2009年10月26日 (月)

気をつけて

自転車かごに食材をしこたま入れ
前にひとり、後ろにふたり、計三人の子どもを乗せた、母親を見た。
その後ろを幼稚園ぐらいの子、また後ろに小学年低学年のふたりの子どもが
必死に自転車で後を追いかけていた。

母親は後ろから来る子どもが気になったのだろう。
「大丈夫?早くしなさい」
と後ろ向きで大きな声で叫びながら自転車を止めた。
次の瞬間、私は息をのんだ。
自転車がよろよろとバランスを崩したのだ。
『わっ、危ない!』
道の反対側にいた私には成すすべもない。
おかしなもので、自転車に届くわけもないのに手を伸ばしながら
その光景を見つめていた。
まるでスローモーションでも見るように。

よろよろとよろめいた自転車を、なんとか踏んばり立て直そうとする。
こういった状況での子どもを守ろうとする母親には底力がある。
食材には目もくれず、子どもを支えることに集中している。
かごから食材がこぼれ落ちる。
しかし、母親は頑張った。
むんずと自転車を持ち上げ、最悪の事態は免れた。
『ああ、よかった』
人ごとながら、ほっと胸をなでおろした。

近くにいた人が、落ちたネギを拾って渡した。
母親は軽くお礼を言いながら受け取り、ネギを所定の位置に入れなおした。
「さあ、行くよ」
母親は自転車にまたがり、
家族は何もなかったように元の陣形で去って行った。

最近、自転車の複数乗りに対する規制が厳しくなった。
ふたり乗りは道路交通法違反で罰せられる。
メーカー各社で複数乗り自転車を開発しているが
高価格、利用勝手の不評から、あまり普及していないのも現実だ。

私も息子が小さい時は、自転車に乗せて移動した。
子ども用の座席を前に取り付け、スーパーマーケットへと向かった。
行きはまだ余裕があるが、帰りは荷物と息子の体重で
何度もヒヤッとすることがあった。
ひとりを乗せているだけでもこうだ。
しかしこの親子は、
母親+三人→なんと四人乗り、バランスが悪いどころの話ではない。
大げさに言えば、母親ひとりで子ども三人分の命を握っているのだ。
思わず背筋がぞっとした。

子ども五人を育てている、このおかあさんは立派だ。
少子化の現代において、なんてすばらしい。
小さな子どもを自転車に乗せて移動しなければならないことも
全員乗せることはできないので、
ある程度の年齢の子どもは自分で運転させなければならないことも、わかる。
ただ…
気をつけて。

走り去る親子の背中を見送りながら
思わず呟いた。

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2009年8月29日 (土)

九九の親子

久しぶりにバスに乗った。
最近のバスは(私が住んでいるところだけかもしれないが)
信号になるとエンジンが止まる。
そして、クラシック音楽まで流れて驚いた。
「パッフェルベルのカノン」
大好きな曲だった。
心地よいカノンを聞いている私の耳に、
後ろに座った親子の声が割り込んできた。

「じゃあ、6の段ね」
「ろくいちがろく、ろくにじゅうに-----ろくひちが・・・・」
「42(しじゅうに)でしょ。もう一回」
九九の復唱だ。
少しだけ後ろを振り向くと、10才くらいの男の子と母親だった。
男の子は、再び6の段を最初から復唱する。
「ろくいちがろく、ろくにじゅうに-----ろっく・・・ごじゅうし」
つっかえつっかえではあるが、なんとか6の段を言いきった。
すると母親が「あと3回」
男の子は6の段を3回繰り返した。
やっと終わったと思ったとき「次は7の段ね」
男の子は、素直に言い始めた。
「ひちいちがひち、ひちにじゅうし、ひちさんにじゅういち-----ひちろく・・・・」
「42でしょ。もう一回」
「ひちいちがひち、ひちにじゅうし、ひちさん・・・・」
「21」少し大きな声で母親が言った「もう一回」
どうも彼は7の段が苦手らしい。
私もそうだったが、どうしてもつっかえてしまうフレーズがある。
「6・7」「7・6」「7・8」「8・7」ここらへんが言いにくかった。
それでも、なんとか言いきった彼ではあったが、お母さんは納得していない。
「あと3回」
『へっ、あと3回』だんだん、後ろの声が煩わしくなってきた。
それにしても男の子素直なこと。なんのためらいもなく復唱を始めた。
途中で何度もつまりながら。
答えにつまると「なんでつまるの」母親が強い口調で言う。
「考えてた」と男の子。
「考えちゃダメ」と母親。
『えっ、考えちゃダメなの?』思わず後ろを向いて突っ込みたくなったが我慢した。
途切れ途切れに3回繰り返す。
やっと終わったとほっとしたのもつかの間
「あと2回!」
『あと3回っていったじゃん』言いたい気持ちはあったが
彼が言われるがままに言い始めたので、ぐっとこらえた。

九九の復唱は、それで終わりではなかった。
8の段、9の段、それが終わると、母親がランダムに問題を出した。
彼よりも早く心の中で答えを出す私。
こうなればやけだ。
密かに『がんばれ』と彼にエールを送りながら。

結局、九九の問題は、親子がバスを降りるまで続いた。
私も次のバス停で降りる。
パッフェルベルのカノンも、途中から耳に入ってこなかった。

この親子にとっては、バスの中はかっこうの勉強の場だったかもしれない。
しかし、バスって公共機関だよなぁ。
乗車している人たちがお互いにマナーをもって利用する場なのではないだろうか。

その後も、九九が念仏のように耳から離れず
大好きなカノンを聞きそびれた腹いせに
ガラス窓越しに九九の親子の後姿を
恨めしい気持ちで見送った。

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2009年5月30日 (土)

キャラ弁

『キャラ弁』なるものが流行っているそうだ。
テレビ番組や雑誌でも特集が組まれたり、
カリスマ主婦のブログが多くのアクセスを集めている。

のぞいてみたらスゴイ!
有名キャラクターから動物や乗り物まで
どの食材をどうやって使ったらこうなるのだろうと
思わず唸ってしまった。
素晴らしいの一言だ。
こんなお弁当を持って行ったら、子供さんはそりゃあ鼻高々だろう。

姪っ子も幼稚園に入ったばかりで、お弁当が始まっている。
どんなお弁当を持って行っているのだろう。

入園前に妹が
「○○ちゃんのお母さんに聞いたんだけど、最近お弁当つくりが大変らしいよ。
女の子の間ではキャラ弁が流行っているから。
○○ちゃんも、ああしてこうしてとリクエストが多いんだって。
ふう。めんどくさそう」と、ため息交じりに言った。
「まだ、実際にお弁当が始まったわけじゃないでしょ。
予想でめんどくさくなっててどうするの。
人は人、自分は自分。できる範囲でつくればいいんじゃないの」
妹は料理するのが嫌でも、弁当を作るのが嫌なのではない。
ただ、めんどくさがりなのだ。
性格がわかっている私は、彼女にそっけなく言った。

100円ショップでも、キャラ弁グッズがたくさん売られている。
様々な動物を模った容器・爪楊枝
海苔を星型やハート型に切るホッチキスのような道具
色とりどりのおかず入れ(素材も紙からセラミックまでいろいろ)
星やハートのおにぎり型
クマ型バランやレタスのようなバランなど
見ているだけで楽しいものがいっぱいだ。
私は、弁当を開けた時の姪っ子の笑顔と
悪戦苦闘してキャラ弁を作っている妹の顔を想像しながら
面白そうなものをいくつか購入した。

妹あてに送るものがあるので、久しぶりに連絡した。
荷物にキャラ弁グッズも入れる旨も伝えた。
しかし、すでに揃えてあるかもしれない。
「かぶったらごめん」と一言添えた。すると
「それがさ、ヒロ(姪っ子)なんだけど、
私も気合いをいれていろんな形のおにぎりをつくって入れたら
『丸のおにぎりがいい』って怒られちゃった。
それに、後から聞くと『えっ?』って、キャラだと気が付いてないみたい。
だから、そんなに凝らなくてもいいので、すごく楽。
毎日元気に完食して帰ってくるよ。
心配して損しちゃった。ほんと、おおらかな子でよかったよ。
グッズもほとんど持ってないから送って。なんでもいただきます。あはは」
とさ。

そんなもんでしょう。
『おおらか』なのか『ずぼらでおおざっぱ』なのかは明言しないが
おおらかなあなたが育てているんだから、子供も似るということだ。
というわけで、姪っ子はキャラ弁には程遠い弁当を持って通っている。

おや待てよ。
そういえば、息子もそうだった。
海苔でキャラクターを作って入れたが、気がつかないで食べてきたっけ。
つまり、家族の性格の根本は似るということで・・・。

そんなものか。

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2009年5月 5日 (火)

インフルエンザ

世界的にインフルエンザが大流行している。
海外で暮らしている方はもちろん、旅行帰りの皆さんは
体の変化により敏感になっていることだろう。

そんな中、日本から、地元から、いいや家からほとんど出ることなく
ゴールデンウィークを過ごしているのにもかかわらず
日々発信される情報に振り回されている私。
ニュースで「A型インフルエンザのおそれのある」
なんて聞いちゃったときには、医学知識の欠片もない私などは
これからどうなるのだろうか自分なりに考えた挙句
とりあえずドラッグストアでマスクとうがい薬を購入。
加えて、スーパーマーケットで保存食を買い
ある程度買い物に行かなくても大丈夫なように備えるなど
少しずれた行動をするのがオチだ。

それにしても、今更ながら
なんでこんなに、このインフルエンザがニュースで取り上げられているのだろうか。

インフルエンザとは急性感染症の流行性感冒のことで流感(りゅうかん)とも言われる。
1918~1919年に発症したスペインかぜが世界的に有名で
世界的大流行(パンデミック)を起こす危険性があり
特に毒性の強いものでは多数の死者を出す恐れがある。
近年ではヒトからヒトの感染以外に、動物からヒトへの感染もみられ
これを『新型インフルエンザ』と呼んでいる。
ここ数年のトリインフルエンザ発症は記憶に新しい。
そして今回注目されているのが、ブタインフルエンザという新型だ。

予防にはワクチンが使われる。
流行前に予測してワクチンの接種を行い体の中に免疫をつくり
発症を緩和させる予防(予防接種)をする。
発症してしまったら抗インフルエンザ剤を投与し安静にしているしかない。

これまでの歴史の中で、数えきれないインフルエンザが発生し
それに対するワクチンや抗インフルエンザ剤が作られてきた。
しかし今回は新型だ。
まだ確実なワクチンもなければ、どんな薬が効果があるのかもわからない状態だ。
そして問題なのは、このインフルエンザの毒性が強いと
被害がさらに増大する可能性が強いことである。

ワクチンを作るには、半年前後かかるそうだ。
そして抗インフルエンザ剤を見極めるのにはどれくらいかかるのだろうか。
それこそ私たちには計り知れない領域だ。
おそらく世界中の科学者が、寝食惜しんで取り組んでいるのだろう。
頭が下がる。

私たちにできることはなんだろうか。

ひとりひとりが自分の体の変化を的確に見極めるしかないのかもしれない。
自分の体は自分が一番よく知っているはずだ。他の人にはわからない。
それをいいことに、ときには、目を逸らして見て見ぬふりをしたり
これくらい大丈夫と無理をしてしまうこともある。
しかし、もし相手にうつったり迷惑をかけるとしたらどうだろう。
自分だけでは済まされない。

今回のインフルエンザがどうぞ毒性の強いものでありませんように
そして一日も早く、一番よい治療法が解明されますように

他力本願で祈るしかなさそうだ。

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2009年4月22日 (水)

自慢のおかあさん

息子の友人M君のおかあさんはとってもかわいい。
『かわいい』なんて言うと「えっ」と眉をひそめたくなるケースも多々あるが
これは正真正銘、ホントに嫌味なくかわいいのだ。
というわけで、M君もおかあさんが自慢なのだろう。
おかあさんが好きだ、という自然なオーラがにじみ出ている。
全く、うらやましい限りだ。

M君が小学生の頃「M君のおかあさん、きれいだね」と私が言うと
彼は少しはにかみながらにっこりと笑って「はい」と答えた。
なんて素直なんでしょう。
男の子だと照れてしまって、たとえ心の中でそう思っていても
「え~、そんなことないよ」と言ってしまいそうなものだが
彼の場合は、少しのてらいもなく即座に答えが返ってきた。
事実だからそのとおりなのだ。
それを聞いている息子はというと、うんうんとこちらも素直にうなずいている。
すかさず「じゃあ、家といっしょだね」と私も負けずに言ってみた。
すると、息子はしばらく無言でポカンと口をあいていたが
「ばっかじゃないの」
吐き捨てるように一言。
そして矢継ぎ早にいろんなことを喋りだし
なんとかその場の雰囲気を変えようと、
かなりの慌てっぷり。
よほど恥ずかしかったのだろう。
『ぷぷぷ。対処の仕方がまだ子供。おもしろいったら』
笑いをこらえながらその場を離れた。


それから月日が経って、息子が高校生になったある日のこと。
M君が遊びに来た。
彼らは進学した高校は違っているが、今も仲よく行き来をしている。
M君のおかあさんとは時々スーパーで顔を合せあいさつをするのだが
以前と変わらず、かわいらしい。
変わっていないというよりも、更に若くなったような気もする。
「久しぶりだね。元気だった?おかあさんとは時々お会いするんだよ」
おばちゃんのよくある状況説明を一通り済ませ
「それにしてもM君のおかあさん変わらないね。きれいだね」
以前の言葉が、デジャブのようにそのまま出てきた。
するとM君はにっこり笑って
「はい」と答えた。
うわ~、あの時のままだ。
高校生になっても、自分のおかあさんをきれいだと堂々と言えるなんて。
なんて素敵なんでしょう。
それに、事実だからやはりそのとおりなのだ。
それじゃあ、同じように言わなくちゃ。
「じゃあ、家といっしょだね」
少し気恥ずかしかったが思い切って言ってみた。
するとM君はポカンとして何と言ったらいいのかわからないような困った顔をしていた。
さて、息子の反応は。
「はいはい、そのとおりです」
少しだけ微笑みながら、すかさず言った。
やられた。
感情をあらわにしたら、私がつっこむことを知っている対処の仕方だ。
私は何も言えずに退散した。

同じ質問をしてみると
その受け答えによって人の成長ってわかるものなんだ。
思わぬところで実感した私。

それにしても「自慢のおかあさん」っていいなぁ。
私も「自慢してもらえるあかあさん」になりたいものだ。

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2009年4月17日 (金)

息子の親友

息子の親友のひとりN君は、
初めてうちに来たときから、不思議と気を使わないですむ子だった。
学校から直接やって来ては延々と居座ることは日常茶飯事。
時には、息子がアルバイトで出かけても、
そのまま部屋でゲームをしたり、眠ったり、ラジバンダリ。
「ごはん、どうするの」
「はい、食べます」 とっても素直だ。
息子がいないのに、平気で家族といっしょにご飯を食べる。
(逆に息子もN君のうちでは同じようにしていることが予測される)
そして深夜息子が帰って来て「お前まだいたのか」の一言で、やっと帰宅する。
こんなことが何回あっただろうか。
数えきれない。

学校の長期休みで久しぶりにうちへやってきた。
彼は現在、東京の専門学校へ行っている。
「久しぶりだね。元気だった」
「はい、おばさんも元気でしたか?」 とっても優しい
予定を聞くと、あさってまではこちらにいるとのことだった。
息子はといえば、今日は休みだが明日は仕事。
久しぶりの再会ではあるが、高校時代のように時間を過ごすふたり。

こちらも、夕飯さえ食べさせればあとは知ったこっちゃない。
私も仕事があるので先に休むし、風呂にも入る。
気を使うことは全くない。
そして「じゃあまたね。今度会えるのはいつになるのかな。体に気をつけてね」
とあいさつをして、私は先に寝た。

朝になった。いつも通り6時に起床。
そして部屋から居間へ行きかけたとき、いや~な気配がした。
『誰かいる、もしや---』
やはりそうか。彼が一人でゲームをしている。
結局、帰らなかったのか。
「あ、おばさん。おはようございます」 あいさつはきちんとできる。
「おはよう、まだ起きてたの。というより帰らなくてよかったの」
パジャマのまま、ノーメイクで少し怪訝そうに言ってやった。
「大丈夫です。気にしないでください」 皮肉は通じない
『大丈夫だ、気にしないでくれって、お前が言うな』と心の中で思いながら苦笑いの私。
息子は仕事があるので自分の部屋で爆睡中。
私は気にせず身支度を整える。
彼が居間のテレビを占領しているので”今日のワンコ”が見られないことが心残りだ。
まっ、仕方ない。久しぶりだし、そんなにあることじゃないから。
リンゴをむいて、ココアを入れて、バナナやお腹にたまりそうなものを渡して
仕事に出かけることにした。
「悪いけど、あと頼むね」とお願いして出かける。
「はい、いってらっしゃい」 くったくない笑顔がいい。
「じゃあね。身体に気をつけてね」もう一度、昨日言った言葉を添えた。

『まさか私が帰って来たときにまだいたりして。な~んてことは、ないない。
はははは、さすがにそれはないだろう』
と思いながら会社へ向かった。

昼ごろ息子から電話が入った。
「悪い、N寝てるから家に置いてきた」
『えっ、それどういうこと。
今寝ているということは、ひとりで留守番しているということで
私が帰るときに、うちにいるかもしれないということか』
はははははは。
まさか予想があたるかもしれないことになろうとうは。
さてと、帰るのが大変楽しみだ。

その日は早めに仕事を切り上げて、
ウキウキした気分で家路に着いた。

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2009年3月 3日 (火)

幼稚園グッズ

姪っ子が、4月から幼稚園に通う。
入園にあたっては、数々の『幼稚園グッズ』が必要だ。
全員が購入する指定のリュックや園服のほかに
絵本が入る通園バック、上靴入れ、着替え袋、スモック(お絵かき・外遊び用)
お弁当袋、箸袋、ランチョンマット、コップ袋、歯ブラシ入れetc
これらは自分たちで用意しなければならない。
うちの場合、作るのはもちろん私だ。
思えば、年の離れた妹の幼稚園や小学校のグッズも作ったのは私。
親子二代の持ち物を作るはめになるとは。
やれやれ。

丁度、こちらに来ていた姪っ子を連れて久しぶりに布を見に行った。
さすがに、若年とはいえ女は女。
おしゃれに関しては自分なりのポリシーをもっている。
彼女の場合もそれに違わず、「おしゃれってやめられないのよね」なんて
4歳にして言うのだから、小生意気といえば小生意気だ。
だから、自分が納得した布で作ってあげたかった。
また、自分で選んだ布が、実際に製品になる楽しさも感じてほしかったのもある。

入園・入学準備シーズンということもあり、たくさんの種類の布が陳列されていた。
キャラクター柄も多いが、私としては、できればそれは避けたかった。
同じ柄が多いため一目で自分のものと分かり辛いという理由は建て前で
本当は、他の人と同じものでない個性的なものを持たせたいという
私の勝手な思い込みがあったことは否めない。
それでも、姪っ子が選んだものはできるだけ尊重しよう、
彼女自身で選んだものが一番いいのだから、と自分の心に言い聞かせた。

「バック類はひとつで良いとして、毎日使うものは最低ふたつは必要になるし
 特に、コップ・歯ブラシは弁当持参でないときにも持っていくから
 お弁当袋とは別の布で2組は作ってと。
 いや~、これかわいい。これで手提げ袋を縫ったら、喜んでくれるかな。
 あっ、これはスモックにぴったり。おそろいの弁当袋も作るといいかもしれない」
色とりどりの布を見ていたら、あれやこれや構想が広がってきた。
姪っ子はというと、同じように目を輝かせながら捜している。

「おばちゃん。これでスモックを作って」
持ってきた布は、ふとすると見逃しそうな柄だった。
姪っ子はたくさんのはぎれが集まるコーナーから、見つけてきた。
「かわいいのを見つけてきたね」思わず言った。
だって、ほんとにかわいかったから。
生成り地にウサギがついた、とてもシンプルな柄だった。

「意外なものを選んだね」
一緒に見ていた、ばあちゃんの感想も同じだった。
「ね、私も意外だった。もっと、キャラクターものを選ぶと思っていたら違ったね」
良い意味で私たちの予想を裏切ってくれたことが、なんかちょっと嬉しかった。
「いいセンスしてるじゃん」
彼女に言うと、「エ------」と目をまん丸にしていた。

ウサギ柄のスモックは、大変可愛らしく出来上がり
その日はファッションショーが繰り広げられた。
その後、絵本が入る通園バック(1) 上靴入れ(1) 着替え袋(1)
スモック(2) お弁当袋(3) 箸袋(3) ランチョンマット(3)
コップ袋(4) 歯ブラシ入れ(4)  *( )内は数
を作り上げた。
さらに、共フリルをつけた赤いチェックのスカートまで。

「これを全部買ったらいくらぐらいだろうね」と妹に言ってみたが
「え~、知らない」とそっけない答えがかえってきた。

でも、いくらなんだろう?
実は少し興味がある。

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2009年2月27日 (金)

子どもを花粉症にしない9か条

『子どもを花粉症にしない9か条』が発表された。

①生後早期にBCG接種
②幼児期からヨーグルトなどの乳酸菌飲食物を与える
③小児期はなるべく抗生物質を使わない
④猫・犬を家の中で飼う
⑤早期から託児所等に預け細菌感染の機会を増やす
⑥適度な不衛生な環境
⑦狭い家に子だくさん
⑧農家で育てる
⑨手や顔を洗う機会を少なくする

花粉症は文明病であり「免疫機能失調症」とも言われている。
また、ある程度不衛生でエンドトキシンの量が多い環境に育つと発症が低く
逆にインフラが完備されたきれいな環境、車の交通量の多いところは高いそうだ。
エンドトキシン→細菌細胞壁内に存在する耐熱性の高分子毒性物質(?)
エンドトキシンの発生源は家畜の糞だと言われていて
一例として、1歳までに家畜小屋に入ったことのある幼児のアレルギー発症率は
そうでない子に比べてかなり低いという統計結果も出ていた。

つまりキレイすぎる環境が花粉症等のアレルギーを増幅させる一因でもあり
小さな頃から『適度な不衛生』の中で免疫力がつけられるということか。
『適度な不衛生』・・ずぼらな私には、なんていい響きなのだろう。

ちょっとまてよ。息子のことを検証してみると・・・
①BCGは1歳前に接種した。
②ヨーグルトやヤクルトなど大量に食べて飲んだ。人の分まで(盗って)摂った。
③抗生物質はほとんど使ったことがない。というより病気をしないので使う必要がない。
 現在までに病院に掛かった費用は、うちの猫の数ヶ月分にも相当しないことは事実。
④猫・犬は生まれてからずっと一緒。多いときは10匹の猫と犬と暮らしていた。
 退院したその日から猫と添い寝をし、生まれてから動物がいなかったことはない。
⑤託児所にはいかななかったが、毎日、公民館や公園でたくさんの友だちと
 泥だらけになって子犬のように転げまわって遊んでいた。
⑥適度な不衛生。これにかけては自信がある。
⑦一人っ子ではあるが必ず誰かが遊びに来ていたし、家の狭さは◎。
⑧自宅は農家ではないが、親戚の農家の鳥小屋で寝かしたこともあるのでバッチリ。
 じいちゃんが畑を借りているので、庭の様子は農家さんと変わらない。
⑨手や顔を洗う機会を”少なく”どころか、奴は、あまり洗っていなかっただろう。
 たぶん、いいや、きっと。だって、見たことないもん。

なんてことでしょう。
ほとんどクリアだ。やった!

だから息子は幸いなことにアレルギーがないんだ。
そうか。
私は「アレルギーになりにくい環境」を、知らず知らずのうちにつくっていたんだ。
なので、多少の泥水やどぶの水を飲んでもお腹を下すことも
ホウ酸団子を食べてしまったときも中毒にはならず
落ちたものを食べても「おいしいね」と言ってニッコリ笑い
病院のお世話になることも少なく、元気なんだ。

えっ、明らかにそれは違うだろう・・・と。

そうです。
注意するのは『適度』なことで
くれぐれも『過度』にはならないことだ。

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2009年1月30日 (金)

懐かしい便り

何年ぶりだろうか。
息子が幼稚園でお世話になった先生から手紙が届いた。
懐かしい便を開くと、彼女の近況が綴ってあった。
なんと結婚して2児の母になっていたとは。
あれまあ、あの可愛かったユカリちゃん(先生)が母になるとは。
私が年をとるのは当たり前かぁ。

ユカリちゃんは、担任が産休に入るために急遽やってきた、臨時教員だった。
短大を出たばかりの21歳の先生が来るということで、ざわめきたった保護者たち。
ざわめきたったといっても今時の
「そんな若いセンセに、宅の息子を預けるなんて」という批判的なものではなく
「えっ、ものすごく楽しみ。若いぴちぴちした先生なんだろうね」というワクワク組から
「あちゃ~、うちの娘と変わらないじゃん」なんて言い出すベテラン組まで
個性豊かで、こだわらない性格の保護者が多いクラスだったので
おおかた好意的に先生の登場を待った。

やってきた先生は、私たち保護者よりも子どもの年齢に近い
そりゃあ可愛らしい先生だった。
色白でキュートな笑顔。おそらく数多くの男子園児の初恋の相手となった。
それがいきなり、この個性派ぞろいの親子の集まったクラスの担任とは。
今考えると、園長先生の心配はとてつもないものだっただろう。

しかし、知らないということは素晴らしい。
純真無垢、先入観を持たず、素直にわけ隔てなく接する先生の人柄に
園児も保護者も、直ぐにノックアウトされた。
どちらかというと、産休に入った担任が細かすぎる性格だったので
「卒園まで、ずっとユカリ先生がいいなあ」との意見が大半だった。
特に、息子率いる『いたずら坊主軍団』には、彼女は絶大なる人気を誇っていた。

彼らは、先生に対して数々の悪さもしでかした。
後から聞いたのだが、突然先生の胸を鷲掴みにした輩までいたらしい。
うら若き乙女の先生にとっても、衝撃的な出来事の連続だったようだが
慣れというのは恐ろしい。そのうち、大抵のことには驚かなくなったようだ。

夏のプール開きのことだ。
廊下に張られた、購入希望を募る写真には衝撃的なショットが。
ユカリちゃんのグラマラスな水着姿の胸元に、全員が釘付けとなった。
(あくまでも幼稚園での行事の一環で、セクハラではありません)
「パパに買ってやろうっと」
自分の子どもが写っていないのにも関わらず
能天気な母たちがいっせいに購入希望の名前を書いた結果、
クラスのほとんどが、その写真を手に入れた。(もちろん家にもある)
また、その写真の成果だろうか、直後に行われた父親参観日には
クラスの父親がすべて出席という珍しい光景が見られた。
そして秋の運動会の二人三脚では、本来のパートナー(親子)ではなく
先生とのチーム希望者が殺到。
公正を期するために、ユカリちゃんは二人三脚を行わず
文句を言う者、人知れず涙に暮れたパパたちが多かったとか。
「全く、バカばっかり」と親しみを込めて、母親軍団で話したものだ。

そんなアイドルだったユカリちゃんが母だもの。
便りを開くと、感慨深さでいっぱいになった。

手紙には「あのときのことを思い出すと、みなさん好意的な保護者の方たちばかりで、
慣れない私を温かく見守ってくれたこと、本当にありがたかったです」
ふむふむ、いいこと言うじゃん。
「でも子育ては大変ですね。自分の思うようにはいきません。
○○さんのおおらかさを、自分が親になってみて、改めてすごいと実感しました」
そうか、私はあの頃から「おおらか」だったのか。
21歳のユカリちゃんの目にも、そう映っていたのか。

これは、誉められたのか、それともそうでないのか。
深くは考えないことにした。

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2008年10月 9日 (木)

咀嚼(そしゃく)

離乳食を始めた頃の子どもにとって『咀嚼(そしゃく)』はとても大切だ。
咀嚼とは、”口の中で食べ物をよく噛み砕き味わうこと”で
食べ物の消化吸収を助ける
唾液の分泌を促進し口の中を清潔に保つ
正しい歯並びを形成する
脳の働きを活発にする
食べ物の中の異物や骨などの発見を促す、等の効果がある
咀嚼つまり『噛む』という行為は、
私たちの体や心の発育に多大な影響を与えていることがわかる。

先日、深夜番組で、あるタレントが「食べることが面倒だ」と発言していた。
そしてそれはなぜかというと「噛むことがめんどくさいから」とか。
聞いている私は、口が開いたままふさがらなかった。
こういった発言を最近耳にしたのは、何もこの子だけのことではない。
先生をしている友人から
「豆腐は固いという子が増えている」という話を聞いた。
私の感覚では豆腐は柔らかいものだと思っていたのだが、固いとは。
?マークが頭の中をグルグル回った。

他にも顎が細い子どもたちが増えているということも聞いたことがある。
そう言われてみればそうだなあ。
顎が張った四角形型の顔立ちよりも、
顎がシュッと細い逆三角形型の顔立ちの子が増えているように思う。
更に、顎が細いため大人の歯全てが収まらない人も増えているという。

薄く切られた肉や、丁寧に骨がとられほぐされた魚が食卓に並ぶ。
野菜も大きいままだと食べないからと、みじん切りにされ、
はたまたすられてわからないように加えられていたりする。
そして小さく一口大に整えられた、ジューズにされた果物が分けられる。
マナーからすると一理ある。
器官が狭い乳幼児や、年配の方にとっては自然な配慮であろう。
昔のアニメに出てきたような骨付き肉を手に持ってかぶりついたり
リンゴを丸のままかじって「歯茎から血が出ませんか(古い)」なんてすると
「行儀が悪い」と注意されるのがオチだし、奨励しているわけではない。
しかし年齢に合わせた噛む能力を身につけることは、私は大切だと思う。

「スルメって何?えっ、これ食べられるの。オレこんな固いもの食べたことがない。
噛めないじゃん。飲み込めない、っていうか、顎が疲れて、もういらない」
これは実際に我家で息子の友人が言ったことだ。
「そう、スルメって食べたことないんだ。つまみはあぶったイカのほうがいイカ?」
その場に、シ-----ンとした重い空気が流れた。
今流行のギャグで返すと「ちがうか」か。
顎のはった息子がスルメを引きちぎり食べながら、ばつが悪そうに笑っていた。

咀嚼には他の意味もある。
”言葉や文章の意味や内容をよく考えて理解すること”だ。

最近、食品をのどに詰まらせて亡くなった子どもさんのニュースが報道された。
とても切なくてやりきれない気持ちでいっぱいだった。

私たちはもう一度
『咀嚼の意味をよく咀嚼する必要がある』のかもしれない。

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2008年8月27日 (水)

車に引かれた息子とその結末

息子は小3のとき、小学校のグラウンドで車に引かれたことがある。
本来グラウンドを乗用車が走ることは許されないことで、あってはならないことだ。
現在なら大問題に発展しているかもしれないが、すでに時効なので書いてみた。

野球の練習も終盤、皆が道具を倉庫へ閉まっているときのことだ。
子どもたちが密集しているところから、「危な----い」 「わっ、ひかれた---!」
と恐ろしい内容の声が聞こえてきた。
近くにいた父兄が猛スピードで駆け寄る。
少し離れた場所にいた私たちも、思わず駆け出した。
監督・コーチも皆口々に叫んでいる。「大丈夫か」 「何で車が入っているんだ」
そして、次に聞こえてきた名前に身震いがした。なんと、息子の名前だったからだ。
誰が事故にあってもとんでもないことで同じように震えたと思うが
それがまさに自分の子どもだったときの衝撃は、言いようがない。
思わず倒れそうになった私を友人が抱えるようにして現場へ向かう。
すると、未だ車のタイヤが息子の足の上に乗ったままの状況を目の当たりにした。
「車をどかせ、何やってるんだ」涙声で息子の友人や先輩、父兄たちが叫んでいる。
次の瞬間、私は目を疑った。
こともあろうか、動揺した運転手が車をバックしてしまったのだ。
後から冷静に考えると『行って返って』息子の足は往復、タイヤに引かれたことになる。

倒れている息子に皆が駆け寄って介抱していると
監督・コーチたちが運転手を引っ張り出した。
「あんた、なにやっているんだ」
声は怒りに震え、掴みかからんばかりの勢いだった。
運転していたのは、近隣地区の町内会役員だった。
他にも2~3人の役員が周りにいて中には顔見知りの人もいたが、全員が慌てていた。
しかし加害者の運転手は80歳近いおじいちゃんで、事の重大さが分かっていないのか
「人がいるとは思わなかったもんで」と穏やかで悪びれた様子が全くない。
これには私も腹が立って言い返そうとすると
「防災倉庫に備品をとりにきただけだもんで」と更に静かに続けた。
『まったく何考えているんだこのじじい』と心底思いながら
「まず、子どもの体の心配が一番でしょ」とおじいちゃんに向かって叫んだ。
救急車を手配するかどうか聞かれたが、息子本人が元気だったため
救急車が来るのを待つより、私は自分で連れて行くことを選んだ。

慌てて病院へ入り理由を説明した。
車椅子に座らされた息子はレントゲン室へ向かった。
『おそらく骨折だろう。でも、命があってよかった』
今まで冷静に病院まで来たことが嘘のように、私の体はガタガタと震えていた。
看護婦さんも心配して声を掛けてくれた。
レントゲン撮影が終わり、先生から診察室へ入るように言われた。
神妙な面持ちの先生と息子が向かい合って座っている。
『入院しなきゃならないな』と私が覚悟したとき、先生が話し始めた。
「レントゲンの結果ですが・・・・なんともありませんね
「へっ?」思わず拍子抜けして、こけそうになった。息子は息子で、
「かあちゃん、俺、レントゲンって痛いと思ってたけど全然痛くねえな」
なんて、わけのわからない感想を言いはじめる始末。
「ははは、骨が丈夫でよかったな。それでですね、何ともないので感想だけでも
お話すると、おかあさん、この子は大きくなりますよ。う~ん、将来180cmは超えるな」
先生の経験から、関節の骨の色や大きさから推測されることをお話してくださった。
但し、科学的根拠ではなく自分の経験からですよと先生は付け加えていたが、
とても興味深い楽しいお話だった。
「じゃあ、湿布だけでも出しておきましょう」

私たちの帰りを待ちわびている皆さんに、報告をすることのばつが悪かったこと。
もちろん何でもないことに越したことはないのだが、複雑な心境だった。
「あの、申し上げにくいのですが」と監督に電話をかけた。
「大丈夫ですか。入院でしょうか?」とても心配そうな監督の声。
「それが、何でもありませんでした。無傷でした」
少し間が空いて、電話の向こうから大爆笑が聞こえてきた。
「いや~、よかった。それが何よりです。でも、あははははははは---」
『そりゃあ笑うよな。2回も足を引かれたんだもんな』と思いながら
「ご心配をおかけしました。申し訳ありませんでした」と電話を切った。

その日の夕方、他の役員に連れられた加害者のおじいちゃんが訪ねてきた。
そこでも「人がいるとは思わなかったもんで」と言い出したので呆れた私は
「まず、詫びるのが人としてのマナーだと思いますが」と言ってしまった。
今回は重大なことにならなかっただけのことで
これは本当にお互いに運がよかっただけということ
運転にはくれぐれも注意してもらいたいという思いを、おじいちゃんに伝えた。

さてその後、結局おじいちゃんはそれっきりだった。
治療費がどうだとか、手土産を持ってくるとか、そういうことは一切なかった。
こちらも欲しいわけではないが、それはそれで人としていかがなものだろうか。
この事故で、突発的な治療費がかかったことで
息子の身長が大きくなるだろうということが分かったことが収穫だった。

現在、息子の身長は185cm弱。
結果、あのとき先生の言ったことが、約10年経って証明された。

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2008年8月 7日 (木)

聴力検査

息子が3歳の時、聴力検査で予期せぬ結果が告げられた。
「申し上げにくいのですが、息子さんの耳はほとんど聞こえていません。
精密検査の受診をお願い致します」

「かあちゃん、耳からなんか出てきた」
息子の耳を確認すると右の耳から耳垂れ発見。
中耳炎の疑いが強かったので病院に連れて行ったことが、ことの始まりだ。
「耳の中にばい菌が入っちゃったのかもよ。先生に診てもらえば大丈夫」
半べその息子をなだめながら、診察の順番を待った。
いよいよ彼の番がきて診察をしてもらうと、やはり中耳炎だった。
一応、聴力検査をしておきましょう
とうことで、彼だけ別室で検査が始まった。
そこからかなり長い時間が経ち、少しイライラしながら待っている私に
「こちらへどうぞ」と神妙な面持ちで看護師さんが言った。
そこで先生から言われたのが、始めの言葉である。

言われた内容がピンとこなかった私は
「と、おっしゃいますと」と改めて訊いた。
「検査の結果、息子さんは音がほとんど聞えていないことがわかりました。
今まで、そういった兆候はありませんでしたか?」
私をとがめるかのような表情で先生が言った。
『聞こえていないと言われても、会話は通じているし、そんなはずないと思うんだけど。
テレビに集中していると話しかけても返事をしないのは違うよなあ・・・』
そんなこんなを考え巡らせていたら、
丁寧な扱いで息子が看護師さんに連れてこられた。

「あのね」彼の顔を覗き込んで続ける私「さっきの検査で音が聞こえなかった?」
と思いきって聞いてみた。
「ピーってきこえたよ」あっけらかんと答える彼。
先生も看護師さんも、キツネにつままれたような顔で彼を見ている。
何となく、彼の様子から理由が推測できた私は
「じゃあ、どんな検査だったのかなあ」
「わっかんねえ」
「看護婦さんは、どうやってやるって言ってたの?」
「おねえさんがなんだかいってたけど、オレぜんぜんわかんなかった。
ピーっていったら、なんだかをおすっていってたけど、いみわかんねえ。
わかんねえから、そのままきいてた」ニコニコしながら彼が言った。

「大変申し訳ありません。息子の場合は聞こえていないのではなく、
おそらく検査の意味が分からなかったのだと。
まだ3歳ですし、特に理解するのに時間がかかる子ですので」
と説明を始めたら
「えっ、3歳なんですか?」先生が驚いて言った。
「こちらこそ申し訳ありません。この検査は5歳以上のお子さんが対象でした。
体が大きいので、てっきり5歳以上だと思ってしまいました」
『そりゃあ、息子は体が大きいよ。3歳だけど6歳児の平均くらいあるよ。
でも、カルテに生年月日が書いてあるじゃん』
と心の中で思ったが、毎度のことなので慣れっこの私は笑ってその場を受け流した。
結局、中耳炎だけで他の病状は見つからず『異常なし』の診断が下された。

「それではお会計、○○○○円です」
万単位の治療費請求に驚いた。明細にはしっかりと聴力検査料が入っていた。
『この検査って、そっちが間違えたのに、なんで請求されるの~』
納得いかずにしぶしぶと支払いを済ませた。

今回の検査で分かったことは、
息子の耳は中耳炎だったという事実
聴力検査には理解力が必要だということ
例え向うのミスでも検査料は受けた側が払わなくてはならないこと
そして息子の言葉遣いの悪さ、だった。

私の心の中に『息子の言葉使いを何とかしなければ』という思いと
『検査料返して』という切実な思いが残った。

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2008年6月23日 (月)

もしかしてピカソ?

先日、「急に雨が降ってきても傘を持って行かなかった」と書いたが、
これは傘に限ったことではなく、息子の忘れ物に関しても同じ対応だった。

役員会等で学校へ行くことが多かった私は、
忘れ物をした子が玄関に設置された公衆電話から
自宅へ連絡をしている光景をよく見かけた。
すると何分後かに、靴箱へ忘れ物をそっと置いていく保護者の姿が見られたものだ。
「微笑ましいなあ」なんて見ていたとき、
そういえば自分は、息子の忘れ物を持ってきたことがないことに気づいた。

その理由として考えられることは、
①息子は忘れ物はしていない
②忘れ物をしても開き直っている
③母親に電話をしても持ってきてくれるはずがないので電話はしないで耐えている
④忘れ物をしても電話して持ってきてもらうことまで考えつかない
⑤忘れ物をしたことに、実は気がついていない

①は、『忘れ物チャンピオン』の名をほしいままにしてきた彼には考えられない。
②は、多少そうかもしれないと、疑わしい。
③は、前半は多いに考えられるが、彼が”耐えている”姿は想像できない。
④は、そうかもしれない。
⑤は、そうなのかなぁと逆に不安が募る。

息子が小学校3年生の頃のエピソードだ。
参観会の時、教室の後に貼られた絵の中にひときわ目立つ作品がひとつ。
それは赤・青・緑の三色で描かれ、筆遣いも太く荒々しくタッチも情熱的。
「うわっ」と思いながらまじまじ見ると、そこには息子の名前が書かれている。
それまでは、個性的なのか大胆なのか、それともこれは一体何なのか・・
という気持ちが行ったりきたりしていた見入っていたが、一瞬にして
『もしかしてピカソ?』
恥ずかしいを通り越して、親バカも甚だしく、そう思った私だった。
感性が鋭いのか、はたまた彼には他の人に見えないものが見えているのか、
これは隠れた才能なのか。(ほんとに親というものはバカなものだ)
家へ戻ってきた息子に絵のことをウキウキしながら尋ねてみた。

「えっ、あれ?おお、太筆と絵の具三色しかなかった。」

なんてことはなかった。
よくよく聞いたら、絵の具その他一式を忘れた息子は友人から太筆1本を借り、
絵の具も三色もらい、それのみを使ったので、あのような絵が描かれたのだった。
挙句の果てに彼は、、
「他の筆も借りようと思ったけど、○○も使ってるから悪いじゃん。
絵の具もたくさんもらったら悪いから、あれだけにしたんだ。」
と、さも『自分は遠慮して偉かったでしょ』みたいな顔をして言ってのけた。

そんなもんか。
ピカソじゃなかったのか。
ああいう絵しか描けなかった、のか。
ふ~ん、なるほどね。

筆を借りた友人の母と絵の具をもらった友人母たちには、その後お礼とお詫びをした。
みんな、理由を知っているので大爆笑。
心の広い友人たちに囲まれている息子は、とても幸せだなあと感じた。
もちろん母たちにもね。

しかし、
本人はあっけらかんとしているが、周りがどれだけ迷惑をしているか。
忘れ物をすることは、良いことではないということ。
これらについては、きっちりと教育的指導を与えた私だった。

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2008年6月19日 (木)

急に雨が降ってきたら

急に雨が降ってきたら子供を車で迎えに行くか。一緒にいる友人はどうするか。」
という問いが、ネットに書き込みされていた。
小学生の子どもさんをもつおかあさんからだった。
それに対する多くの返答に納得するやら、びっくりするやら。
人それぞれだと考えさせられた。

・迎えには行くが、遠くに車を置いて徒歩で学校へ向かう。

・傘だけ靴箱に置いて帰る。

・車では行かず、徒歩で迎えに行く。

・歩いて10分もかからないので、迎えには行かない。

・折りたたみ傘をもたせてあるので心配はない。

・車で迎えに行く。そして一緒の友人も乗せて帰る。

・娘は迎えに行くが、息子は迎えに行かない。

・もちろん車で迎えに行くが、友人は乗せては帰らない。
帰りに私が事故を起こしたら、責任はどうなるのか考えると煩わしいし、
いくら仲がよくても絶対に人の車には乗らないように保護者同士で決めてある。
子供もよその家の車には乗ろうとしない。

他にも色々な意見があったが、家庭によって考え方が違うもんだ。
中でも最後の答えには、思わず唸ってしまった。
特にこの意見には次の書き込みがされていた。内容は、

・もし友人を乗せて帰らないで、その子が徒歩で事故にあったらどうするのか。
おそらく、その子の保護者は「車に乗せてくれなかったから事故にあった」と思うだろう。
私は友人をひとりで返すほうが危険だと思うので、乗せて帰る。

「う~ん、難しい時代になったなあ」と実感。

私には、どれがベストの対応かはわからない。
家庭や個人の考え方、また子どもさんの性格によっても対応は変わってくるだろう。
しかし、もしかすると、こういった対応の仕方が子どもの人格・性格形成に
多少なりとも影響を与えていることは否めない。

皆さんだったらどうしますか?

私?私はもちろん、迎えには行かなかった。
『となりのトトロ』のかんちゃんのお母さんのように
「(雨にあたれば)ちっとはきれいになるでしょ。」の心境だった。
もっとも、歩いても5分程の距離なので、あまりきれいにはならなかったと思うが・・。

さて、私の対応は、息子の人格形成にどのように影響したのか。
傘を持っていってあげればよかったのか、
それとも、傘を持って行かなくてよかったのか。

答えは、これからの息子本人に出してもらいたいものだ。

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2008年6月 2日 (月)

「おばちゃん」の基準

人の呼び方というものは難しい。
特に初対面の方には何と言ったらいいのか多いに迷う。
中でも最も気を使うのは女性への呼び方だ。
ドラマの中で「奥さん奥さん、安いよ」とお店の人が声をかけたら、
「私、奥さんじゃありません」なんて返されるシーンがよく出てくるように、
ご婦人、奥さん、お嬢さん、お姉さん、おばちゃん、おばあちゃん。
年齢や環境によって呼び名は様々あるものの、さて何て呼んだらいいのやら。
呼び方によっては相手を不快な思いにさせてしまうので気をつけたい。

息子が幼稚園のとき、私の姉と姉の友人たちと出かけたことがある。
友人のひとりが息子よりひとつ上の双子のお嬢さん連れ、
他の2名の友人と姉(3人は独身)、そして私と息子の計8名だ。
他に子ども連れがいなかったので、姉が気を利かし「あんたたちも来てくれない」と。
私も双子ちゃんのお母さんとは何度も面識があったので喜んでご一緒することにした。
場所は牧場、動物がたくさんいて、フィールドアスレチックの設備もあり、
活発な子どもたちにはもってこい。
初対面から意気投合した3人は、大声出しても駆け回っても
注意されることのない広場で、転げまわるように遊んでいた。
双子ちゃんのお母さんが
「あなたたちが来てくれてほんとによかった。
私だけ子ども連れだと、やっぱり他の人に悪くってね。」と話しかけてきた。
そうなんだ。
私もそうだったが、友人と一緒のとき子ども連れで行くと
いくら相手が「大丈夫だよ」と言ってくれても、やはり気になる。
どうしても子ども中心に、子どものペースに合わせて時間が経過せざるをえないので
いつも、申し訳ないなあと思っていた。
しかし同じ子ども連れだとお互い様。相手の大変さもわかるので気が楽だった。

子どもに手がかかる同士(子どもたちも一緒にいるので)
その時も自然に、私は双子ちゃんのお母さんと一緒にいることが多かった。
姉はというと他の2人と一緒が基本で、子どもたちも気になるのか、
両方の間をいったりきたりしていた。
まあ姉は『いたずらな甥っ子』にいつも接しているので、子どもには慣れたもの。
子どもたちのすることにも「仕方ない」と目を細めて見ていたが、
友人のひとりから明らかに『うるさいな』という気持ちが見て取れた。
私は気になってしまい姉に言ってはみたが「気にしなくていいよ」の一言。
やんちゃな息子が迷惑をかけないように配慮しながら時が過ぎた。

皆で一休み、お茶にしようかという話になった。
子どもたちも席に座り、ニコニコしながらお菓子を食べ始めた。
双子ちゃんも、息子も、お菓子を交換しながら楽しく過ごしていた。
息子が立ち上がって姉のところへ行き「おばちゃん、はい」と言ってお菓子を手渡した。
「ありがと。もらっていいの?うれしいな~」と笑顔の姉。
気をよくした息子が、隣に座っていた姉の友人にお菓子を手渡した。
「おばちゃんも、はい、どうぞ」
それは先ほどから子どもたちを怪訝そうに見ていた人。すると彼女は、
「私は、おばちゃんじゃないわよ!」
息子に向かって凄い剣幕で怒鳴ったのだった。

シ----------------ン  (凍りつくその場)

きょとんとした顔をして「おばちゃんは、いらねえのか」と言って戻ってきた息子。
もし息子が泣きでもしたら、やはり親として黙っていられず、
言いたくないことまで言ってしまったかもしれない。
『あんたはえらい。たいしたもんだ』と心の中で思った私だった。

息子にしたら自分の母親より年の多い姉(おばちゃん)の友達だから、
素直におばちゃんと思ったに違いない。
私は20代で息子の友達からおばちゃんと言われていたので全く抵抗がなかったが、
独身の若い女性に「おばちゃん」はショックだったことも理解できる。
でも、大人気ないんじゃない『お姉さん』

つくづく『おばちゃんの基準』とは、難しいものである。

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「おばちゃん」の基準

人の呼び方というものは難しい。
特に初対面の方には何と言ったらいいのか多いに迷う。
中でも最も気を使うのは女性への呼び方だ。
ドラマの中で「奥さん奥さん、安いよ」とお店の人が声をかけたら、
「私、奥さんじゃありません」なんて返されるシーンがよく出てくるように、
ご婦人、奥さん、お嬢さん、お姉さん、おばちゃん、おばあちゃん。
年齢や環境によって呼び名は様々あるものの、さて何て呼んだらいいのやら。
呼び方によっては相手を不快な思いにさせてしまうので気をつけたい。

息子が幼稚園のとき、私の姉と姉の友人たちと出かけたことがある。
友人のひとりが息子よりひとつ上の双子のお嬢さん連れ、
他の2名の友人と姉(3人は独身)、そして私と息子の計8名だ。
他に子ども連れがいなかったので、姉が気を利かし「あんたたちも来てくれない」と。
私も双子ちゃんのお母さんとは何度も面識があったので喜んでご一緒することにした。
場所は牧場、動物がたくさんいて、フィールドアスレチックの設備もあり、
活発な子どもたちにはもってこい。
初対面から意気投合した3人は、大声出しても駆け回っても
注意されることのない広場で、転げまわるように遊んでいた。
双子ちゃんのお母さんが
「あなたたちが来てくれてほんとによかった。
私だけ子ども連れだと、やっぱり他の人に悪くってね。」と話しかけてきた。
そうなんだ。
私もそうだったが、友人と一緒のとき子ども連れで行くと
いくら相手が「大丈夫だよ」と言ってくれても、やはり気になる。
どうしても子ども中心に、子どものペースに合わせて時間が経過せざるをえないので
いつも、申し訳ないなあと思っていた。
しかし同じ子ども連れだとお互い様。相手の大変さもわかるので気が楽だった。

子どもに手がかかる同士(子どもたちも一緒にいるので)
その時も自然に、私は双子ちゃんのお母さんと一緒にいることが多かった。
姉はというと他の2人と一緒が基本で、子どもたちも気になるのか、
両方の間をいったりきたりしていた。
まあ姉は『いたずらな甥っ子』にいつも接しているので、子どもには慣れたもの。
子どもたちのすることにも「仕方ない」と目を細めて見ていたが、
友人のひとりから明らかに『うるさいな』という気持ちが見て取れた。
私は気になってしまい姉に言ってはみたが「気にしなくていいよ」の一言。
やんちゃな息子が迷惑をかけないように配慮しながら時が過ぎた。

皆で一休み、お茶にしようかという話になった。
子どもたちも席に座り、ニコニコしながらお菓子を食べ始めた。
双子ちゃんも、息子も、お菓子を交換しながら楽しく過ごしていた。
息子が立ち上がって姉のところへ行き「おばちゃん、はい」と言ってお菓子を手渡した。
「ありがと。もらっていいの?うれしいな~」と笑顔の姉。
気をよくした息子が、隣に座っていた姉の友人にお菓子を手渡した。
「おばちゃんも、はい、どうぞ」
それは先ほどから子どもたちを怪訝そうに見ていた人。すると彼女は、
「私は、おばちゃんじゃないわよ!」
息子に向かって凄い剣幕で怒鳴ったのだった。

シ----------------ン  (凍りつくその場)

きょとんとした顔をして「おばちゃんは、いらねえのか」と言って戻ってきた息子。
もし息子が泣きでもしたら、やはり親として黙っていられず、
言いたくないことまで言ってしまったかもしれない。
『あんたはえらい。たいしたもんだ』と心の中で思った私だった。

息子にしたら自分の母親より年の多い姉(おばちゃん)の友達だから、
素直におばちゃんと思ったに違いない。
私は20代で息子の友達からおばちゃんと言われていたので全く抵抗がなかったが、
独身の若い女性に「おばちゃん」はショックだったことも理解できる。
でも、大人気ないんじゃない『お姉さん』

つくづく『おばちゃんの基準』とは、難しいものである。

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2008年5月21日 (水)

成長のテンポ

悲しい記事を見た。
生後三ヶ月の子どもさんを、お母さんが手にかけてしまったというものだ。
お母さんは子どもさんの成長が遅いことに、ひとりで悩んでいたという。
この記事を読みながら、やるせない気持ちがいっぱいだった。

うちの息子は4295グラムという巨大児として産まれた。
「大きいことはいいことだ」と昔のCMのコピーにはあったが、現実は違っていた。
体が大きいので成長が早いように見えるが中身は何ら変わりがない。
それどころか、見た目の大きさに中身の成長が追いついていかないのだ。
6ヶ月健診で保健士さんから、
「おかあさん、体が大きいということは『良い』ことばかりではないんですよ。
とその後に起こるだろう苦労を、優しくアドバイスしていただいた。

生後1年近くで2~3歳児の平均ほどの体型になったものの、
骨格やその他機能の成長は年相応の息子は体のバランスがとれず、
なかなか立ち上がることができなかった。
他の子どもさんが、すたすたと歩いている頃、掴まり立ちができるようになり、
そして、やっと歩けるようになったのは1歳半近くになってからだった。
言葉を覚えるのも遅かった。
こちらが言っていることは理解はしていたと思われたが
2歳近くなって初めて言った言葉が「まんま」だった。

砂場でこんなことがあった。
まだ歩くことができない息子が砂場でベタッと座って遊んでいるとき、
3歳弱くらいの男の子がおかあさんとやってきた。
体の大きさからいって、一緒に遊べる同年代だと思ったのだろう。
しかし遊んでみたものの、うちの息子は歩けない、話せない。
反応の薄い息子に対して、男の子はだんだんとイライラしてきた。
終いには玩具の取り合いになり、当時から腕っ節の強かった息子が
玩具を力任せに取り上げてしまい、相手の男の子が泣き出してしまったのだ。
それまで傍観していた相手のお母さんも、わが子が泣かされては黙ってはいない。
「あなたの方がお兄ちゃんなのに何するの!」と息子に向かって怒鳴ったのだった。
言われた言葉の意味もわからない息子は、ポカンとそのお母さんの顔を見つめていた。
「あの、」少し離れて様子を見ていた私は、思わず話しかけた。
「申し訳ありません。この子、まだ1歳になったばかりなものですから・・・」
「えっ、1歳なんですか。ごめんなさいね。3歳くらいだ思ったものですから。」

体が大きい分、動きがゆっくりな彼は、同じ年代の子が難なくできることができない。
ずぼらな私はあまり気には留めてはいなかったが、
まわりから明らかに悪意が感じられる話が耳に入ったとき、
それでも少し心配になって、母に相談したことがある。
すると母は、アハハハと笑いながら、
その子にはその子にあった成長の仕方があるんだから
育児書に載っているのは、あくまでも目安。
無理やり歩かせたり、無理やりできないことをやらせたりしなくていいんだよ。
ほおっておいても、今に嫌というほど走り回るようになるから。
『機が熟す』のを待ちなさい。」と言ってくれた。
『機が熟すか、そうだよね。私の考えはまちがっていないんだよね。』
母の話を聞いて、とても安心したことを思い出す。

人に何か聞くことは、勇気が必要だ。
でも、思いきって聞いてみると、「な~んだ」とスッキリすることもある。
ひとりで悩むことも大切だけれど、もし行き止まりになってしまったら、
横道へ逸れてみたり、誰かに道を聞く方法もあるんじゃないかな。
私たちは、ひとりひとり違う。
人には自分なりの成長のテンポやペースがあるんじゃないのかな。

その後の息子はというと、母の言っていた通りに、
嫌というほど(苦情がくるほど)駆け回ってくれました。
口も嫌味なほど(ときには憎らしいほど)達者です。
「小さい頃は、素直でニコニコしていて可愛かったのに」
懐かしさでいっぱいの今日この頃だ。

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2008年4月28日 (月)

息子のケシゴム

「参観会はいいけれど、その後の懇談会はどうも苦手」
なんて人も多いかもしれないが、懇談会って意外に面白いものだ。
面白いというと不謹慎に聞こえるかもしれないが、
様々な人の話が聞けるチャンスと思って出席すると、さほど苦にはならない。
幼稚園から中学校まで数々の面白懇談会エピソードがあるが、
息子が小学校2年生のときのエピソードを紹介してみたい。

このときは二年目の持ち上がりクラスだったので、父兄同士も気心が知れていた。
クラスの学代さん(父兄の学級委員長)が司会をして会を進行していった。
これといった問題があるわけでもなく、伝達事項の確認が済み、
「今日は早く帰れるぞ。お茶でも飲んで帰ろうっと」と思った矢先、
ひとりのお母さんが話を切り出した。
「あの、うちの子(娘さん)のケシゴムが無くなったのですが」

このお母さんは子どもの教育に大変熱心でユーモア溢れる方だが、
話が長いのがたまにきず、話し出すと止まらない。
いや~な予感を抱えながら話を聞いていたら、
「うちの子のケシゴムが
ふたつほど無くなったんです。
もしかしたら捕られたんじゃないかと。捕られたっていうと言葉が悪いですよね。
いえ、クラスのみなさんを疑っているわけではないんですよ。
ケシゴムなんて小さいものだからどこかで落としたんじゃないの
と娘には言ったのですがそういったことはないって言うし。
まあ、うちの子は物を落としたり、無くしたりすることは少ないですから。
じゃあ、もしかしたらあなたを好きな子が持って行ったのかもしれないわよ、
なんて娘にも話をしたのですが、それはそれで微笑ましいですよね(笑)
私も小学校の頃、好きな男の子にケシゴムを貸してもらって嬉しくて
そのまま貰ってしまたこともありましたから。それで、」
自分のエピソードや回想を入れながら、息つく間もなくお話がすすむ。
私は私で、「この方は一体何が言いたいのだろう」を探りながら聴いていた。

暫くして、教室にいるみんなが「これは長引くぞ。まずい」と思ったのだろう。
何人かの親しい父兄の視線が私に向けられた。
思い過ごしではなく明らかに「何とかならないかなぁ」と目で訴えている。
中には、少しあごを突き出すように”ほれほれ”と促している人もいる。
私もみんなと同じ気持ちだったので、丁度話が途切れたときを見計らって声をかけた。
「あの~、すみません」 全員が私の方を向いた。
「うちの息子のケシゴムも、おそらく数十個無くなっているんです。
お話を伺っていたら、『もしかすると』と思いました。
うちの息子を好きなお子さんもいらっしゃるのかな、なんちゃって。
心当たりの方はいらっしゃいませんか?」と挙手を促したが、
「シ---------ン」
周りがポカンとして静まり返った次の瞬間、大爆笑が起こった。

その後、笑いを引きずりながら会は早々に終了した。
帰りに話を遮る結果になってしまったお母さんにお詫びをした。
すると、「あはは、とっても面白かったわよ」と怒っていなかったのでほっと一安心。
「それでね、うちの子がね・・・」と続きをたっぷり聞くはめにはなったが、
それはそれで楽しいひと時。

しかし、なぜみんなはあんなに笑ったのだろうか。
息子を好きな子だっているはずなのに。(きっと、たぶん、おそらく・・・)
うけを狙って言ったわけではないのに何が面白かったのだろうか。
そして、ケシゴムは一体何処へいってしまったのだろうか。

最初の疑問がそのまま残った。
 

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