類を書く際、自己PRをまとめる際にもよく話をすることがある。
やはり自分をPRする際に、マイナスに受けとられる表現より
前向きにとられた方がいいからだ。

しかし本当の良さは別のところにあると思う。
マイナス要素よりもプラスの要素と捉えることで
前向きに考えられるようになることではないだろうか

『きはもちよう』とはよく言ったものだ。
そう、気には根拠もなにもないのだから、
自分が思うことで、変えることができるのだから。

これからも前向き、ポジティブで行くぞ。
お---------っ!
『あんたはもう少し後ろ向きになってもいいと思うよ』という声が聞えてきそうだが、
これからもこれでいこうと、思う。

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2008年7月 7日 (月)

いつもと違う風景

毎月定期的に行われる公共機関の講義がある。
そしてその会場が、JR駅に密接した公共施設だ。
建設されてから数年、きれい且つ使い勝手の良い施設で
講義で使われるようになってから約2年、
私が通い始めてからも同じ年月が経ったことになる。
いつも使用するのは6階大会議室。
ゆったりとした広い部屋で、定員約80名。
毎回の講義に定員めいっぱいの人が集まってくれる。

先日、講義担当の方が
「来月なのですが、大会議室を押さえることができず隣の小会議室を押さえました。
定員は30名と、いつもの半分くらいの受講者ですが、よろしくお願いします」
と、申し訳なさそうに話しかけてきた。
私としたら、場所にも人数にもあまりこだわりがなく、
どこでも、たとえひとりでも(実は体験したことがある)全く気にならないので
「はい、わかりました。がんばります」と、担当の方に返事をした。

そして当日、なんの気なしにいつも使う大会議室の隣の小会議室へ入った。
そこで眼下に広がる景色に、私はしばし声が出なかった。

この施設は私の住んでいる町の隣町にあり、講義は午後の3時間程で行われる。
私は昼過ぎから夕方までここにいるが、午前中は仕事をしてから出かけ、
講義が終了すると即会社へ戻って仕事をするというパターンを繰り返している。
そのため、施設の周りにはJR駅以外、何があるのか全く知らない。
そして小会議室は建物の6階角にあり、
周辺に高い建物はほとんどないことも、このとき初めて気がついた。

全面ガラス張りの小会議室の窓から、私の目の前に絶景が広がっていた。
景色を遮る余分なものは一切ない。
雲ひとつない快晴の青空をバックに、緑の山々がそびえる。
そしてその中でも、手が届きそうなほど近くに見える日本一の美しい山。
また、ここは港町。海の青さとのコントラストも素晴らしい。
遠くにぼんやりと浮かぶ船と、悠々と飛び回るカモメのおまけつきときたもんだ。

思わず「なんじゃこりゃ」と心の中で呟いた。
早めに来た受講者も「うわ~きれい」と感嘆の声。
数人と窓際まで行って、景色を満喫した。
改めて私達の住んでいる所の素晴らしさ談義に花を咲かせた。

ふと見下ろすと、港に面したところに一軒の寿司屋が見えた。
『食べ放題 平日 ○○○円』
「うわっ、安い。」感嘆の声をあげた私に受講生の一人が
「先生、ま・さ・か、知らなかったの?」
うなずく私に、「こんなに近くでいつも講義しているのに、信じられな~い」

その通りだ。
私の心の中には、素晴らしい景色を見た感動のほかに
「何で今まで気がつかなかったのか」という、情けない気持ちが湧いてきた。
隣の部屋には2年近くも通っているというのに、
わずか数メートル移動しただけで、こんなにも違う景色が広がっているなんて
思いもよらなかった。
もしかしたらこれは、目に見えているものだけじゃない。
考え方、聴き方、触感、匂い、感覚・・・ありとあらゆるものが、
一歩移動するだけ、少し角度を変えるだけで、
『いつもと違う風景』に感じられるのかもしれない。
自分から一歩動いてみるだけで、違った出会いもあるのかもしれない。

そんな自分の思ったことを講義中にも少し触れながら、
「絶対に、あの寿司屋へ行くぞ」
と密かに誓った私だった。

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2008年6月16日 (月)

ざっくばらん

講義途中で
「先生、『ざっくばらんな話し方』の”ざっくばらん”ってどういう意味?」
という質問があった。
少し驚いた私は、他の子たちにも言葉の意味を確認してみたところ、
大多数が「知らない・分からない」という答えだった。

ざっくばらん(形容動詞)
 意味:遠慮がなく素直なさま、もったいぶったところがなく素直に心情を表すさま 
 語源:心をざっくり割ってばらりと明かす。
    擬態語の「ざっくり」「ざっく」と「ばらり」「ぱらり」が合わさった言葉
他の言葉で表すと、あけすけ、ずけずけ、フランク、ずばずば、あっけらかん、気さく

以上のような内容を私なりに説明して大半は理解してくれたようだった。
念を押して、「例えば、私みたいな話し方かな。」
具体例が目の前にいるので、これは分かりやすかったようだ。
教室の皆が納得してうなずいてくれたので、嬉しかった。

若者の語彙が減少している。
生活の中で活字離れが進んでいることもそうだが、
頻繁に使われない言葉、いわゆる『死語』が増えていることも大きな要因だと思う。

耳から入ってこない言葉を覚えることは難しい。
手本となる大人がたくさんの語彙を使って話をすれば、
子どもたちも、たくさんの言葉を吸収してくれるのではないだろうか。
「今時の若者は」と離れて言うのではなく、
直接言葉を交わし、触れ合ってみれば違った側面が見えてくるのではないだろうか。
極端だが、直接何もしていない人が
「今時の若者はまったく」なんて偉そうに言う資格はないと思う。

言葉は多彩だ。
昔から使われている情緒ある、風情のある言葉はなくなってほしくない。
その地方の風土、風習、人柄がにじみ出てくる方言もその一つだ。
聞いているだけで「ほんわか」した気分になる素敵な響きの言葉を、
ずっとずっと残してもらいたいものだ。

さて講義中の話に戻ると、
”ざっくばらん”の質問に対して少し驚いてしまったことを、私は皆に謝った。
皆が知っているだろう、というのは私の勝手な思い込みだったからだ。
特に、質問してくれた学生に申し訳ないことをした。
質問してくれたおかげで、クラス全員が言葉の意味を確認することができたのに。

「これからも、もし分からないことや疑問に思うことがあったら
ざっくばらんに、どんどん訊いてね。」
と、その日の講義を閉めた。

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2008年6月11日 (水)

挨拶力

少し前のオリコンリサーチで、
先輩社員が後輩社員に求める能力のランキングが発表されていた。

①挨拶力  ②行動力  ③人間力  ④発想力  ⑤創造力

予想通りではあるが、
会社で求められる能力というよりも人として当たり前のマナーであるとも思う。
1位の『挨拶力』については特にそうだ。
以前紹介した、新入社員の困った行動ベスト1が”挨拶ができない”だったように
最近やけに挨拶という言葉がキーワードになっていることが多い。

しかし、そもそも私には、どうして”挨拶ができない”のかが理解できない。

道で知人や顔見知りの方に会ったら「こんにちは」と言うのは当然のことだし、
久しぶりにお会いした方なら「お元気ですか」と話をするだろう。
家族同士でも、朝は「おはよう」から始まり、おやすみなさい」で一日を締め、
感謝は「ありがとう、謝罪はごめんなさい」と自分の気持ちを伝える。
挨拶は時と場合で、自然と出てくるものなのでこれといって構えることもない。
誰もが普通に行うことができる『習慣』であるからだ。

先日、専門学校の先生からお話があった。
「面接を受ける生徒に『挨拶』をするように、きつく指導して下さい。」
「はいわかりました。しかし、どういったわけでしょうか?」
普段から挨拶のことを、きっちり話をしているつもりでいた私は理由をお聞きした。
すると、生徒全員ではないが面接に行った企業の担当者から挨拶ができないことを
学生が指摘されたので、私の授業で『挨拶』をもっと教えてほしいとのことだった。
先生の話の中に、マナー教育を担当している私に対して、
「あなたが教えてくれないから」という気持ちが多分に入っているように受け取れた。

私は心の中で、
「耳にたこができるくらいに言ってますってば!
新入社員困った行動ベスト3、挨拶力、挨拶はした者勝ち、礼で始まり礼で終わる、
『挨拶だけしていればなんとかなる』なんて極端な話まで、あるとあらゆることを。
もちろんこれからだって教えますよ。ご心配なく。」
話しかけてきた先生に挑戦的な態度を隠しつつ返事をした。

「わかりました。これからも授業の中できっちりと伝えていきます。
それにしても、挨拶というものは簡単なようで難しいものですね。
学生は自分ではしているつもりでも、相手に伝わっていないのかもしれない。
もしかすると”挨拶をしていない”という、自覚もないのかもしれません。
挨拶は習慣ですから、普段からしていないとなかなかできないものです。
まず家庭内での挨拶、そして学校内での挨拶も習慣づけていただくといいですね。
挨拶力をつけるためには、家庭や学校で自然にすることが必要です。
どうぞ、ご協力をお願い致します。」(このような内容を冷静に喋ったと思うのだが)

あっちゃ~。
つい口が滑って、普段思っていることが出てしまった。
そう、学校へ行っても「おはようございます」も何もない入口の事務室。
職員室へ挨拶なしに入ってくる先生方。
挨拶なしに始まる会議。廊下ですれ違っても挨拶しない先生と学生。
これって違うんじゃないの?
まず、大人の私たちが普段から見本を示さなくてはだめなんじゃないの?
もちろんマナーを教える立場であるので、ことあるごとに話をしようと思う。
しかし、1学年のマナー講義を集中で10講座ほど担当している私が
いくらあがいても限界があるということを理解してもらいたいと、心底思った。

今回はこれでその場は終わったが、おそらく次に同じように言われた時は、
「まず、先生から率先してご挨拶をお願い致します。」
といつになく(いつも通り)嫌味たっぷりに言ってしまいそうで恐い。
さて、どうなることやら。

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2008年5月 7日 (水)

100円ショップでお節介

ゴールデンウィークが終わった。久しぶりのまとまった4日間のお休みだった。
1日目は日用品の買い物と整理整頓、衣替え、2日目は大物洗濯と掃除に明け暮れ、
3日目は調子が悪くて1日中寝込み、4日目はまだ本調子でないので静かに過ごした。
何処へ行くでもなくボーッと過ごすこと、これが私にとってはとてもよい時間なのだ。
普段は車で行くことばかりのスーパーへも、
時間に余裕があるのでテクテクと歩いて出かけることができる。
季節の風を肌に感じながら、いつも通らない路地に入って
少し遠回りしながら歩くだけで爽快な気分になる。
夕方の縁側で座っていると傍らに犬の魁丸(かいまる)がちょこんと座り
ふたり(?)で空を見上げているだけで、ほのぼのした幸せな気持ちになる。
「ずっとこのままの時間が続けばいいのに」と、魁丸を撫でながらいつも思う。

実は、今回の休み中に一貫して行ったことがある。
連休初日に『布の箱』を掘り当ててしまったことから、私の洋裁の虫が動き出した
たくさんの布を見ていたら様々なアイディアが浮かんできた。
実行に移すととことん突き進む性格なので、あとは想像通りのめり込む。
袋から始まり、姪っ子のワンピースを作ろうと決めたが足りないものがある。
洋品店へ出かけるが、そのついでに可愛い布を見つけ購入。
あれも、これも、見ているだけでイメージが湧いてくる。
家へ帰ってきてウキウキと洋裁を始める私。
「ああ、幸せ」と布を裁つが、ふと手が止まった。「忘れ物しちゃった。やいやい」
洋品店は遠いので近くの100円ショップへ出かけることにした。

最近、100円ショップでは基本的な洋裁のグッズが結構揃っている。
特にいつも行く100円ショップでは品揃えが多いので、大変助かっている。
私は洋裁グッズの置いてある場所へまっしぐら。
すると、その前で男性ふたりが神妙な面持ちで話し込んでいた。
時間を潰すために店内を見て回った。
そろそろ大丈夫かなと洋裁グッズコーナーに行くと、まだそのままの状態だった。
良く見ると、ひとりは定員さんで、もうひとりの男性の話を聴き入っている。
もしかするとクレームかもしれない、これは邪魔はできないと思いその場を離れた。
あっちもこっちも見て周り、さすがにもういいだろうと洋裁グッズコーナーへ向かうと
まだ、そのままだ。埒が明かないので思いきって傍へ行きグッズの物色を始めた。
男性ふたりは私の気配に気づかないのか、微動だにしない。
困惑した私は、「すいません」とおそるおそる声をかけながらグッズに手を伸ばす。
すると、ふたりは少しだけ移動する。
運が悪いことに、移動した先にもほしいものがあるわけで、
またまた「すみませんが」と声をかけ手を伸ばすと、ふたりはまた少しだけ移動する。
少しうんざりした私が「申し訳ありませんが」と促すように声をかけると、
ふたりは殆ど表情を変えずに逆側へ移り、丁度私の背中越しに話を続けている。
おそらく話に夢中で無意識での行動だろうが、この態度には少し憤慨した。
ふたりの話を聴いているわけではないが、背中越しなのでよく聞えてしまう。
私も知らず知らず聞き耳をたてているので、だいたいの内容がわかってしまった。
私服の男性がこの店舗の元従業員で、定員の男性に愚痴を言っていたのだ。
自分が店舗を辞めたいきさつ、上司や同僚への不満、そして店舗のあり方等。
とりとめもなく、ねちねちと、回りくどく、同じ話が何度となく出てくる。
話がどんどんエスカレートしてくるので、聞くに堪えない内容だ。
「この人たちは一体、どれくらいの時間ここで話をしているのだろうか。
私が来てから15分以上経つから、もっと長い時間ここでこんな話を続けているんだ。」
そう考えたら腹が立った。
どうしようか迷った挙句、振り返って声をかけた。
「申し訳ありません。お節介とは思いますが、
そのような内容のお話を店内でするのは、いかがなものかと。
私も一応、客なのですが。
このお話は客に聞かせる内容ではないのではないでしょうか。」
ふたりは、話に夢中になっていて周りが見えていなかったのだろう。
はっとした顔になって、あたりを見回し、
「申し訳ありません」と恥ずかしそうに言って、どこか見えない場所へ移動した。

はあ、またお節介してしまった。
でも、間違ってはいなかったと思うのですが。

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2008年4月21日 (月)

させていただく症候群

最近、「させていただく」という言葉が氾濫している。
この言葉の本来の使い方については、
文化審議会国語分科会が文化庁に対して
敬語の指針のたたき台・報告書を答申した内容で公表したものを紹介してみたい。
「~させていただく」といった敬語の形式は、基本的には自分側が行うことを
①相手側又は第三者の許可を受けて行い
②そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合に使われる

と説明されている。
こういった本来の使い方からは逸れ、「させていただく」を頻繁に使う人を
『させていただく症候群』と呼ぶそうだ。

次の言葉は、適切だろうか。
A 知人が持っている写真を見せてほしいときに
  「写真を見せていただけますか」
B 博物館で案内担当の女性が自己紹介で
  「本日、館内をご案内させていただきます、私○○と申します。」
C 新幹線で乗車券のチェックをする車掌さんが
  「これから乗車券を拝見させていただきます。」
D 電車のアナウンスで
  「左側のドアを閉めさせていただきます。」
E 歌手がテレビのインタビューで答えていた言葉
  「今度、新しいアルバムを出させていただきました。」

Aは①②の条件を満たしているので、すんなりと聞くことができる。
他にも「写真を拝見できますか」という表現も適切だ。

Bもさほど嫌な感じはないが、①の条件は決まっていることで
これは案内担当の女性の業務であるので
「本日の館内のご案内は、私○○が担当致します。よろしくお願い致します。」
と言ったほうが、よりすっきりするのではないだろうか。

Cも①②の条件を満たしていると判断すると適切だが、Bと同様の理由で
「これから乗車券を拝見いたします」の方が良いと言える。

Dの表現は明らかに違和感がある。
許可を得ることでもないし、恩恵を受けるというのもどうかと思われる。
「左側のドアが閉まります」が的確な表現だ。

Eはよく聞かれるパターンだ。
「この度、新しいアルバムが完成致しました」で良いと言えるが、
「自分のアルバムを制作するのがとても困難な状況でしたが、皆さんの力を借りて
何とかアルバムを出させていただくことができました。ありがとうございます。」
というような内容であれば、必ずしも間違いではない。

模擬面接で頻繁に聞かれる言葉である。
「以前、○○会社で△△の仕事をさせていただいておりました。」
これはいかがなものだろうか。
自分が第三者の許可を得て仕事をし、そのことで恩恵(報酬)をもらっているという
謙虚な気持ちで遣っているのだと思うが、
(もちろん仕事への姿勢は、謙虚な気持ちを持つことは重要である)
自分は『仕事をした(する)ことで報酬を得た(得る)』ことに自信をもってほしい。
是非、「自分はこういう仕事をしていたんだ」という誇りを持って
答えてもらいたいものである。

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2008年3月14日 (金)

余計なお世話と分かっていても

昨日、先ごろ経験した電話応対について書いたが、
他にも、数々の強烈なエピソードがある。

とある企業へ電話を入れたときのことだ。
ここは、地元では名の知れた、
いわゆる「優良企業」であると認識されているところである。
受付けの女性、各部署で対応に出てくる社員の方も大変感じがよく、
『社員教育の行き届いた会社』というイメージが強かった。
その日、私は営業部長に用事があり、夕方のすこし遅い時間に電話をかけた。
営業部長も気さくでざっくばらんな中にも、きちんとした姿勢をもっている
企業イメージそのものの素晴らしい方である。
電話に出たのは、営業部の男性社員だった。

「お電話ありがとうございます。○○会社営業部でございます。」
「いつもお世話になっております。私、○○(会社名)の△△と申します。 
 営業部長の○○様はいらっしゃいますか。」
「少しお持ちください。」
『やはり、対応がしっかりしているなあ』と思いながら待っていると、

「お待たせいたしました。
 申し訳ございませんが、○○様は、すでに、退社されました。」

『えっ!』 私は耳を疑った。
部長さん、辞めちゃったの?そんなこと、先日は言ってなかったのに。
だけど、部長はすでに退社したって言っているし。
え~、うっそ~、信じられな~い、と心の中で思いながら、

「○○部長、退社したの?辞めちゃったの?」(驚きのあまり敬語になってない私)

すると、今度は向こうが信じられないとばかりに、
「えっ、辞めてませんよ。今日は、もう帰っただけです。」ときつい口調で言ってきた。

私は、彼の言葉通り理解した。
それまでの彼の言葉遣いが完璧だったので、全てそうだと思ってしまった。
普通、社内の人間のことを社外の人に伝える際、敬語は使わないが、
辞めた人のことを社外の人に伝える際は、敬語を使うだろう。
だから、「部長が辞めてしまった」と思ったのである。

『おいおい、あんたが怒るのは違うんじゃないの』(もちろん心の中で)

「そうですか、申し訳ありません。」と謝ったが黙っていられなかった。
「余計なお節介ですが言わせていただきますと・・・」と前置きをした上で、
敬語の使い方について、ミニ講義を始めた。

ほんとに余計なお節介なのだ。
他の会社の会ったこともあるかないかわからないようなおばちゃんに、
まさか、電話応対、言葉の使い方について、
ああだこうだと言われるとは、彼は思っていなかっただろう。
彼にとったら「余計なお世話」だっただろう。

私も言った後で、いつも自己嫌悪に陥る。
はあ。「わかっちゃいるけどやめられない」
どこかのCMで出てきたようなフレーズが、頭のなかで繰り返された。

同僚に話をすると、
「それは社会人としては恥ずかしいよな。言ったことは間違っていないよ。
だけど、それは講義じゃなくて抗議だろう。」
全く、上手いことを言うもんだ。

追記:この場合の電話応対例
   「お待たせいたしました。申し訳ございません。 ○○は、本日は退社いたしましたが・・」 

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2008年3月12日 (水)

電話応対って難しい

『電話応対』は、大変難しい。
学生や、新人社員の話を聞くと、
電話応対が、「苦手」 「嫌い」 「恐怖」という答えが多く返ってくる。
教える立場の私であるが、自分の対応を後から反省することもしきり。
ある程度の世の中の厳しさも知っているおばちゃん(私)だってそんなものなのだから、
若い人たちにとったら、無理もないことだろう。

先日、車検終了後、訊きたいことがあったのでディーラーさんへ電話を入れた。
電話に出たのは若い女性だった。
担当者をお願いしたのだが、運が悪いことにお休みだった。
それではと、車検をしてくれた技術の方をお願いしたところ

ちょっと待ってください」と、保留音どころか受話器をそのままで待った。

しばらくしてから、「ちょっと、出られないの。」

「そうですか。ではまた改めて連絡します。」と言うと、

「どういうことですか?私でよかったら、お答えしますから!」
と、少し怒っているような口調の返事だった。

『えっ、ほんとにわかるのかな。でもまあ、せっかく言ってくれていることだし』
そう思いながらも、疑問に感じていることを話してみた。
彼女は、「うん、うん」と、私の話をじっくり聴いてくれた。
そして、一通りの説明が終わって、回答を待っていると

「う~ん、すみません。私にはわっかりません。」と、あっけらかんとして言ってのけた。

『はぁ、だったら私でよかったらなんて言うなよ。いけない、いけない、怒らないように』
気持ちを落ち着かせながら、精一杯優しく、
「そうですか。でも、あなたも電話の対応の機会が多いだろうし、
これから訊かれることもあるかもしれないから、調べておくといいかもしれないね。」
と、あまり説教くさくならないように言うと、(充分、お節介で説教くさいでしょうか?)

「はい、不勉強なもので。エヘヘヘ」と、茶目っ気たっぷりに明るく答えてきた。

私といえば、「アハ、ハハハハハ。(ハ~ア)」と、笑うしかなかった。

不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
こうまであっけらかんと明るく対応されてしまったら、何も言えない。
彼女の言葉遣いも対応も、まずいところが多かったのだが、
『素直で明るい』ことが勝っていた。
すべて許されてしまう若さのパワーが彼女にはあった。
若さって、凄い。
若い頃に対応が少しくらい下手でも、敬語が多少使えなくても、
「若さ」で帳消しになることってあると思う。
だから若いうちは、失敗したっていい。
むしろ、どんどん失敗してほしい。
失敗を恐れず、いろんな経験をすればするほど、身につくことが増えるのだから。

こんなことを、今日も学生達に熱く、くどくどと語っていたような気がする。
ついつい脱線してしまう、私の講義。

でも、もし私が、彼女と同じような対応をしたとしたら・・・
そりゃあ、許されないだろう。
若さって、ずるい(笑)

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2008年3月 6日 (木)

イマドキの新入社員

イマドキ新入社員の困った行為TOP3が発表された。(日本経済新聞社調査)

 1位 あいさつがきちんとできない
 2位 メモをとらず同じことを何度も聞く
 3位 敬語が使えない

まさに就職講座で、私がくどくどと話している内容そのものだった。
そしてイマドキではなく、毎年同じことが繰り返されているようにも思う。
新入社員だって、おそらく頭の中では分かっているのだろう。
以上の内容は、言葉にするととても簡単なことに見えるが、
こういった人として当たり前で常識的なことこそ、
自分自身にきちんと身についていないとできないことでもある。

特に『あいさつ』は、本当の意味で自分のものにしていないと出てこない。
講義の際、学生や保護者の皆さんに尋ねていることがある。

家庭内で、ご両親に、そして子供さんに、
 ①おはよう  ②いただきます(はい、召し上がれ)  ③ごちそうさまでした
 ④行ってきます(行ってらっしゃい、気をつけてね)  ④ただいま(お帰りなさい)
 ⑤おやすみなさい
 このような『あいさつ』を毎日、欠かさずしていますか

この質問に対して、「はい」と胸を張って手を挙げてくれる人は、
たくさんいないのが現実である。
これは、どういうことだろう。
普段、やっていないことを、急にやれと言われても出来なのは当然なのでは・・。
就職の際に”困った”ではなく、
家庭で、学校で、普段から習慣づけておくことが一番なのではないだろうか。

幼少の頃、祖母から、あいさつはした者勝ち』という言葉を教わった。
とても素晴らしい言葉を教えてくれたことに、感謝している。
私は『あいさつ』は、誰にでもできるコミュニケーションの第一歩だと思う。
初対面の人には、「はじめまして」の気持ちを込めてあいさつをすると
少し照れくさかったり恥ずかしい気持ちも、吹き飛ぶような気がする。
そしていつも会う人には、「お元気ですか」の意味を込めてあいさつをすると
とても気分がよくなるのは、私だけだろうか?

息子が中学生の頃(反抗期真っ只中)。
「おはよう」  「-----(無言)」
もう一度「おはよう」  「-----(まだ無言)」
さらにしつこく顔の前まで行って「お・は・よ・う」
すると、うさんくさそうな顔で少しはすに構えて「--おお。(小さな声で)うっせ~なぁ。」
(まあ、今日はここら辺でいいにしてやるか)
「いってらっしゃい、気をつけてね」  「-----(無言)」
こんなやりとりが、続いた時期がある。

そして現在。
「おはよう」  「おはよう」
「行ってきます」  「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「ただいま」  「お帰り、寒かったでしょ」

やはり『あいさつ』は気持ちがいいものだ。

  

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2008年2月25日 (月)

「何か質問は?」

”面接で良く聞かれる質問”とやらを、講義に組み込むことがある。
自己PR、志望動機、就業条件、将来の希望、等。
面接官は様々な質問を通して、自社にふさわしいかどうかという、
面接者の『人柄』を見極める。
そして面接の最後に、何か質問はありませんか?」と逆質問をする。
なんか、とってつけたような質問だが、
この返答から、面接者の強い個性がうかがい知れることがある。

質問は、原則、何を訊いても構わない。
『失礼なこと』と『わかりきったこと』以外ならばOKだ。
この質問をされることを想定して企業を調べておく人、
面接の中で聞きそびれたこと、確認しておきたいことを訊いてくる人もいる。
「何もありません。」という答えは避けるようにとマニュアル本に載ってはいるが、
私は、全部がそうだとは言い切れないと思う。
面接で充分に話ができて、自分の聞きたいことはすべて聞けたと感じれば
「お話は充分伺うことができましたので、今はございません。」
という答えだっていいんじゃないのかな、と思う。
私が一番困ってしまうケースは、
「え~っと。う~ん。」と何も答えがないのに、時間が経過することである。
もしかすると質問の内容や、受け答え方で、
面接者のコミュニケーション能力やマナー(常識)を自然と図っているのかもしれない。

こんなケースがあった。
「最後に何か質問はありませんか?」 優しく面接官が訊いた。
少し難しそうな顔をした面接者は、
「はい。ぶしつけな質問で申し訳ございませんが、
この場で採否を決めていただけると、大変ありがたいのですが。」
訝しげな顔をした面接官が、「それは、どういった理由で?」
実は、この面接は3回目で、1次面接から約1ヶ月が経過していたという背景がある。
そのため面接者は切羽詰まっていたのかもしれない。
「はい。私もこちらの仕事に対して、真剣に考えてまいりました。
そして、是非こちらで仕事をしたいという自分の気持ちを固めました。
もし、こちらで採用していただけないのであれば、
明日からでも就職活動を始めたいと思っております。
私の身勝手なお願いで大変申し訳ございませんが、
『不採用』の結果ほど、早く知りたいと言うのが本音です。」
面接者の立場で、よくもまあ、言ったものである。
すると、二人の面接官は一瞬顔を見合わせ、一人が面接者に向けてニヤっと笑って
「はい。では、採用致します。○月○日から、出社して下さい。」

何を隠そう、私の面接エピソードだ。
今考えると、よくもまあ、『採用』されたものである。

入社してから数年が経ったので、あの時のことを、面接官であった上司に訊いてみた。
「面接で私が言ったこと、正直、どう思った?」上司にタメ語で話すなんて、なんてこと!(笑)
「すげ~、気の強い女だと思った。」
「へ~。じゃあ、気の強い女をなぜ採用したの?」この言葉遣い、マナー講師がきいて呆れる。
「う~ん。この仕事は、それくらい気の強い奴じゃないとダメだと思ったから。」

まさに私の性格が、企業の求める『人柄』にあったということか。
反省するどころか納得した私だった。

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2008年2月13日 (水)

忙しい時こそ『笑顔』

講義の中で、「忙しい時こそ『笑顔』で対応しましょう。」
なんて偉そうに話をしているが、この話しをするときにいつも思い出すことがある。

以前勤めていた会社で事務の仕事をしていたときのことだ。
息子が小学生になり、そろそろ長い時間で働きたいと思っていた矢先、
求人広告を見て、思いきって面接に行った会社でのことである。
その会社の業種経験も無く、出産・育児と、ブランクとリスクのあった私を、
度胸がいいというだけの理由で採用してくれた。
事務職とはいっても、社長以下数名の会社なので、営業事務、経理事務、総務事務、
秘書業務、営業、企画、教育と何でも一人でこなさなければならなかった。
今思うと、このときの経験が現在の私の仕事に関する考え方の基礎であり、
仕事の感を取り戻すきっかけにもなった。
お金を貰いながら様々な業務・職務を覚えることができるなんてラッキーなことだった。

いつの間にか、営業社員がいない昼間は事務所に一人でいることが多くなった。
気が楽な反面、忙しいときはパニックになりそうだった。
来客があるのに電話は鳴る。「うわ~!」と叫びたくなることもあった。
仕事をいかに効率良くするかということと、優先順位をつけて実行すること、
忙しいときこそ冷静に仕事を進める大切を、身をもって学んだ。
自分で言うのも照れくさいが、上手に仕事を進めていたと思う。
お客様に対しても上手く対応していると自負していた。

その日も朝からバタバタしていた。
大事な来客の対応を任されていた私は、他の用事が重ならないことを祈っていた。
しかし、そんな時に限って嫌な予想は当たるもの。予期せぬ出来事が起こるものだ。
来客、契約、クレーム電話と、できることから対応していった。
そして何組かお客様が来られていて順番に対応しようと思っていたとき、
もう一人お客様がやって来た。
このお客様は、一度見えられたことのある方で、お住まいはかなり遠方だ。
以前来ていただいたとき時間に余裕があった私は、充分な対応をすることができた。
しかし、そんな日ばかりとは限らない状況なので、
「今度来られる際は、前もって連絡をしてから来ていただけますか?」と、
わざわざ遠くから来ていただいても対応できないと申し訳ないという旨を付け加え
しっかりと説明をし、理解していただいたと思っていた。
『よりにもよってこんな忙しい日に来るなんて。どうしよう、困った、困った。』
そんな気持ちを抱えたまま、
「申し訳ありませんが、少しお待ちいただけますか。」と彼に伝えた。
その時の状況を察した彼は、はっとした顔をして、
「急に来てしまって、ごめんなさい。」
本当に申し訳なさそうな顔をして、土産のお菓子を手渡してくれた。
そしてぺこっと頭を下げて事務所を後にした。
それから数時間経って、他の対応が全て済み、彼のことを思い出した。
電話を入れてみたが出ない。
それから何度も連絡をしたが、その日はとうとう電話は通じなかった。

その夜私は、彼に対する申し訳なさで、眠ることができなかった。
布団の中で自分の対応を思い返してみた。
『忙しい状況はお客様だって理解して下さる筈だ。
あの状況でどうしたら一番良かったのか、何が一番いけなかったのか?
もしかすると自分では困った気持ちでしたつもりの顔が、
お客様には怒っている顔に見えたのかもしれない。
だからお客様は、はっとした申し訳なさそうな顔になったのかもしれない。
気持ちは顔に出るものなんだ。なんであんな態度をとってしまったのだろう。
なぜ笑顔で対応できなかったのだろう・・・。』
そんなことをあれやこれや考えて、後悔ばかりがグルグル回っていた。
お客様の対応が上手い、なんて自負していた自分の甘さを思い知らされた。

そしてその後連絡をし、私の無礼さ、自分の反省したことを正直に謝った。
「連絡をしないで行った私が悪いんですよ。」と言って下さったが、
私が悪かったことは言うまでもない。

いつも『笑顔』で対応することは難しい。
しかし『忙しいときこそ笑顔で対応』することを心がけたい。

私はあのときの、お客様の『はっとした顔』を、絶対に忘れない。

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2008年2月 4日 (月)

ノックの話

確か、このブログを始めた頃は「キャリアカウンセラー日記」を書こうとしていた筈だが
最近の内容を見ると、仕事からはかなりかけ離れている。
たまには、(多少は)ためになるお話をしないとねえ。
というわけで、本日は『ノックの話』をしてみたい。

就職活動で避けて通れないのが面接だ。
「面接を制するものは就職を制す」という言葉もあるように
企業と直接対話をすることで、お互いの気持ちを確かめ合う、
いわば企業と面接者とのお見合いの場だ。
企業を訪れ面接会場へ通されて、緊張の面持ちでドアの前へ立つ。

さて、あなたは面接会場のドアを何回ノックするだろうか。

実はノックの回数には決まり事がある。
『2回ノック』トイレノックといい「入っていらっしゃいますか?」の確認だ。
以前マンガの一コマで、面接の際2回ノックをした面接者に
部屋の中から「入っています」と返事する面接官の一場面があった。
作者は2回ノックの意味を考えて皮肉っていたのだが、
当時の私には意味が分からなかった覚えがある。
『3回ノック』プライベートノックといい、家族・友人といった親しい間柄で使う。
そして『4回ノック』正式ノックであり、仕事や人の家に行ったときに使われる。
4回続けてノックするより、2回+2回』と分けてノックすると良いと言われている。

日本人にはノックの習慣は馴染みが薄い。
日本家屋を考えてみると引戸が中心で、ドア様式の扉は殆どなかったからだ。
築年数30年以上の実家の間取りを頭の中で追ってみても、
トイレと裏木戸以外全てが引戸である。
唯一のトイレでさえも誰が入っているかわかるのでノックをしたことはない。
しかし、最近は洋式の家屋も多く、オフィスや店舗もドア形式が多い。
また、ドア様式が普通である各国では当然のマナーでもある。
こういった環境の変化や情勢に伴ったマナーも、身につけることが必要だ。

面接の際、ドアを4回ノックする。これは「これから入りますよ」という合図になる。
ノックの合図と共に中の人が体勢を整えることができ、「どうぞ」と返事を返す。
一呼吸気持ちを落ち着けたらドアを開け、「失礼致します」と軽く一礼をして入室する。
もし、中から返事が返らないときは、数秒待ってから開けてみるとよい。

私事だが、襖が急に開いて、着替えをしていている私を見た息子から
「うわっ」と、ものすごく嫌そうな声を出されることがある。
しかしそれは開けた方が悪いのだ。
私はしっかり襖を閉めていたので、何も見せる為に着替えていたわけではない。
また、母はノックや声かけはするものの、それとほぼ同時に入ってくる。
こちらは返事をしている間もないので、ノックや声かけの意味がない。
中の状況を耳で確認してから、部屋に入ることも忘れてはならない。
もしかすると、見せたくないもの・状況、
あるいはこちらからも、見たくないもの・状況、
はたまた、見なくてすめばこしたことはないもの・状況
がドア・襖の向こうにあるのかもしれない。
「ドアにはノックを、襖には声かけを、そして中の状況を確認してから」
ドア・襖を開けたいものだ。

仕事だけでなく、家族間でもマナーを持って生活することは
大切なことではないだろうか。

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2008年1月15日 (火)

やり辛かった講義

今までで、一番やり辛かった講義について話したい。
2年ほど前のこと、とある高校で就職内定者に対しての講義があった。
この高校での就職希望者は全体の10%程の為、
40人あまりの学生対象に「卒業までの過ごし方」をベースの講義を行った。

講義が始まる前に、教務主任の先生に説明を受けた。
特に先生が強調されたのが、
「就職が決まってだらけている生徒が多いので、しめてください。」ということだった。
『それじゃあきっと、やんちゃな生徒さんが多いんだなあ。がんばらないと。』と、
妙な期待をしながら教室へ向かった。

というのも、実は私は「やんちゃな生徒」が大好きである。
だって、わかりやすい。
講義を聞いてくれないのは、私の話に魅力がないから、
生徒が騒いでいたり、聴く耳をもってくれないのは、
「自分の話の進め方や内容に責任がある」と、私はいつも思っている。
特にやんちゃな生徒は、反応がすぐ顔に出るので、
興味があるか、つまらないのかのバロメーターになるので、大変ありがたい。
だいたい最初に『この子をおさえておこう』と、良い意味で目安にする。

教室は、私の予想とは全く違い、とても静かでシーンとしていた。
そして、全員の生徒が前を向いて、ぴしっと背筋を伸ばし起立した。
着席してからもきっちりと姿勢を整えて、前を見据えている。
良く見たら、校長先生、教頭先生、教務主任の座る場所が、
私の机の横に、生徒に向かって据えられていた。
「えっ、嘘!先生たち前に座るの。それも生徒に向かって?」
それは嘘ではなく現実で、私の横へ座った先生方は、講義中ずっと、
生徒に向かって目を光らせて座っていた。
生徒はと言うと、講義が終わるまで、その姿勢のままだった。

約1時間半だったが、いつもとは違って、時間がやけに長く感じられた。
いつもの学生への講義では、時々机の間を歩き、多少のギャグを交えながら
進めていくのだが、この状況では、あまり変なギャグやネタも入れられない。
私の背中には変な汗がタラ~っと流れていた。
全員が、しっかりと前を向いて聞いているのに、なんか気持ちが悪い。
講義の進め方、時間の流れ方が、明らかにいつもとは異質の違和感を覚えた。
『何故?』  簡単な答えだ。 『反応がない』のである。
始めは生徒の肩の力をほぐすように話を進め、生徒も乗りそうになるのだが、
すぐに元に戻ってしまう。先生が生徒に向かって目配せしていれば当然だ。
こちらは気を抜かせようとしているにもかかわらず、先生がそれを許さない。
生徒に反応を求めているのに、反応させないように先生が無意識で仕向ける。
生徒は反応したがっているのにそれができないのが、よくわかった。
何度試みても結局同じ結果になるので、私も途中で諦めた。

先生たちの動向で、生徒たちの窮屈さやジレンマが感じとれた私は、
「今までの話は講師としての建て前、これから私個人の本音です。参考として聞いて!
 これから卒業までは、学校生活もプライベートも思い切り楽しんでほしい。
 遊び、恋愛、おしゃれ・・自分のやりたいこと、どんどんチャレンジしてみて。
 もちろん人に迷惑をかけないことが前提だよ。今しか出来ないことあるでしょ?
 年相応に色々経験したことが、必ず社会で役に立つから。何でもやってみよう。」
生活態度をしめるどころか、あおる一言でしめてしまった私だった。

生徒たちが最後にニコッと笑ってくれたのが、救いだった。

講義の後、先生方とお話をして終わった。
先生方は『当校の生徒は皆お行儀良くて素晴らしいでしょ』と言わんばかりだった。
意見を求められたので、またまた余分なことを言わずにはいられなかった。

「お願いがあります。これからは先生方(皆様)は生徒に向かって座るのではなく、
生徒と同じ向きに、後ろに座っていただけませんか。
何故?生徒の正直な反応を見たいからです。。
本日の状況だと、生徒は先生方を気にして正直な反応を出せません。
例え、生徒が変な反応をしても私は全く構いません。逆にありがたいです。
自分の反省材料になりますし、これからの課題にもなります。
はっきり言って、本日の講義は、大変やり辛かったです。
私たち講師にとって一番辛いのは、嫌だと拒否されることではないんです。
話をしても反応がかえってこないこと、手ごたえのないことなんです。」
思いっきり言ってしまった。

笑うところで笑う、嫌なところで嫌な表情になることって、素晴らしいのになあ。
それが、「ただ聞いている」ことと「じっくり聴く」ことの違いなのになあ。
そんなことを繰り返し考えながら帰路に着いた。

しかし、先生方も授業中、私が感じたような違和感を感じたことはなかったのだろうか?
「訊いてみたかった。」と、今も多少の後悔が残る私である。

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2007年11月27日 (火)

新種のナンパ

「ナンパ」 私にはトンと関係のない言葉だ。
しかし先日、新種のナンパにあった。

夕方、人と待ち合わせをするために、とある店舗の前で待っていた。
私は、せっかちな性格なので、待ち合わせには必ず早く行ってしまう。
時間に遅れるなんて、待たせるなんて、もってのほか。全く考えられない。
私の価値観の中には「人を待たせる」という言葉はないので、
遅くとも10分前には着いて、ぼーっと立っていることが多い。

その日も早めに着いた私は、時計を見ながらキョロキョロとあたりを見回していた。
すると、道の向こうから20代後半~30代前半の男性が近寄ってくるではないか。
『えっ、あの人私に向かって歩いてくる。』
いつもの妄想かとも思ったが、回りに人がいないので間違いはなさそうだ。
男性は少し微笑みながら、照れくさそうに話しかけてきた。
『これって、もしかしてナンパとかいうやつ?』
『私もまだまだすてたもんじゃないじゃん。フフフ』という淡い期待と、
『おばちゃんにナンパするわけないじゃん。』という確かな現実が心の中に交錯した。

「あの、少しよろしいでしょうか。」 (とても丁寧な言葉使いの男性)

「ええ、何でしょうか?」 (慣れないことで、かなりうわずっている私)

「お願いがあるのですが。今から私の携帯で職場に連絡を入れてもらえませんか。」

「・・・・・・?」

「実はこれから仕事なのですが、行けそうもないので、理由を連絡してほしいんです。」

「(この人は一体何を言っているのだろう)・・・というと?」

「自分では言えないので、母親のふりをして、調子が悪いとか何とか言って、
 職場に電話をかけてもらえないでしょうか?」

「(はあ~?)申し訳ありませんが、そういったことはできません。」 (小怒)

「お願いします。もうすぐ仕事が始まってしまうんです。お願いします。」 (懇願して)

「ちょっと待って。いいですか。あなた、自分の言っていることがわかっていますか。
 あなたの言っていることは初対面の人に頼む内容だと思いますか。」 (中怒)

「お願いしますよ。いいじゃないですか~。」 (少し甘えたように)

「(もう、頭にきた!)仕事に行くか行かないかは、自分で決めたことでしょ。
 見たところ、あなたは自分のことは責任をもてる年齢じゃないですか。
 私があなたの変わりに電話をする意味がわかりません。
 何故、自分でかけることができないの?自分で電話しなさい。
 もし私がかけたら職場にはこの状況のままをお話しますよ。いいですね。」 (大怒)

すると男性は、「申し訳ありません。」と直立不動で目を伏せた。

「それから、余分なことを言わせてもらうと、『お母さん』ですって。 
 私は、あなたのお母さんにしては、若くない?」と捨て台詞のように言った。

「重ね重ね、申し訳ありませんでした。」と、
深く一礼した男性は、逃げるようにその場を駆け足で去っていった。

職場で事のいきさつと話をすると「そりゃ、ナンパじゃないだろう。」と一蹴された。
「いいえ、新種のナンパです。」と譲らない強情な私。
「でも、お母さんじゃなくて、お姉さんか恋人のふりだったら電話したんじゃないの
返す言葉が無い私だった。

教訓 『人に物事を頼む時は、その人の気持ちを慨さないよう気を配り
                   思いやりをもった言葉使いを心がけましょう。』 
 

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2007年11月22日 (木)

心が痛くなる言葉

専門学校での講義中に、耳にした言葉がある。
ちょっとやんちゃな男子学生が友人に、「死ね」と言ったのだ。
言った彼は嫌味でもないし、むしろ明るく元気なお調子者タイプである。
そんな言葉が彼の口から出たことに驚いて、二人の顔をまじまじと見た。
すると、言った方は悪びれた様子もない。言われた方もけろっとしている。
『そういえば、先日どこかの番組で、若者のよく使う言葉は
うざい、やばい、死ね、と紹介されていたなあ』と思ってはみたが、
『死ね』なんて言葉は、聞くだけで、心が痛くなるし涙が出そうになる私は、
なんでそんな忌まわしい言葉を使うのか納得がいかなかった。
講義中ではあったが、理由を訊いてみた。

「ねえ、なんで『死ね』なんて言うの?」

そう言いながら、もしかすると私は泣きそうな顔をしていたのかもしれない。
彼は少し怪訝そうな顔をしながら、
「先生、深い意味はないから。挨拶みたいなもんだよ。」と、ぶっきらぼうに答えた。
「『死ね』なんて挨拶ないよ。もしそんなこと言って本当になってしまったらどうするの?」
今度は、かなり感情的に訊いてしまった。
「先生、大丈夫だって。俺たちまだ若いから。」と、彼は少し笑って、ゆっくりと答えた。
彼らには『死ね』という言葉を使うことに罪悪感は全くないのだ。
それよりもむしろ、挨拶に近い感覚で使っていることに、更に驚いた。
益々、納得のいかない私は、自分の気持ちをぶつけてみた。

「あなたたちは、今、人生という山を登っている最中だよね。頂上には着いていない。
人生を折り返してもいない。だから、死からは、まだまだ遠い位置にいるよね。
だけど、私はもう既に頂上に着いて、山を下っている年齢なんだよ。
折り返し地点をすぎているから、確実に死に近い位置にいる。
あなたたちの年齢では『死』は現実問題ではないからピンとこないかもしれないけれど、
私のように人生を折り返した年齢の人間には、『死』は現実問題なんだよ。
あなたたちのご両親も同じ気持ちだと思う。
だから『死ね』という言葉を聞くと心が痛む。涙が出そうになる。ものすごく切ない。
お願いだから、『死ね』なんて言わないで。」
またまた感情的に、話してしまった。

沈黙が続いた。
(どうしよう、言い過ぎてしまった。若者言葉なんだからと、割り切ればよかったのに。)

「先生、ごめん。俺、もう言わないからさ。」
いつもはやんちゃに受け答えする彼が、見たこともないような神妙な顔をして言った。
「こっちこそ感情的になってごめん。でもわかってくれて嬉しい。ありがとう。」

後から冷静になってみると、講義中にクラス全員の前で、自分の聞きたかったことを、
彼に、感情的に一方的に訊いていたことに気がついた
私は自分の感情に対して、欲求を満たすだけの質問をしていたのだった。
講師として、一人の大人として情けないことをしてしまった。彼に申し訳なかった。
でも、わかってくれた。
彼だったから私も思いきって訊けたのかもしれない。
彼だから、あんな風に素直に受け止めてくれたのかもしれない。

言葉は言霊』といわれるように、不思議な力を持っていると、私は信じている。
だから誰がなんと言おうと、「死ねなんて挨拶みたいなもの」、
誰かがこんな言葉の使い方をしていたら、正して行きたいと思う。

憧れの忍たま乱太郎の食堂のおばちゃん風に言うとしたら、
「そんなことばはゆるしまへんで」 なのだ。

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2007年11月21日 (水)

履歴書の写真・スーパーサイヤ人

仕事上、たくさんの履歴書を拝見する。
履歴書にはアピールポントが数々あるが、中でも写真に限定して話をしてみたい。

まず、本人の写真を載せること。それは、本人と確認できるものを載せることでもある。
だから、かなり昔のお気に入りの写真では困るし、変装なんてもってのほか。
服装も重要だ。男性はスーツ、ネクタイ着用、女性はそれに順ずる正装が良いだろう。
写真屋さんに撮ってもらったものが望ましいが、(修正もしてくれるし・・)
現在は性能のよいデジカメ等もあるので、きちんとしたものであれば大丈夫。
無地のバックの前で、少し笑みを浮かべて撮ると、尚良い印象になる。

中には困った写真もある。
スナップ写真の切抜きや、プリクラはその一例だ。
使用した人の理由を聴くと、「写真を撮り忘れた」と答える人が大半だ。
しかし写真を用意していないということは、就職に対して準備をしていないということ、
「写真を用意していない=やる気が無い」と受け取られかねない。
それに、「スナップ写真を切って貼ってもわからないだろう」なんて思ったら大間違い。
よく見るとバックに花をしょっていたり、少し斜に構えていたり、リゾートウェアだったり、
ミッキーマウスが小さく写っていたりするので、バレバレである。要注意だ。

以前、郵送されてきた履歴書の写真を見てびっくりした。
髪は金色で逆毛立ち、ピアスが両耳10個以上、タンクトップの若い男性の写真だった。
「スーパーサイヤ人」と、ドラゴンボールのキャラクターが頭に浮かんだ。
これでは履歴書の内容以前の問題だ。
書類に眼を通す気のなかった私は、その履歴書をたたんで封筒の中へしまい、
返送するために一時保管をしておいた。

次の日、履歴書の男性から連絡があった。
「突然の電話で申し訳ございません。先日、履歴書を送りました○○と申します。
面接へは、いつ伺わせていただけば宜しいでしょうか?」
(おやっ?なんか感じが違うぞ・・・。)
私は、彼の写真から受けた印象と、電話での印象のギャップに驚き、
「会ってみたい」という気持ちを抑えられず、思わず面接の日時を告げた。

わくわくしながら面接を待っていた。すると現れたのは、写真とは全く違う、
黒い短髪、ピアスなし、スーツ姿の爽やかな青年だった。
彼は私を初対面だが、私は写真で一回会っているので初対面ではない(?)ので、
「何故、その姿の写真を撮らなかったの?」と優しく、厳しく訊いた。
すると彼は「いつもの自分の姿を写真に載せました。」とのことだった。
訊けば彼の趣味はロックで、そのロッカーの姿を写真に撮ったのだった。
「気持ちは分かるよ。でもね、履歴書というものは、あなたの社会人としてのマナー
確認するものでもあるんだよ。そうすると、この写真はどうかな?」と話をした。
すると彼は納得したようで、新しい写真に貼りかえることを約束してくれた。
そしてその後、正装の写真を貼った彼は、めでたく就職することが決まった。

彼に言った。
「あなたに会って本当に良かった。」

彼は「スーパーサイヤ人」の写真を使っていたことで、 
それまでも相当損をしていたのではないだろうか。
本来の自分の良さを出す前に『面接』という扉が閉ざされていたのではないだろうか。

『人は見た目よりも中身』というが、
あまりにも見た目にインパクトがありすぎると、一概にそうとは言えない。
さて、皆さんはどう思いますか?

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2007年11月15日 (木)

こぶたがどーした?

言葉を聞き間違えてしまうことがある。

相手の言い間違いもあるかもしれないが、
『言い間違いは、聞き手のそそう』 こんな慣用句があるように、
聞き手が確認しなかったという落ち度は見逃せない。

①思い込み→こういう風に話をされる(返答がある)と勝手に思い込んで聞いている。
②誤変換→音が伝わりにくい状況や、相手の滑舌が影響して違う言葉に判断する。
③不注意→話に集中していなかったり、別の事を考えながら聞いている。
このように、聞き間違いにはいくつかの聞き手側の原因が推測できる。

また、話は予想しながら聞かないのが基本だが、
話の前後や流れから出てくる用語が、ある程度予想できるので、
言葉が曖昧な場合は確認をすることで、聞き間違いは未然に防ぐことはできるはずだ。
それこそ、『聞き手のそそう』である。

しかしながら、とんでもない聞き間違いに遭遇することがある。
以下に、私が出会った聞き間違いを紹介してみた。

友人A「昨日、家族でアシカのショーを見て来たの。」
友人B「へえ、明日のジョーね。」
 *友人Aは幼稚園の娘がいる。明日のジョーは見に行くだろうか。

男性A「医学部の出身です。」
男性B「リバプール出身でいらっしゃるんですか。それでは英語にご堪能ですね。」
 *リバプールといえばビートルズかあ。

友人C「デパートのファンシーグッズ売り場でね。」
友人D「どこに阪神靴売り場があるの?」
 *阪神タイガース専門の靴売り場は、うちの地方ではあまり需要がないのでは。

いずれも、状況・話の流れから考えると、会話に出てくる可能性は低いように思う。
しかし、どれも聞き手が真剣に返答しているので、逆に笑いがこみ上げてきた。
「間違えちゃった」で済む状況では、笑いでごまかすことができるが、
大切な場面では、くれぐれも聞き間違えのないように気を配りたいものだ。

では、最後に、私の『BEST OF 聞き間違い』を紹介したい。

私「この前、伊勢丹のコムサ・デ・モードで、」
友人「えっ、『こぶたでどーも』って?」

こんな、ブランドがあったら楽しいだろう。

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2007年11月13日 (火)

救われた言葉

数年前のことだ。
私は、とある資格試験を受けようとしていた。
自力では難しい内容のため、週に一度の講座へ申し込み、仕事終了後通い始めた。
始めのうちはモチベーションも高く、欠席することなど考えもしなかったが、
仕事の都合でどうしても行かれない日があり、3ヶ月目にして初めて講座を欠席した。
1日欠席してしまうと、今まで張り詰めていた気持ちがプツリと切れ、
それからは時々休み、半年が経った頃には、半分も行けば良い程まで堕落した。

言い訳ではないが(思い切り言い訳だが)、
新規の仕事と重なり、時間がないというのも事実だった。
毎日の仕事で時間も食事すら忘れることもしばしば、
休日も出勤してフォローをするという生活が続いていた。

試験の申し込みが迫り、どうしようか散々迷ったが、
受けるだけ受けてみようと思い受験手続きをした。
それからは自己流に本を読み、詰め込むように用語を覚えていったが、
明らかに自分が出来る限界を感じていた。

試験も惨憺たるものだった。
今までの経験知識で補えるものはあったが、半分以上は『感』に頼った。
約8割の正解率でないと合格基準に達しないということは分かっていたので、
終了後、「絶対に受からない」という確信をもった。
約1ヵ月後に試験の結果は届いた。
もちろん予想通りの「不合格」。採点では50点満点中25点だった。

友人に試験の合否について聞かれた。
「試験結果は予想通りの不合格。点数?半分の25点しか取れなかった。」
自分が悪いことは分かっているのだが、投げやりな気持ちで言った。

「半分しか・・、違うよ。あの状況で半分も取れたなんて、すごいじゃん。」

驚いた。
「準備をしていなかった自分のせい」とでも言われるとばかり思っていた。
私の状況を理解して言ってくれた言葉が、心に暖かかった。
私は、「半分しか」と、ネガティブ、否定的、批判的な気持ちで言ったのに、
友人は、「半分も」と、ポジティブ、肯定的、好意的な気持ちで言ってくれた。
救われた。そして考えさせられた。

ポジティブで思いやりのある言葉は、人にも自分にも暖かい。
「気持ちも言葉も前向きに」が、私のモットーのひとつに加わった。
そうだ、これからは(も)、
『もういくつ(年齢)ではなく、まだいくつの気持ちでがんばろう』っと。

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2007年11月12日 (月)

BD注意

若者の流行言葉というのは、いつの時代にもあるものだ。
ちなみに私の若い頃には、「え~うっそ~、ほんと~。」
なんていうぶりっ子女学生言葉が大流行だった。(年齢がわかってしまうが)
現在は、色々な短縮言葉が流行っているように見うけられる。

「きもかわいい→気持ち悪いけど可愛い」 「かっこかわいい→格好が良くて可愛い」
等、二つの言葉をくっつけて短縮する言葉

「きもい→気持ち悪い」 「きしょい→気色悪い」 「うざい・うぜえ→うざったい」
等、短縮し少し変化した言葉

「KY→空気が読めない」 「CKY→空気が読める・KYにCAN(できる)がついた」
「GKY→すごく空気が読めない・KYにG(ごっつ)がついた」 「HK→話は変わるけど」
等、言葉の頭文字をアルファベットで短縮した言葉

他にも、「ワンコ→ワンコールで切る・ワンギリのこと」
私はずっと、犬のワンコだと思っていた。

「○○なくない?」
学生に、「それは否定になるの、肯定になるの、それとも疑問系?」と訊いたら、
「先生、そうやってきいてくるのが、うざくなくない?」と言われ、???。

挙げたらきりがないが、字幕をつけてもらわないと分からないものもある。
「日本語の乱れだ。」「言葉使いが悪い。」と言う意見もあるが、
私にとっては、とても面白く興味深い。
決して良いと思っているわけではなく、「へ~。」という感覚に近い。

先日、自動車教習所へ通い始めた息子が、
「かあちゃん、俺の調査票の備考欄にだけ『BD注意』って書いてあるんだよ。」
(おっ新しい短縮語か、色々あるんだなあ)と聞いていたら、少し神妙な顔をして、
「みんながさ、それは『バカでどうしようもない』『バカでだらしがない』か 
どちらかの略じゃあないかって言うんだよな。」
(おおっそうきたか。上手いことを言うもんだ。どちらかというと、だらしがない方かな。
でも、事実としても、教習所の先生がそんなこと書くかなあ。)
と心の中でいろんなことを考えていたとき、
「ねえ、それって『誕生日注意=Birth Day注意』じゃないの?」
息子は12月生まれの為、練習の段階では大丈夫なのだが、
免許取得は誕生日を過ぎてから、と説明があったことを思い出した。
「そうか、よかった。そうだよな、いくら本当のことでも備考欄には書かないよな。」
と何故かほっとして、ニコニコしている息子。
訊けば、紛れのない事実の為『バカでだらしがない』で間違いないと思っていたそうだ。
(あんた、それだけ自分のことをわかっているんだったら・・・)

ほっとしている姿を横目に見ながら、
(もしかすると、誕生日注意に思わせておいて、実は、先生方の情報として、
『○○はバカでだらしがない』を何気なく共有するテクニックだったりして・・・。)
と、深読みしている私だった。

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2007年11月 8日 (木)

想定外の答え

『相手が自分の言ったことに対してどんな答えをしてくるのか』
わかっていないように思われるが、案外わかっていることもあるのでは。

例えば、「あなたが好きです。」と告白した時の答えとして、
①「はい。私も好きです。」
②「ごめんなさい。他に好きな人がいます。」
③「今はほかの事に忙しくて、そういうことは考えられません。」
④「ええ~。全然気がつかなかった。」
⑤「ずっと友達でいてくれる?今のままがいいの。」
という具合に、だいたいの答えが予想できる。
つまり『想定内の答え』である。
もちろん、①の答えが望ましいが、その他の答えも想定している自分がいて、
相手の反応に対して、無意識に答えを用意していたりする。

しかし、ここでどういった反応をしていいか戸惑うことがある。
自分では考えていなかったような『想定外の答え』が返ってくるときだ。
講義中にも自分の想定したものとは全く違う答えが出てくると
すぐに反応できずに、その場の空気が止まることもしばしばだ。
(その後、感心したり、納得したり、感嘆したり、考えさせられたりするのだが)

言葉のキャッチボールというのは、お互いのことを思いやりながら、
共通な話題について意見を交換するものであり、
同じ土俵にたって話をしないと、コミュニケーションは図れない。

だが、意図的にコミュニケーションを図りたくないときに、
この手は使えるかもしれないと、考えた。
忙しい時にかかってくるセールスの電話、
または自分では必要でないと思っている訪問セールスの場合などである。
私の場合、はっきり断りそうに見えて、電話をきることができないのが実際のところだ。
また相手があまりにも返答が上手な為、つい聞き入ってしまうこともある。

下着のセールスの電話のときだ。
それまでの、電話をきれなかったケースを思い出してみると、
「いえいえ、私なんか。」 「高価な下着をつけるような年齢では・・」
なんて言うと、それに対して
「そんなことありませんよ、奥様。だからこそ一度お試しになって・・・」
というように、何を言っても上手に返答されてしまう。(上手!)
また、自分を卑下している私に対して、褒めて、おだてて、盛り上げてくれるので、
聞いている私としては、嫌な気はしない。そして、ついつい電話が長引く。
当然相手が言ってくることを想定して、答えのマニュアルを作っているのだろう。

そこで、全く違うことを言ってみようと思って考えた結果、
「下着は必要ありません。私、ナイスバディーなものですから。」
と自信たっぷりに言ってみた。
相手「・・・・・・(沈黙)」
これは、効いた。私の言動に嘘はあったものの、直ぐに電話を切ることができた。

あるとき、英語の教材を販売に来た方に、うちのばあちゃんが、
「必要ありません。この子の父親はフランス人です。」
と、その場にいた(どこからどう見ても日本人にしか見えない)息子を指差して、
自信たっぷりに話しているのを聞いたことがある。
(もちろん、セールスの方は即お帰りになりました。)

「この親にして、この子あり。」
言葉の内容も遺伝するのだろうか。

追記:フランス人と言われた息子は、驚きのあまり、その場で固まっていた。
    息子談「ばあちゃんが、おかしくなっちゃったのかと思った。」そうだ。

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2007年11月 1日 (木)

ミス・ジェーン・マープル

講義終了後、アンケートを書いてもらうことがある。
受講生の皆さんの書いてくれる積極的なコメントに、いつも刺激されている。
もちろん良いことばかりではない。時には鋭い指摘を受けることもある。
コメントを見ながら、日々、感激・反省を繰り返している。

先日、例えのキャパが狭い」という、20代前半の女性からのコメントがあった。
一人の方の意見とはいえ、心にズシンとくるものがあった。
自分では受講生の皆さん全員に伝わるように話しているつもりでも
全員には同じように伝わらないこと、
独りよがりで話をしてはいけないんだな、ということを改めて痛感し、反省した。
「自分の思い上がりや身勝手さを見直す機会を与えてくれたことが大変ありがたい。」
こんな風に、講師仲間でよく話をしている。
(正直、コメントの内容で落ち込むこと、悲しくなることも否めないのだが・・。)

アガサ・クリスティの推理小説に、ミス・ジェーン・マープル』という老婦人が登場する。
彼女は、小説内で、エルキュール・ポワロと並ぶ人気探偵だ。
イメージでは、『品の良い素敵なおばあちゃん』で、私の一番のお気に入りである。

ポワロが「灰色の脳細胞」を使って難解な事件を軽快に推理していくのとは違い、
ミス・マープルは、自身の経験、特に自分の住んでいる「セント・メアリ・ミード村」で
過去にあった出来事に事件を当てはめて推理していく。
こういった推理ができるのも、彼女の人間観察力が優れていることと、
長年の経験に裏づけされた洞察力があるからだろう。

時に彼女は、唐突に、村でおこったエピソードを、まるで昔話のように語り始めるので、
聞いている人は、始めは何のことか分からず、目を丸くしながら、
「おばあさんが何を言っているのやら」と、少々軽蔑しているのが感じられる。
しかし事件解明が進み、彼女の話していることが徐々に事件と絡み合ってくる頃には、
ミス・マープルに対する眼差しは、尊敬と賞賛に満ちたものへと大きく変わる。
このギャップがたまらない。

ミス・マープルの基本の世界は、自分の住んでいるセント・メアリ・ミード村だ。
イギリスのビクトリア時代を彷彿とさせるような、この(架空の)村での出来事から、
彼女は事件解決の糸口を見つける。

始めは、田舎の老婦人の「狭いキャパシティー」だと思っていたものが、
実は「広いキャパシティー」であったと、皆が気づかされる。

私もミス・ジェーン・マープルのような広い心は、まだ持ち合わせていないけれど、
「自分なりの広いキャパシティー」を見つけていきたいと、切に思った。

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2007年10月31日 (水)

石橋を、どうして渡る?

「石橋を叩いて渡る」
これは、頑丈な石橋を更に叩いて安全を確かめて渡ること、
用心の上にも用心をするという、慎重な人のたとえである。

友人に、とても慎重な人がいる。
彼女は、物事をすすめるときには、準備万端整えておかないと気がすまない。
初めの一歩を踏み出す前に、ウォーミングアップを繰り返す。
彼女曰く、「私って、石橋を叩いて渡るんだよね。」
そこで私が、「違う違う。石橋を叩いて壊す。」と、
あまりの慎重さに皮肉を込めて言ったことがある。
彼女は、渡ることができる石橋を渡る前に壊してしまい、
渡れなくなったこともあるという話をしてくれた。
「そう、私って自分でチャンスをつぶしていることがあるかもしれない。」と・・。

対照的な友人もいる。
彼女は、物事を始める前から行動している。
他の人が初めの一歩を踏み出す頃には、かなり先にすすんでいる。
しかし、どんどん進んでしまうため、周りの景色が見えていない。
そこで私が、石橋と気づかず渡る。」と、お節介ながら言ったことがある。
彼女は石橋と気づかず渡ってしまい、あとから石橋があったことに気づくのだ。
ともすると、空中も歩きかねないので危険だと、自分でも解っていた。
「そう私って、こうと決めたら突っ走ってしまうんだよね。周りが全く見えない。」と・・。

人の性格・考え方・価値観はそれぞれで、みんな違うから面白い。
石橋を補修しながら渡る人、石橋の手前で引き返す人、
石橋をスキップしながら渡る人、
どうやって渡るか(渡らないか)は、その人の自由だし、
どんな渡り方しても誰が困るわけではない。
『そんなの関係ない』のだ。

「ねえねえ、じゃあ、私は?」と二人に訊いてみた。
すると、石橋を叩いて壊す友人がニヤッと笑いながら、
「石橋を渡れと書いてあったら渡らず、渡るなと書いてあると意地でも渡る。」
と、そっけなく言った。
言葉の意味をよく噛みしめて、少し経ってから、思わず『拍手』。

うまい!

さて、あなたは、どうやって石橋を渡るのでしょうか?

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2007年10月30日 (火)

気になる言葉使い

自分のことは棚に上げて言葉使いを教えている割には、
「これはまずいよな。」なんて、いつも反省している日々である。

しかし、敬語、敬語と言っているのとは裏腹に、
その人のキャラクターや雰囲気にあっていると不思議と心地よく感じる言葉、
言い手の気持ちがこもっている言葉であれば、
多少言葉が崩れていても、ぞんざいになっていても、「いいか」と思うこともある。
(ホントにいいかげんで、ごめんなさい。)

私は学生に対して行う講義の中で敬語を教えることもある。
彼らは、日々使っている言葉が「タメ語」が多い。
友達同士はもちろんのこと、先生に対しても、
「じゃあね、先生、まったね~。バイバイ。」といった具合だ。
それはそれで可愛いし許せるのだが、授業の時にはけじめをつけて対応する。

まず、どれくれいの話し方ができるか確かめる為に、1分間スピーチをしてもらう。
知っている仲間の前とはいえ、緊張と照れくささで、姿勢は定まらず、

「んっと~。うち(私のことらしい)、○○みたいな~、かんじ~、だし~・・・・」

「はい。マイナス100点。」(もちろん、愛情込めて言っています。)

「先生、ひっど~い。あははは。」(嫌味を感じないたくましさは素晴らしい)

『さて、どうしものだろうか。』が、初めの正直な心境だった。
言葉使いは、すぐには直るものではない。日々の積み重ねが必要だ。
「みたいな」「かんじ」「だし」という、若者のぼかし言葉といわれるもの、
「KY」「MD」とかいう短縮言葉が頻繁に会話の中に登場する。
しかし、そういった流行言葉を使うということは、言葉の吸収力も早いということ、
まさに若さならではの即効性と柔軟性を持ち合わせているのだ。

まず、「私が正しい言葉を使わなくてはならない」ことを実感した。
話し手の私が手本にならないような言葉を使っていては、まずいのだ。
話し手がきちんとした言葉を使っていれば、
少しずつでも正しい言葉使いを、知らない間に吸収してくれるからだ。
きれいな言葉を聴く環境が周りにあると、自然と敬語が身についていく。
「その言葉使いなに?なんとかならないの」と言う前に、
家庭や私たち大人が、自分の言葉使いをもう一度見直してみたいものだ。

今は偉そうにこんなことを言っているが、
自分も同じ年齢の時は、彼らとあまり変わりはなかったと思う。
そしてまわりの大人に「まったく、どうしたものだろう」と嘆かれていたのではないか。
彼らもきっと、年齢と共にきちんとした言葉使いを身につけていくのではないだろうか。

とあるフード店でよく聞く言葉がある。

「はい、1000円からお預かりいたします。」 (私は1000円じゃない!)

「こちら、アイスコーヒーなります。」 (アイスコーヒーにはならない!)

心の中で、いつも突っ込みを入れている私である。
もしかすると、この言葉使いが一番気になっているかもしれない。

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2007年10月25日 (木)

自分の声が好きになった理由②

大学生のときだ。

学校の近くに、とても感じのよい穏やかなご夫妻の営むレストランがあった。
こじんまりとした店内のカウンター席が気に入った私は頻繁に通うようになった。
値段が良心的なのはもちろんだが、なによりご夫妻の雰囲気がとても好きだった。
通い始めて数ヶ月経った頃から、少しずつ話をするようになり、
半年ほど経った時には、心地よい世間話が出来るようになった。
そんなときマスターが、こんなことを言ったのだった。

「前から思っていたんだけれど、あなたの声はとても素敵だね。
 あなたの声を聞いていると、ジーン・アーサーの顔が浮かんでくるんだよ。」

『えっ!私の声が素敵?ジーン・アーサーって誰?』

自分の声を初めて褒められた私はどうして良いかわからず、
ただ照れて笑っていたことだけを覚えている。
そしてその時初めて「ジーン・アーサー」という女優さんの名前を知った。

それからジーン・アーサーを調べてびっくりした。
ハスキーボイスがとても魅力的な、気品ある美しい人だったからだ。
彼女の出ている映画を片っ端から見たのだが、
見れば見るほど、マスターの言った言葉を思い出すと照れくさくなった。
だって、私なんかが足元にも及ばないようなものすごく素敵な女優さんで、
(確かに声は低音でハスキーですが)、
私の声を聞いていると彼女の顔が浮かぶなんて・・・・
ジン・アーサー本人、そしてファンの方に対して平謝りである。

でも正直、そのときの私は、ものすごく嬉しかった。
照れくさい気持ちより、嬉しい気持ちが勝っていた。
マスターの言ってくれた一言は、私に自信と勇気を運んでくれることとなった。

それから、かなり月日は流れたが、
今では、ちょっと変わった特徴のある自分の声が、けっこう好きだ。
そして人から言われた「言葉」が、大きなチカラを持つことも改めて感じている。
もしかすると私たちが何気なく言った一言が、
相手に対して大きな影響を与えているのかもしれない。

あれから私は、ジーン・アーサーの大ファンだ。
なんてったって私の声は、ジンー・アーサーを髣髴とさせるのだから。
「私=ジン・アーサー」だもの。
(ジン・アーサーさん、ごめんなさい。月日は、人をここまで図々しく変えるものです。)

しかし、いや待てよ。
あの時マスターは「思い浮かぶ」とは言ったが、「似ている」とは言っていなかったよな。
ということは・・・。ん~???
まっ、いいか。

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2007年10月24日 (水)

自分の声が好きになった理由①

もしかすると、誰にでもコンプレックスが1つはあるかもしれない。

私のコンプレックスのトップに、ずっと君臨していたのは『自分の声』だった。
子供の頃からハスキーで低音だった私の声。
「風邪ひいているの?大丈夫。」と言われることは、毎度のことだった。
男の子からは
「男みたいな声、変なの。」 「お前の声、ガラガラ」 なんてからかわれ、
(今だったら、100倍くらいにして言い返すことができるが)
当時、まだいたいけだった少女の私は、言い返すこともできずに我慢していた。

特に辛かったのは、音楽の時間の「独唱テスト」だ。
テストの日は朝から憂鬱で、いっそのこと学校を休んでしまいたかったが、
いつも元気な私にはそうもいかない。
授業中もずっとお腹が痛くなるし、何度、早引けしようと考えたことだろうか。

テストの曲は、いわゆる教科書に載っている曲だ。
(これが流行っていたポップスや演歌だったら違ったかもしれない。)
当然女子はソプラノのパートを歌わなくてはいけない。
(男子のパートでもよかったのなら、またまた違っていたかもしれない。)
とにかく私は高音のパートが歌えない。
というか、声が全く出ないのだ。
「自分の得意な歌だったらいいのに。なんで声の出ない歌を歌わなくちゃいけないの。」
と心の中で葛藤するが無駄。
決められた歌を歌うのが決まりだった。
自分では音痴でもリズム感がないとは思っていなかったが、

「声が出ない」=「歌が下手」=「私ってみっともない・恥ずかしい」
「声が高い女の子」=「かわいい」  「声が低い女の子」=「かわいくない」

という思いから、歌えないという恥ずかしさと悔しさ、自分に対する嫌悪感から、
涙がボロボロこぼれたことを覚えている。
とにかく自分の声が嫌いで嫌いで、
「何でこんな変な声に生まれてしまったのか。どうして私はかわいくないか。」
と、いつも思ったものである。

それから○十年経った現在、
私は、そんな『自分の声』を使った、講義という仕事をすることが多い。
不思議なことだ。

そして現在は、自分の声がそんなに嫌いではなくなった。

 <②へ続く>

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2007年10月22日 (月)

めっそうもない

言葉というのは、いろんなチカラをもっている。

私は特に『活字』が好きで、物語から新聞まで、活字を読んでいると妙に落ち着く。

最近、好きな小説やコミックが映像化されることが多い。
どんなふうになるだろうと、興味深く見ているが、
時には、自分が思っているような内容・雰囲気でないと、
胸のところに、もやもやっとした得体の知れない違和感を覚えることがある。
「この俳優さんあっていない。」 「何かイメージが違うんだよね。」 なんて、
にわか似非評論家みたいに、偉そうに、画面に向かって言うことがある。

それって何故だろうか?

私は物語を読むとき、自分で主人公・場所・状況等を想像しながら読んでいる。
年齢、風貌、ファッション、表情、声のトーン・・・・想像しだすときりがない。
セリフの言葉も、文字にするとたった一行だが、
どんな状況で、どんな風に言ったのかで、相手に伝わるニュアンスは違ってくる。
びっくりして、怒って、寂しそうに、はき捨てるように、小さく囁くように・・・
言い方によっても全く違う印象に感じられる。

だから、音や映像が自分の想像とは違う雰囲気であると、
「それ違うんじゃない!」なんて思ってしまうのだろう。
音の無い活字である文章は、自分の解釈によって想像力を駆り立てられ、
勝手な解釈を付け加えることができるから、好きなのかもしれない。

息子が小さい時のことで、今でも思い出すことがある。
確か、1歳半くらいだっただろうか。
その時彼は、おしめがとれるかとれないかで、トレーニングパンツをはいていた。
好きなテレビは「水戸黄門」「おかあさんといっしょ」「ジュウレンジャー」。
特に水戸黄門は、じいちゃんと一緒に再放送もしっかりとチェックして見ていた。
好きな遊びはチャンバラで玩具の刀を、いつも身につけていた。

あるとき部屋の隅で、彼がうずくまってきばっていた。
顔に力も入っているし、これはウン○に違いないと思い、
「ウン○、でちゃったの?」と訊くと、
困ったように振り返った彼は、眉間にしわを寄せ、そして毅然とした態度で、

『めっそうもない』  と言ったのである。

そのときの言葉の意味、彼の表情、声のトーン、状況、タイミングが妙にぴったりで、
私は叱るどころか、大笑いしてしまったことを覚えている。

本人にしてみればどこで覚えたのか分からない難しい言葉を
 (間違いなく「水戸黄門」ではあるが)
偶然とはいえ絶妙のタイミングで使ったのである。

今も、『言語・準言語・非言語』の講義をしていると、
あのときの息子の顔が何故か浮かんできて、思い出し笑いをしてしまうことがある。
本当に、『めっそうもない』ことである。

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2007年10月19日 (金)

シロクマのことは考えないで

「たくさんの人の前で話をする時、緊張しませんか?」と、聞かれることがある。

私の場合、何故だか分からないが、全然緊張しない。
体質なのか、遺伝なのか、「神経が無いからだ。」ともよく言われる。
これは子供の頃からで、むしろワクワクした気持ちになるから不思議だ。
(もしかすると、このワクワクが緊張なのかもしれない。)

講義でも『緊張』について尋ねることがある。
すると過半数の人が「緊張する」に手をあげることが多い。

そこで一言  「今日一日、絶対にシロクマのことは考えないで下さい。」

こんなふうに言ったら、
皆さんの脳裏には『シロクマ』が浮かんできたのではないだろうか。

そうなのだ。わざわざ言われると、嫌でも頭から離れなくなることって結構あるのではないだろうか。また、それまでは気にも留めていなかったのに、気になりだしたら、気になって気になって仕方がなくなってしまったこととか。

だから、「緊張しないように、緊張しないように」と頭の中で繰り返し考えていたら、
「かえっていつもより緊張してしまった」なんてことがよくあるのだ。

人というのは頭で考えたり、思っていることと行動が逆になること、
人から言われたこことは、間逆の反応をしてしまうことがよくある。
「この穴のぞくな」と書いてある穴を覗いてしまったり、
「決して見ないで下さいね」と言われた、お爺さんとお婆さんも、襖をあけてしまったり、
「見るな」と言われると見たくなってしまうのが、人の心理なのではないだろうか。

緊張しない一番のこつは、何も考え無いことだと言われている。
また、「緊張してもいい」のである。
そもそも、「緊張してはいけない」ことも「緊張は悪い」ことでもないからだ。

『自分が緊張するか緊張しないかを分かっていること』が重要なのかもしれない。

もしかすると、
「私のことは全部忘れて。」という別れ際の言葉は、
「私のことを忘れないでね。」という逆の気持ちが込められているのでは、
そんなことをふと思った、今日この頃。

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2007年10月18日 (木)

キャリアカウンセラー

私は「キャリアカウンセラー」という資格を持って仕事をしている。

「それってどういう仕事?」と訊かれると、どうやって説明しようかと、いつも悩む。
文献を調べると、キャリアカウンセラーとは、
『個人の能力・興味・価値観、その他特性を元に、個人にとって望ましい職業選択を
援助し、自らを高めていけるようにするキャリア形成の専門家』

と、とてもありがたい説明がついているので、私はちょっとこそばゆい気持ちになる。

私の周りの仲間は、この資格だけで仕事をしているというよりは、
本業を持っている人が大半だ。
職種も、企業のトップ、企業の人事担当者、教職員、アロマセラピスト・・・と
バラエティーに富んでいて、皆さんが自分の仕事の中に資格のスキルを活かしている。

私の場合は、企業の教育担当から始まり、資格を取得した。
始めは自分の会社だけのつもりが、いろんな人との出会いを経て、
他企業、公共施設、専門学校等で、仕事に関する講義をするチャンスが巡ってきた。

本音を言うと、「えっ、講義なんて私に出来るの?」と初めは思ったが、
持ち前の度胸と愛嬌(自分で言うか!)、
受講者の皆さんの暖かい眼差しで(これが本当に大きい)楽しく続けることができている。
「感謝」の一言だ。

昨日も一昨日も講義があり、100人くらいの人とお会いした。
ものすごく楽しかった。
『新しい人と出会えること』 これが私のパワーの源だと改めて思った。

キャリアカウンセラーになってよかった。 

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